日々のあれこれを生きていた1ヶ月半
3ヶ月半の外出自粛期間を経て、私の住む国では、またおっかなびっくりではあるが、学校が通常授業へと戻った。
当初は、隔週登校、しかもクラスを半分に分けて授業をするため、息子のクラスは8時~9時半までのたった1時間半授業だった。
それが、夏休みまであと1ヶ月、というところで、通常授業へと舵がきられ、今に至る。
日常が戻ってきて、感じること。
・・・とにかく、忙しい!!!
まず、朝、時間に間に合うように準備して、上の子を学校へ送り出して、私はそれから下の子と買い物へ行ったり、公園へ遊びに連れて行ったり。
もともと学校で昼ごはんは出ないので、帰ってきてからお昼を食べるのだが、まずは旦那(まだ在宅勤務が続いている)と食べ、下の子を寝かせ、息子が帰ってきたらまた昼ごはんを食べさせ、宿題をやらせ、習い事のある日は連れていき、夕飯の準備して・・・などとやっているとあっという間に1日が終わる。
私は今、仕事をお休みしているので、主婦としての仕事しかないのだが、それでも十分に毎日が忙しい。
外出自粛中の3ヶ月半と日々こなす内容はほとんど同じなのに、なんだか体感ペースが全く違う。
自粛中は「こなす」というより、「行う」という感じだった。
生活のひとつひとつを丁寧に行っていた、というか。
生活がシンプルだった分、小さな幸せ(降り注ぐ太陽だったり、子どもの笑い声だったり)を噛み締めながら生きていたなぁ、と。
そんなこんなで、完全に生活の流れに流されてしまっている私がいる。
・・・で、ツインレイ片割れとのことはどうなったの?
というと、まだ、目に見えた、現実的な進展はない。
再会は、していない。
私の場合は、完全な偶然再会を宇宙にオーダーしており、例え連絡先を知っていたとしても(実際に知っている)、私からコンタクトをすることはないし、これからもしないと思う。
そこには、運命の流れの大枠に身を委ねたいという思い、そして、少しは保身の逃げが隠れている。
会うものなら会ってみろっ!!!
会えるものなら、会わせてみろっ!!!
的な。(何様・・・?苦笑)
実は、しばらくツインレイどころではない、というか、私の思考の大半が別の場所にエネルギーを注いでいたため、あまりツインレイのことは考えていなかったというのがこれまでの1ヶ月半だった。
全く別のことに想いを馳せており、現実的にそちらを実行するか否か、というところで毎日、何パターンもの可能性を考えていたり、最高のシナリオ・最悪のシナリオをイメトレしたりして、頭がいっぱいだった。
しかし、そちらの計画が頓挫した。
あんなにリアルに思い描け、現実になったら、とてもハッピーだったのだが・・・。
しかし、こうとも取れるのだ。
別の可能性のために、そちらの思い描いていたことは現実にはならなかったのではないか、と。
別の可能性、とは、もちろん、ツイン関係だ。
これから夏休みが始まる。
息子は6週間。旦那は3週間。
その間に、私はこうしよう。
私が大好きな街で、しばらく行けていなかった街。
コロナ渦中のとき、ツインの彼がツインだと気がついて、ついでにその街に彼が住んでいることも知った。
偶然の再会を、、、と言っておきながら矛盾するようだが、私はその街に、遊びに行ってみよう、と思う。
本当に会ってしまったら、物凄く驚くだろう。
もし会わなくても、ホッとするかもしれない。
もしかしたら、全く別の、想像にも及ばない場所で出会うのかもしれない。
そもそも、もう会うシナリオではないのかもしれない。
でも、楽しいではないか。
こうしていくつもに分岐した道を、1本1本歩んで行くことも。
ワクワクするって、楽しい。
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