具体的であればあるほど
今回のテーマは「何ごとも具体的であればあるほどよい」についての投稿です。
「何ごとも」というと大雑把なので、ここでは「出す指示」と「目標のイメージ」の2つに絞ってまとめてみます。
まず、なぜこのテーマを書こうかと思ったかというと、僕自身の思考や発言が具体的でないケースが多く、そんな自分に辟易することが多くなってきたから。
言ってみれば、考えていることだけ一丁前 といったところ。
そんなとき、あらゆる悩み・不安・動作に具体性を伴わせることによって、辟易した自分(=自分を認められない/自信がなくいわゆるメンタルが弱い状態)を打破できるのでは、と考えるように。
では本題に戻り、具体的な「指示」がなぜ良いかといったところに戻る。
これは、単純に 例えば誰かに頼み事がある際に、頼み主である自分が意図するものに近づけるためには「指示」の段階で注意をしなきゃいけないよね っていう具合。
次に出す2つ目の「目標のイメージ」にも通じてしまうんだが、そのパターンは、頼み主が自分・頼まれた側も自分 と考えると、指示内容が具体的であればあるほど動作に的確性が生まれ、その分結果(良くも悪くも)も出しやすくなる、と。
もう他方の「目標のイメージ」が具体的であればあるほどよい の理由は以下の通り。
その目標以外の邪念、例えば目標達成には不要なこと・優先順位的に今はやらなくてよいと思えることなど、そういった明瞭な想像がゆえに行動を自制できるという利点がいえる。
当然 行動が変われば結果も変わってくるものだろう。
本気で向き合っている人は、注力すべきことを明らかにしていて、その分アクション内容にもブレがなく、そのやっている自分を認められている。
今回まとめたことは、簡単にできないから僕はやる気になれるし、その域でいい意味で自分を楽にしたいと思う。
2024-11-11