【連載】薄明かりの絵画1/12
この連載について
2014年にブログに連載した記事を一部修正、加筆したものです。
19世紀、地域はイギリス、フランス、ドイツ、オーストリアの、薄明かりの絵画について、12回で連載致します。イタリアやスペイン、北欧や東欧にも関連する興味深い美術がたくさんありますが、資料は豊富な地域に絞りました。年表の「アカデミズム」と「反アカデミズム」は、類型的で好ましくない二項対立なのかもしれませんが、アカデミズムを基軸とするとなんとなく話が進めやすい、という素人の浅知恵からこのようにしました。ご容赦ください。
なお、バルビゾン派から、リアリズム、印象派の流れは、年表には少し入れていますが、詳しい方がたくさんいらっしゃって、私が下手なことを書くのは憚りがあるので、控えます。
新古典主義
新古典主義は、ロココの後、フランス革命期〜執政期に好まれた様式で、1804年の執政政府の終了とともに終わった、とする見方もあります。19世紀を通して、絵画の主流ではなく、時代遅れだったのだろうと推測しますが、アカデミズムその他の様式に影響を与えました。
18世紀に、啓蒙主義と同期して起こり、ロマン主義と競合しました。ロマン主義は、自然観察を重視したところ、新古典主義は古代ギリシアやローマの芸術、ラファエロの作品をお手本としたところに特徴があります。現代からすると「退屈だ」とあまり評価されない場合もあるようです。
ジャック・ルイ・ダヴィッド (1748-1825、仏)
ダヴィッドは、新古典主義の代表的な画家です。若くしてローマ賞(※)を受賞してローマへ留学し、古典のリヴァイヴァル様式を習得しました。甘く、軽い感じのロココ様式から、荘厳な新古典主義への転換を担ったといえます。フランス共和国時代の画家の第一人者でした。ギリシアのレリーフのような人物を、人工的な光線により、プッサンを手本とした彩色で描きました。政治的には、ロベスピエールやナポレオンを支持し、第三帝国時代には国外へ逃亡しました。
キューピッドは、ギリシア神話では美少年という扱いだと思います。同じく新古典主義のジェラール描くキューピッドはエレガントな青年ですが、ダヴィッドのキューピッドは、いたずら小僧のような表情です。プシュケは蝶の羽が生えていた、という伝説に基づき、頭上に蝶が飛んでいます。臙脂色やオレンジ色が目につく彩色は、プッサンを彷彿とさせます。筆触はなめらかで、筆の跡が見えません。
(※)ローマ賞(1663-1968) パリの芸術アカデミーの学生が応募する。受賞すると、国費でローマに留学できる。もともと彫刻と絵画が対象だったが、建築や音楽の賞も設立された。学生たちの目標であり、マネ、ドガ、ラヴェルも応募したが、受賞できなかった。ダヴィッドは、受賞する前に3度落選し、自殺も考えたらしい。
ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル (1780-1867、仏)
ダヴィッドの弟子で最も著名なのが、アングルです。アングルは1801年にローマ賞を受賞しました。ローマでの勉強の成果は、パリではあまり評価されませんでした。ラファエロから特に影響を受け、伝統的なアカデミズムを擁護し、古典派を自称していました。しかし、オリエンタリズムを取り入れて、西アジアのハレムを描いたり、吟遊詩人様式の作品を描いたりもしました。多くの画家は、生涯一つのスタイルを貫く方が珍しく、Aであると同時にBでもあるし、AがCになったり、成功して、反発していたXに影響を与えるようになったりすることはよくあります。
「オシアン」はアイルランドの伝説で、老齢まで生きたオシアンが、見聞したことを、歌にのせて語る、というものです。新古典主義とロマン主義の狭間にあった画家に人気の題材で、フランソワ・ジェラールや、アンヌ・ルイ・ジロデも描いています。歴史画を重要視していた師のダヴィッドへの反発の意味があったようです。解像度がいまいちですが、画像はこちらから見られます。
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