パッションフルーツ先輩とのおしゃべり
人工授粉の甲斐あってか、再び庭のパッションフルーツは次々と実をつけるようになってくれた。
こんなのがあちらこちらにぶら下がっている。
なんだか小型恐竜の卵みたいだ。生まれてくるのはきっと鳥型。
パッションフルーツの受粉をしていて気が付いたのだが、おしべはわざわざ下を向いていて、めしべからすると裏側に花粉がついている。
これでは同じ花におしべがあっても、風が吹いたくらいでは自力で受粉しなさそうだ。
せっかくおしべもめしべも自前で揃えているのに、なんでわざわざこんな構造になっているんだろう?
これはご本人に確認だ。
私「(前略)というのは、どうしてでしょうか?自分で受粉できた方が何かと都合が良いと思うのですが。」
パ「助け合い。誰かに介入してもらうことで繋がる。それが輪になる。それが宇宙。他者を必要としない命はない。自己完結では意味がない。広がらない。宇宙というのは広がり続けるものだから。」
私「なるほど。」
パ「そもそも私のような蔓植物は樹木のように幹がない。何かに絡みついて広がっていくものだ。」
私「それって自立じゃなくて何かに依存してるってことですか?」
パ「人間が使う依存の意味とは違う。人間の言う依存は、そこに喜びは生じない。何かを生かすものではない。自然の中の "依存" は何かを生み出すものだ。」
私「なるほど。としか言えません。深いです。でもそうしてせっかく実った実、全部私が食べちゃうんですよ。パッション先輩にはあまり益がなくないですか?」
パ「誰かに喜びを発してもらうことが私たちの存在意義だ。この世界に喜びのエネルギーを発してもらうために存在する。植物は自分たちだけが繁栄するために存在しているのではない。この世界に喜びが発せられる素地を作るのが私たちの役目。巡り巡って、そのエネルギーが私たちの一番の栄養になる。」
私「深い発言の連続で倒れそうです。クラクラしてきました。」
昨年カインズでこの苗を買った時は、まさかこんなことを教わることになろうとは微塵も思ってもみなかった。
私「色々教えてくださってありがとうございます。お話しするたびに植物先輩、いや、世界を見る目が変わります。でも今日はもうお腹(頭?胸?)いっぱいなので、この辺で。」