ひとつ前の記事の続きになります。 2022年7月に入社した会社を2023年10月をもって退職することになりました。 その理由としては、多分「解雇」です。 10月4日に「アルバイトになった欲しい」と言われました。 その理由は、 とのことでした。 後から言われたのは 「会社の経営が赤字すぎるからこの提案をせざるを得なかったんだよね」とのことです。 私の頭の中は一瞬で 「はい、さようなら」です。 でも、こういう場合どうしたらいいのか、全くわからないので、労働基準監督署に
WEBデザイナーになりたく、未経験OKと書かれたベンチャー企業に就職して1年と3ヵ月が経ったので近況を残します。 WEBデザイナーになりたいと思ったのは、2022年の4月頃。 そこから未経験でもWEBデザイナーとして雇ってくれる会社はないか探し、未経験でも雇ってくれる会社を見つけたのです。 その企業で2ヶ月間働いてみて、両者良いなと思ったら就職するというものでした。 私の雰囲気や私の普段の仕事の様子を見てくれてか、まだお試し期間の2週間くらいで「一緒に働きたいと思っている
就活をしていたらこんなものを見ました 「若者正社員チャレンジ事業」というパンフレット これは 29歳以下の人 正社員として3年以上務めたことがない人 が対象となります これはとても良いチャンス!と思いました 会社員として働いたことない私は、会社員として働く自分の想像も出来なかったし、どんなことをやるのか分からなかったので一度インターンンをする気持ちとして参加することにしました。 何人かアドバイザーがついてくれて、 人によっては「参加するなら面接までちゃんとした方
タイミーという画期的なアプリがあるのをご存じでしょうか? 私も気仙沼のワーホリに行くまで全く聞いたこともなかったのですが、 ある大学ではこのアプリが流行っていたみたいなので、 私も興味があるのでやることにしました。 これは、自分の好きな時間にバイトに行ける というアプリで、 アプリをダウンロードして簡単な情報を入力するだけで アルバイトに行けるっていうやつ。 履歴書も面接も説明会もないんです。 え、大丈夫なの? 色んな意味で。。。 と思いましたが,興味があったの
ふるさとワーキングホリデー2か所目は徳島県徳島市です。 2021年12月14日~12月28日の2週間で行きました。 なぜ徳島市に行こうと思ったのかというと 気仙沼ワーホリの楽しさと、初めてのことばかりの新鮮さと、吸収さが自分で感じられるくらいすごすぎて、またすぐに他の地のワーホリに行きたいと思い、ワーホリのHPを見ていたら 徳島市で保育士を募集しているページを発見したのです。 田舎で育つ子どもはどんななんだろうと興味を持った私は すぐに応募しました。 他に特にやりた
ふるさとワーキングホリデーでの9泊10日の気仙沼でのワーホリのこと。 (行った時期は2021年11月12日~11月21日) 9泊10日中、働いた期間は4日くらいで、その他は地域を知るためにスタッフの人が地域のお店等を案内してくれり、地域のイベントに一緒に参加したり、観光地を巡ったりと毎日が刺激的で1日1日が本当に濃い9日間でした。 どんな場所で働いていたのかというと、 ゲストハウスのお手伝いのようなことをしました。 2階の部屋を少しリノベーションをしたり、庭にあるサウナを
どなたかゲストハウスでボランティア募集していませんか?色んな方と交流をしたり、ゲストハウス経営をどのようにやっているのか勉強をしたいのです。東京、神奈川辺りで募集をしていたらぜひお手伝いさせていただきたいです! #ゲストハウス #ボランティア
ふるさとワーキングホリデーに参加したことのお話をします。 ふるさとワーキングホリデーに行こうと思ったのは、 2021年7月頃のことでした。 せっかくの夏!仕事もしていない、これは念願の長期休み! ということで、好きなことをして遊ぼう! と思った私は、 ふるさとワーキングホリデーのパンフレットを見つけたのです。 ホームページを見て、 海に近そうな地域はどこかな・・。 なぜなら、海で遊びたいから!夏といったら海です。 そして、念願だったサーフィンをやりたい! 地方だ
ふるさとワーキングホリデーとは、 総務省が管轄している、田舎にもっと人を送ろう作戦 みたいなプログラムで、地方に若者を移住させるために、 地方に行ってバイトをしながら、2週間~1か月くらいその場を知る っていうやつです。 多分、年齢制限とかはない気がします。 海外のワーホリは30歳までってありますよね。 私も30歳までに海外のワーホリに行ってみたいです。 あと3年以内ですか・・。 さて、私が、どのようにこれを見つけて、なぜ参加しようかと思ったのかというと、
仕事を辞めてからやりたいことは山ほど出てきます。 英語を学びたいと思っていたから 英語の本を買って勉強したり、 ベビーシッターをやってみたいと思ったら ベビーシッターの会社に登録したら、研修時間70時間くらいの その会社の保育所でバイトすることになったり、 なんやかんやしていましたが、 私はパソコンを習いたかったのです。 ということで、ハローワークでやっている 公共職業訓練というものに通うことにしました。 まずは、ハローワークの人に 「職業訓練でパソコン
2021年5月から仕事に行かなくなり、6月に正式に辞めました。 なかなか辞めさせてくれない職場だったので、強行突破というふうに なってしまったのかもしれませんが、その頃の私はそれでよかったんだと 思います。 過ごす環境も、子どもたちも他の何人かの先生も保護者も好きだけど、トップの人種差別的な発言、人の生い立ちを無理やり聞いて親の批判、職員への暴力(若い私たちからしたら暴力と思うけど、本人からしたら世代的に愛情みたいです)言い出したらきりがないので、ストップします、、。
大学を卒業した後の2年間、1年ずつと違う幼稚園に勤務し、仕事を辞めた私は、ハローワークに行きました。 なぜハローワークに行ったのかというと、ちょうどその時期に何人かの友人も仕事を辞め、 ハローワークに行き、失業保険(お金)をもらっているということを 教えてもらったため、私もそのお金をもらいに行こうと思ったのです。 失業保険、今では雇用保険というみたいです。 仕組みは私もよく分かりませんが、 私は合計2年間正社員として働いてきて、社会保険を払ってきたので 仕事をしていない
大学のいつ頃に就職先を決めて、大学卒業後の2年間、どのように働いていたのか、その職場はどうだったのか、社会人として過ごしてどう感じたのか、正直に書いていきます。 私は大学を卒業してから幼稚園に就職しました。 大学での就活 この大学に入ったのは保育士になりたかったからです。 ですが、なぜ保育士ではなく、幼稚園で働こうと思ったのかというと、実習に行ってみたりして、なんとなく感じたのは、保育園の先生よりも、幼稚園の先生の方が大変そうと思ったからです。 保育園は一クラスを複
自分の人生をたどって、順番に書いていこうと思ったんだけど、そんなことをしていると、今感じている感情や考え方、気持ちを忘れそうだから時折”今”の自分をはさんでいこう思います。 就活とは? 私は日本の大学生がやっている、 業界とは、とか、20社受けた、とかいう就職活動をやったことがありませんでした。 どこからどこまでが就活というのか分からないけれども、私は正社員になるために仕事の種類を調べたり、会社を調べたり、企業交流会に行ったりするのを就活だと勝手に自分で思っています。
高校生くらいの時、将来何をしようかなと考え始めた頃から保育士になりたいと思うようになりました。 (上の写真は何かの授業で手袋で作った鳥です) 小学生の頃を思い出してみると 小学生の頃、弟がほしくて、でもうちには兄しかいなくて でも小さい子って可愛いよな~と思っていました。 小学生の頃、ひまだし、小さい子と遊びたいという理由で小学校の 目の前にある保育園にピンポンして「一緒に遊んでいいですか?」と 訪問し、一緒に遊ぶほどでした。おやつももらってしまって。 当時の私は”保
一番初めに書いた記事におおまかな自己紹介をしています。プロフィールを押せばそれが見れると思います。 それを基に今の私になっていく過程をどんどこ記事にしていき、自己理解を深め、自分の思っている事、感じていることや経験を発言・文章化していきたいと思っています。 (上の写真は実際のクラスです。授業の合間の休み時間です) 小・中学生の私 私は、台湾で生まれてすぐに日本にやってきた。日本と台湾のハーフ ということで、小さい頃から学校の長期休みがあると、母の台湾の実家に帰っていま