題目『きんこう』
今宵のTwilloの冒険の題目は『きんこう』。
「均衡」、「近郊」、「金鉱」なんかが思いつきますね。。
地名なんかでもありそう。
ワタクシに浮かんだのは「均衡」の『きんこう』です。。
一言で「均衡」、バランス、と言っても。なんとも。。
うーん。とても大切。。
とにかく。重要。。
くらいしか出てきませんな。
それくらい、掘れば掘るほどに。。深いですよ。
どこから手をつけていいかわからない。。
シーソーに例えて話しましょう。シーソーならわかり易い。。
シーソーやって楽しいのは、やっぱり同じくらいの重さ同士で。
ギッタンバッコン、ギッタンバッコン。。ですよ。
「均衡」、バランスをとりながら。。時にキャーキャー言いながら。
常に、上に、下に、と動いているのが。。
面白いんだな。
あんまり重さが違うと動かなくなっちゃうからね。それだと。。
面白くない。
シーソーで「均衡」をとるには。
何も同じくらいの重さのものを探してこなくてもいい。。
シーソーに載せる場所を工夫すればいいんだ。
端っこと。。真ん中みたいにね。。
うまくやれば、大人と子供だってギッタンバッコンできる。。
面白いんだな。
ちょっと「均衡」が取れていないとき。
少し足を使って地面を蹴り上げてみたりして、強引な"力"で。。
動かせるといえば、動かせる。
ギッタバッコみたいな音になって、あまり長続きはしない。。
面白くない。
他にも思いつきます。
もっとアタマ数を増やせば。。「均衡」のとり方もバリエーションが増える。
"二人" 対 "一人"でも、"二人 "対 "二人"でも、"四人 "対 "五人"でも。。
もっともっと。
巨大なシーソーがあれば。。
十人、百人、いや、もっともっと。
"企業" 対 "企業"、"街" 対 "街"、"国" 対" 国"、"人種" 対 "人種"などなど。。
もちろんそこまでいくと空想のレベルですけどね。
とんでもなく巨大で、とんでもなく複雑で、おそろしく精巧なシーソー。。
戦略を立てるためになら、どこかの仮想空間にはあるのかもしれないね。
でも、シーソーがここまできちゃうと。。
面白くない。
まあ、そんなに大袈裟に載せるモノの規模ばっかり大きな話にしなくとも。
例えば、"人間関係"なんかにも。
シーソーのバランスを取るような力配分が必要なのかもしれません。。
面白くない。よりは。。
面白いんだな。となった方が。。
いいですよ。やっぱり。。
シーソーの話だけでも、いくらでも深掘りできちゃいそうです。
単純な例え話ですが。。すべて深く飲み込んでいくと。
哲学的な話にまでも。。できてしまいそうで。
面白いんだな。。
「均衡」の話が深いというのは。。ですね。その先に。
"「不均衡」の美しさ"なるものが存在するからなのです。。
これは「均衡」には「不均衡」が。「完成」には「未完成」が。。
「完全」には「不完全」が。必ず存在して。。そして、それが。
時として美しく。時としてハイレベルな世界観を持っていたりするから。
「均衡」こそが"美"の極致。そう言い切れてしまえば。。
簡単なんですが。「不均衡」、これもなんとも。。
美しくはないですか。
どうしてなんだろう。。
茶室の"数寄屋建築"などにしても。あえての。。
「不均衡」。
数寄屋の数奇は"奇数"のことだったんですね。きっちり割りきれない。。
ワタクシ、やはり日本人だからなのでしょうか。
なんとも好きなのですよ。茶室の感触が。。「不均衡」で「不完全」なのが。
西洋の荘厳で絢爛な建築も装飾も好きですが。それらとも違っていて。。
敢えての「不均衡」は。「不均衡」でいいな、と。。
「均衡」の話でしたが。「不均衡」にまで話を広げてしまいました。。
「均衡」と「不均衡」が一対となった姿こそが。
"この世界の理(ことわり)"である、るとしか。。
まとめようがありません。。
「均衡」、バランス。それを保つために。。
シーソーで工夫してみたり。人間関係の中でも工夫してみたり。。
それは美しさでもあって。楽しさを生み出すものでもある。。
そしてその逆もある。だから「均衡」を取り戻すべく"力"が働く。。
この話、どこまでいっても終わりはきませんな。。
はじめに言った通りでしょう?
掘れば掘るほどに。深い。。何から手をつけていいかわからない。と。。
この話の続きは。また今度。。
いずれ。またの機会にゆっくり話すと致しましょう。。
上等の酒でも舐めながら。ゆっくりと、ですぞ(ニヤリ)。。。
Twilloでのワタクシのいつもの最後のセリフ。。
「ワタクシは自分では値段を決めていない。のです。。よ。。。」
適当なものを「サポート」のところに入れておいていただければ
幸いです。。。