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Nikky 2024/07/24~30

2024/07/24

絵にしても庭にしても音楽にしても、私は非言語芸術に強く惹かれる。好きだなあと思うたび言葉にしてここに書いたりメモしたりしているわけだけど、言葉でないからこそ魅力的だと思っているはずなのでは?とも思う。言葉でないから惹かれるはずなのに、その魅力を言葉にしてしまう自分のこの行為は果たして正しいことなのだろうか、と。
それでも良いものを見た時には遅かれ早かれ何か言葉が浮かんでくるから、どうにか文章に表せそうだと思って書く。目の前の言葉をぐるぐるこねこねぺたぺたして形らしきものが立ち現れてくる。

何のためにパソコンの前でこんなにずーっと「ぬ〜〜」と言っているのかわからない。ただの自己満足であることは重々承知で時間も体力も気力も費やして書いている、どうして?

まだ私はその答えを掴めていないし、これからずっと考えていくことなのだと思う。それくらい「書く」ということは不思議で、私の心に取り憑いているまじないのようなもののように感じる。
ただ一つとても良いことがあって、書くことのまじないに取り憑かれた私の文章を、誰かが喜んで読んでくれるという奇跡みたいなことがある。

久しぶりに日記ではない記事を書いてそんなことを思った。


2024/07/25

7月末で切れる映画のチケットを引き出しから発見。急いで観に行く。
これまで避けて通ってきたコスメやアクセサリーや服のお店に頑張って入っていく。
服やアクセサリーは嫌いなわけではないけれど、凝りすぎて疲れることを恐れて人並みかちょっと下くらい。
メイクやコスメは元々あまり興味がなくて、言うのが憚られるくらい前に買ったコスメをいまだに使っている。(流石にファンデーションとかは買ってるけど)
髪を派手にしたものだから少しはちゃんとしないとなー、と思い腰を上げた。という次第だけど、(メイクは特に)何からしたらいいかわからない。ちょっと前に突如やる気を出してYouTubeで小田切ヒロさんのメイク動画を見たけれど、ベースメイクでギブアップだった。何してるか全然理解できない。
何となくふわっと「海外セレブではないけど、外国の女の子になりたい〜。雑誌でいるとファッジ・ジゼルあたりとか…(????覚えたての名前を羅列)」とイメージはあるから、詳しそうな人に聞いてみるか〜

とか言いながらまた社会学の本を読み出した。先は長そう。


2024/07/26

あんなに嫌だ嫌だと思っていた検定試験も、面接にて庭園の話で盛り上がり、エキゾチックなテーマの文章しか出てこないPCテストに笑いながら「なんかおもろいじゃん〜〜!」となって帰ってきた。
だから、何が楽しいのかつまらないのかは自分自身である程度決められそうだと思った。目の前のよく分からない・つまらない・大変そうなことをいつまでも面白がれたら良いな。

結果は置いておくとして…


2024/07/27

食べて寝て、食べて寝て、フジロック配信を見て、食べて寝る。という一日。お昼寝なぞ久しくしていないので、「お昼寝の仕方忘れちゃうから〜」とか何とか理由をつけてスヤスヤ眠った。
くるりの配信時間になって飛び起きる。California Coconutsがとても良くて、やっぱり去年の秋のことを思い出す。くるりはあまり通ってこなかったけれど、昨年の「くるりのえいが」には何故か心を奪われて、わざわざ遠めの映画館まで見にいった覚えがある。
3人にしか分からない共通言語というかテレパシーみたいなものが常にある空間だな、すごいや、と思いながら観ていた。

そう、この曲は夏に聴きたかった。


2024/07/28

去年の今日のことはよく覚えていて。

学校のカウンセラーの先生に精神科病院への紹介状を書いてもらった。普段はリモートでカウンセリングを受けていたから「直接会うのは久しぶりですね。」と言われ、さらに生年月日を見て「あらま。」と驚かれた。

学校を後にして、当時偶然にも私の通う学校近くへ引っ越したばかりの兄のアパートへ行った。
「食べたいもの選んでいいよ」と言われて、私はピザを選んだ。近くのお店へ注文してから取りに行った。サラダ類は確か家で作ってくれていた。
私は家から手作りのキャロットケーキを持っていったため、それをデザートとして食べた。
食事が終わった後は、延々とNetflixで「孤独のグルメ」を観ながら、水分補給をするかのようにハイボールを飲み続けた。寝る前にも甘酒みたいな甘さの日本酒を味見させてもらった。明け方に頭痛で目が覚めたのはいうまでもなし。


ここまではっきりと記憶にあっても、そこにないのはその日の自分の感情。
心の中には恐怖のグラデーションしかない。とっても怖いのか、少しだけ怖いのか。恐怖が前面に出てくるのか、少し陰に隠れているのか。
決してなくならない恐怖を飼い慣らす兆しが見えるだろうか、と思いつつも、手に負えないからと諦めようともしていた。
「こんな世界に生きていても」「果たして明日も息しているのか」と諦念と疑念を投げかけながら過ごしていた。もちろん自分に対して。

もう一度この日付を見るとは、正直思っていなかった。
だから、一年を経るということは当たり前のことではないし、しっかり身体の熱を自分の中に留めておけたというそのことだけで、十分に祝福されるべきことだと思う。
そして、その間に出会ったたくさんの素敵な人やものや場所には感謝をしてもしきれない。

私が生きる理由だと思えるものがこんなにもこの世界にあるとは、励ましてくれるとは、一年前の私は知らなかった。


2024/07/29

ダウンドッグとプランクを永遠に繰り返すヨガのレッスンを受け、ダメージ大。ありゃ大変じゃ…

見て見ぬふりをしていたレポートを一つ終わらせないと、本当の意味で夏休みが来ない。終わりよければ全て良し、にはあまりにも最後のプレッシャーが大きいので、困難は分割せよの方が好き。シェイクスピアよりデカルト。(この名言については、の話)

手紙書いたり、好きな本屋さんでのんびり本を選びたいな、と思う。せかせかする日々から少し距離を取りたい。


2024/07/30

今日はお買い物だけの予定。月末までのクーポンを使い切るという算段。

NIKEショップに行ったら、あの、ずっと欲しかった、白地に黒と青のラインの、あの、コルテッツに出会った。うううううれしいぃぃぃぃ。
春先にコルテッツのあのフォルムに惚れてからすぐに探しに行ったのだけれど、一番スタンダードなカラーには巡り会えずにクリームイエローカラーのコルテッツを買って帰った。(もちろんその子も好きだけれど)
だから今日はスタンダードコルテッツに出会えた喜びで即座に購入を決意した。もうそれだけで満足。

帰宅したらAmazonで注文していた紫シャンプーが届いていたので、すぐに使ってみる。
…金色が強くなっていたはずの己の髪が落ち着き、望みのホワイトブロンドに戻っている!!!!!ありがとう紫シャンプー、ありがとう補色。

いつの日かの私が勝手に入れてしまったバイトまみれの1週間を癒した日。


最近たまに初期の記事を読み返すことがあるのですが、「うわぁ…」「こんな書き方してたんだ…」と恥ずかしくなったり手直ししたくなります。でも、自分への戒めとして変化の証としてそのままにしておくことにします。

みなさんもよかったら遡って読んでみてください〜(不慣れな様子にちょっと引いてもそっとしておいてね)

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