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母の人生は母のもの


母の明日は来ないかもと思ってしまっていた


昨日から電話を待っている
母が入院する病院からの電話だ。腎臓の検査を受けていて、数値が安定していれば間もなく退院できるらしい。

現在とにかくどんどん事が進み状況が変わりすぎて、自分の頭と心とそして記録もおいついていかない。


ということで過ぎていった事実を書いてみる 



母が大腿骨骨折で病院に入る。翌日の手術が決まる。


手術当日、血栓の検査で肺炎が見つかる →へ?


当然その日の手術は中止、医師によると総合的に考えて大腿骨骨折の手術は無理なのではないかということだ。ちなみにこちらは内科の先生。 
→そうですよね……

だったはずなのに、その3日後病院から電話が来て、主術しましょとの提案を受ける。ちなみにこちらは整形外科の先生  →ええ?


手術当日の説明で母が病院に入った時の状態は「肺炎及び心不全」であったと聞かされた。こちらは整形外科の別の医師。

ここは父と声を揃えてしまった。
えええ??  聞いてない…(は心の声)

しかしこの先生と話した時点では肺炎、心不全の症状はすでになくなっていた。あくまで病院に来た時はそんな状態だった。という話だ。ここは諸々熟考の上手術をお願いすると前日から決めていた。


結果は成功(あくまで大腿骨骨折の手術としては)

そして次の日脳梗塞発覚。
しかし検査をすると脳梗塞の跡はあちこちにあり、比較的新しいといえばこれとかこれ。しかしそんなに最近のものではないと思われる。と医師は画像の数ヶ所を示して言う。ちなみにこちらは脳外科の先生。


危険な状態で数日間過ぎ、今その時期を通り超え、比較的安定している人が入る部屋へと移動できた。


しかし母は主に目を閉じて眠った状態である。これは施設から病院に入った時と、私の目で見ても変わらない。意識レベルについては先生からの説明を受け、看護師さんの有難い配慮もあり、確認し納得もできた。確認できたといっても、あきらかに母は違和感だらけだ。認知症が進んだのか、ほかの理由かは全くわからない。


とは言え、今は全介助で食事がとれるようになっては来たので、先日先生との面談があった。ちなみにこちらは執刀して下さった先生。
残る問題点は諸々の薬の影響で腎臓の数値がよろしくないこと。ここが安定したところで退院となるらしい。(先生の予想では安定は早そう)


そして今私はその腎臓の検査の結果の電話を待っているのだ。昨日出ているはずだが、まだ連絡はこない。


実はたんまりとnoteの下書きや、手帳にメモがある。それぞれの症状が出た時や、手術を決めたこと。色んな想いを書きなぐるように記録した。 今はそれがまとめられない。


迷い葛藤して手術をお願いしたのだが、自分が書いた記録を見ると、私がいつも確信していたことは母の人生は母が決めるのだろうということ。
最終的に全てはやはり母のみぞ知る。なのだ。


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