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苦しい母と荒ぶる父と

※前記事からの続きです。約1400文字

ここのところ日一日と状況が変わる。思い返すのにnoteが最適だと前の記事を書いて思った。自分の感情も時系列で整理できる。

ついでに余計なことまで思い出した。
あの日緊急連絡を受けて病院に到着した私に向かって、父は第一声「うわ、なんだその汚いおばさんみたいなかっこは」とでかい声を張り上げた。

それを偶然耳にした人ははかなりひいたかもしれないが、私には父の態度は想定内。それに驚く心のゆとりなどなかった。いやいや、他所様も緊急時に他人の戯言なんて聞こえないだろう。
ただただ後から思い出して、私がムカムカするだけである。

思い返せば「あ〜今日はもう仕事終わり!」とヨレヨレとリビングに出て来たタイミングで緊急の連絡が来たのだ。Max汚くて何がおかしい。白Tにデニムで走っていった私の何に文句があるのだろうか、さっぱりわからない。


緊急処置室にいた母

いや頭を冷やそう。話を戻す。
母は「救急処置室」にいるようだった。私が到着してから40分ほどたった頃だろうか、母がベッドのまま検査室に運ばれて行き、その後間もなく戻ってきたのが見えた。
そして私たちと、母を連れてきてくれた施設長さんが処置室に呼ばれた。

処置室に入るとカーテンで仕切られてはいたが、そこにはベッドがずらっと並んでいて待機している患者さんが多くいる様子だった。その数に驚く。これでは待つわけだ。

瞬間そんなことを思っていたら、高めのベッドに寝かされたまま母が連れてこられた。母は目を開けることもなく小さくなっていた。痛むのか時折ピクッーと動いていた。何の反応もない。


ところで、母を横に整形外科Dr.から話を伺う段階になっても、いまだ荒ぶっていた父は、母の症状より先に待たされた時間についてまくしたてたため私は結局父を完全にディフェンスしながら先生の話を聞くこととなった。
頭から火が出そうだったが、殺気だった目で父を睨んでいたのは私だけではなかったので少しだけ気が楽になった。そして恥ずかしかった…


母の怪我の状況

母は大腿骨を骨折しているとのことだった。
手術をしなければその後のQOLが大変よろしくない。車椅子に座ることもおそらくできない(私もそう思った)。怪我が治らないままで寝たきりになる。寝たきりだと血栓ができるし(特に母は過去に脳梗塞もしているし血流障害がある)、何より足の痛みに耐えなければならないだろう。
という現状と今後の予想がわかった。そして先生は、手術ができるとして椅子に座れるようになったら施設に帰る方向で受け入れられますか?と施設長に話された。リハビリも今の母の認知機能だと厳しいのではないかと言うことだ。


その時の私は手術はするものだろうと思っていた。そもそも今の施設に入るきっかけになったのは、今回とは逆の足の大腿骨骨折である。先生の説明もあるところまでは前回の時とほぼ変わらなかった。
画像を見せられた時、なぜか懐かしいものを見たような気さえした。両方これになるのか…と。

それにしても目を開けることもなく、横に寝ている母は本当に苦しそうだった。

結局、母は次の日の午後に手術をすることになり、細かい検査はその午前中に行われることになった。

しかし本当に苦しそう…の理由が大腿骨骨折の痛みだけではないことは、なぜかこの時はわからなかった。
すっかり遅くなった真っ暗な帰り道、ああ明日も朝一でここに来るのか…なんて考えていた私はのんきだったなと今は思う。



父は動いていなければ気がおさまらない性質で、言葉や行動で人を傷つけていることも全く理解できません。

他所から見ると、よくいるただの荒ぶる高齢者(失礼)ですが、私たち家族からみたら大昔から知っている父そのもの。何にも変わってない。

ちなみに彼の認知機能は完全にクリアです。


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