覚醒がはじまるきっかけ、か?
約10年前(正確には11年前)に出会って、前にも後にもそれしか体験したことのない数日間を過ごした相手。
その後、壊滅的な(?)別れをして、10年間音信不通。
もう、「若かりし頃の思い出」として処理していたが、ここへきて、彼がツインレイだったということが分かった(思い出した)のが、この2月末~3月にかけて。
それ以来、私はすごいスピードで変容していっている。
・・・うわぁぁぁぁぁ~!!!!
なぜ、今、このタイミングだったか?とよく考えるが(今だから今なんだ、けど)、パンデミックがひとつのきっかけとなって、世界も大きく変容しようとしているこの時期がある意味では関係してきているのだと思う。
しかし、それ以前、昨年末から、第一波の揺さぶりが私には訪れていたのだ。
昨年秋、父が手術をした。
それ自体は成功したのだが、病院側が見落としていた事項があり、それによって、父は6週間、一切飲み食いができなくなった。
そちらを治すためにもう1度手術が必要になったが、今度は切開手術で、高齢の父には負担が大きすぎた。
始めの手術も、しなくとも少なくともあと5年は生きられた命。
しかし、それをしたがために、突然、彼に「死」が近づいてきてしまった。
私も急遽、下の子だけを連れて日本へ帰国し、毎日毎日お見舞いへ行ったが、そこには、今までのあの、実年齢より10才以上若くみえる気丈な父の姿はなく、ガリガリにやせ細って、生きる希望を失った父の姿があった。
私は毎日祈った。
再手術をしたといっても、それが成功したかどうかは、まだわからない状況だった。
そもそも全く経口で栄養を取れなかったため、栄養点滴はしていたが、命を削り削り、延命している状況だった。
どうしても退院したい、と無理やり退院させてもらったが、もちろん、まだ自力で生きられる状況ではなく、退院してすぐに、危険な状況になった。
彼は、もう病院や治療はうんざりだ、このまま寝たきりになるのだったら、このまま逝かせて欲しい、と私や母に頼んだ。
父は私に、
「自分で動けるうちに、命を絶ってもいいか?」
そこまで聞いてきた。
母を愛しているから、心から愛しているから、彼女には絶対迷惑かけたくない。
だから、そうしてもいいか、と。
私は魂ごと大きく揺さぶられた。
死は、誰にでも訪れるが、自分の身近な、最も尊敬する人に、こんなにも急に訪れることになるとは。
父は、願ったことを全て叶え、それを全て手に入れられる人だった。
彼ほど、意志のハッキリした、迷いのない人は見たことがない。
その父が、「もう終わりにする」と決めたのだ。
だから、もう、現実はそのように動くしかなかった。
私は引き続き祈った。
なんとか、なんとか、持ちこたえて、なんとかまだ生きて欲しい、と。
年末の近くなった時期だったが、もう年は越せないだろう、というところまできてしまった。
目の前で死にゆこうとする大切な家族。
もう、彼の意志を尊重するしかないのか、そうとも思った。
・・・結局。
父は、今も、手術前のようにはもう戻れないが、それでも生き延びた。
頑なに、延命治療や再入院を拒否し、文書を作らせて、それにサインまでした父。
形見に、と私の夫や息子に、スイス製の時計をそれぞれ既にあげた父。
資産凍結される前に、出来るだけ引き落として、と私にキャッシュカードを手渡した父。
もう、死ぬ気満々だった。
でも、人生のシナリオの中には、しっかりと、救世主が組み込まれていて、
救世主だった私の息子が、彼を救ってくれた。
クリスマスに日本へやってきた息子と夫。
もう、彼の意志を変えることが出来ないのなら、明るく、温かく送り出そう、そういう雰囲気になった。
クリスマスの日。(その日は父の誕生日でもあった)
父が寝る部屋に、息子が歌いながら入っていった。
「あわてんぼうのサンタクロース」
を歌いながら。
少し前にあるき出した、妹も、父の枕元で嬉しそうに手を叩いていた。
そこで、私たちは、即興ではあるが、プレゼント交換をした。
その歌で、父の心が固まった。
「この2人の成長を見れるところまでみたい」
と。
「もう1度、頑張ってみようかな」
そういった父。
元来、せっかちな性格なので、
今から、入院しにいく。
と言って、バタバタを準備をし、救急車がやってきて、父はまた病院へと戻っていった。
クリスマスの夜、寒空に響く、救急車のサイレンの音。
私は、泣きながら、見送った。
どうか、どうか、助けてください、と。
救急車の音が、聞こえなくなるまで、私は頭を下げて、お願いした。
・・・おそらく、この時期に、もうツインレイとの潜在意識下での交流は始まっていたのではないか、と後になって想像している。
このピンチ。辛い時期。
もちろん、家族内でも支え合った。
祈りを捧げた存在にも助けられた。
でも、最近になって、そこに、ツインのエネルギーも私を支えていたのでは?と思うようになったのだ。
「どうして?」
「どうやって?」
というのは、残念ながら、感覚的なもので、上手に説明は出来ない。
でも、覚醒は、あのときに始まっていたのだ。
最愛の家族が死んでしまうかもしれない、という、魂揺さぶられる渦の中で。
表面的には、「死」があって、
でも、表面下には、「覚醒」があった。
あのとき父が助かっていなかったら、私は、ツインレイの存在に今も気づいていなかったのだろうか?
人生のシナリオは、本当にハプニングだらけで、毎日毎秒が、ワクワクの連続だ。