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神林先生の浅草案内(未完)
未完までがタイトルの本。
神林先生というのは高校の先生で、たべ歩きが大好き。地元浅草かいわいのおみせを周って紹介したものをまとめた本。
エッセイもそうだが、たべるという行為は、うごくためのエネルギーを摂取するということ。これは生きとし生けるものすべてが必ず行う営み。なので、それについて思うことはみな千差万別なのは当然のこと。
時間という概念は人間が考え出したものだが、これは動いているといえるのだろうか。動いているのであれば、何をエネルギーとしているのか。時間というものはあるタイミングからあるタイミングまでの変化だがそれは、その対象が動いたのであって、それを並べてたその違いを経過(時間)という概念に当てはめているだけ、となる。そう考えると時間にはエネルギーは不要と考えて差し支えない?
閑話休題
日本のすごいところは、常に新しいものと、昔からあるものを維持しているところだと思う。利益を上げるため差別化のため、次々と新しいものを作り出す。それは、何もかも0から作り出すのではなく、これまであったものを積み上げ、組み換え、合成してつくりだしてゆく。ブームとしてもりあがり、すぐに話題は別に映ってゆくが、そこでの進化はつうじょうよりもはやくすすむ、そしてそれが素材の一つとなってゆく。
昔から美味しいお店を紹介する本はあったし、ネット社会になって発信者が増えた。有名な店ばかり紹介される時代から、路地裏の隠れた店までたくさん紹介文、感想文がならぶようなった。しぜん、点数が付けられるが、かといってその基準はその人だけのもの。人が付けた点数をうのみにしても仕方がない。絞り込みの目安にするとしても、自分の評価はまた別だといつもおもう。
浅草のように観光スポットだと、どうしても観光客目当てのおみせがふえてしまう。浅草らしさをあえて強調することになるが、何度も訪れると、そうした店よりも、地元の人が知っているお店を試したくなる。そうしたときにうってつけの本だと思った。
普段から気になるお店は沢山あるが、いざ食べに行くとなると、いつものおみせだったり、気になるメニューがあって、「次はあれを試してみよう」とおもいつつ、いつものメニューを注文してしまうのはなぜなんだろうか・・・
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