【日刊辛愛媛】九州1強に挑む第6都市の挑戦。そして四国1強に挑む松山の現在地
◎地方の大都市を示す用語に「札仙広福」がある。今いちばん勢いのある街は福、福岡(博多)といえる
論より証拠でコロナ禍を含めたこの10年で全都市を巡り、直近では広島と福岡を複数回訪れたが、市街地再開発事業、地下鉄延伸、空港や道路などの都市基盤整備といった具合に、福岡の発展ぶりは急速かつ大規模で断トツだ。
それに呼応するように国内外からビジネス・観光客が押し寄せている。筆者らが日常取引する銀行や各社の担当者は、福岡転勤から戻ってきた人は懐かしく、これから赴任という人は不安より期待が大きいと語る。
長崎は九州の第6都市か?
一方、九州西端の県庁所在地である長崎市。単純に市域人口で見れば、1位の福岡から順に、北九州、熊本(以上政令市)、鹿児島と続き、47万の大分市にも抜かれて、第6の位置にある。とはいえ、鎖国中にも世界に開かれた歴史的港湾都市であり、日本三大夜景の一つに入る言わずとしれた国際観光都市である。
ただ、元々平坦な可住地面積が小さく、斜面に貼り付くように建物が密集しているため、数字以上に都会的な印象を受けるが、ここも人口減少は著しい。筆者は近年2回訪れたが、正直なところ寂れた空気は感じられなかった。
しかし、市の地盤沈下の危機感は著しく、ちょうどその頃、西九州新幹線開業に沸き、新駅舎を軸に新しいまちづくりが始まったところだった。
そして、その完成形とも言えるのが、サッカー専用スタジアムとアリーナ、ホテルやレストラン、会議場と商業施設を備えた「長崎スタジアムシティ」である。開業は10月14日。三菱重工業長崎造船所跡地に建ち、総工費は約1,000憶で、13,000人の雇用創出を見込んでいる。
↓ちなみに、坂の街・長崎に相応しい交通体系を他記事で既報提案
直に聴いてみると低かったジャパネットたかた創業者の声
さて、長崎出身の実業家といえば、まず思い浮かぶのがジャパネットたかた創業者で前社長の高田明氏だろう。この長崎スタジアムシティを構想段階から指揮したのは同氏であり、現社長で子息の高田旭人氏である。何より明氏は地元のサッカーJ2のV.ファーレン長崎の社長を務め、バスケットB1の長崎ヴェルカと合わせてプロ競技チームのパフォーマンスを最大限披露できる舞台を整えた。
筆者はかつて、日経新聞が主催した特別講演会に抽選で当たり、彼の肉声を間近で聞けた。
印象に残った話は大要以下の通り。
・大学卒業後、得意の英語を活かそうと就職した会社では駐在員としてヨーロッパ各国を巡り、ビジネスを通して多くの人と交流した。
・人と人を近づけるのは歌である。その国の民族音楽を覚えては披露すると、どこも一瞬で笑顔になり心通いあってそれを実感した(実際に歌唱)。
・道半ばで家業のカメラ店を継ぐことになり、長崎へ帰郷。団体客が泊まるホテルの宴会場で撮影した写真を一晩で現像、翌日のチェックアウトに届けたのが好評となった。
等々
その後、同社の前進は1990年、長崎放送のラジオショッピングから始まる。1回たった5分の放送で2万円のコンパクトカメラ50個を売った高田氏は自信を深めテレビショッピングへ(同社HPより)、やがて文字通りジャパネットの販売網を全国に広げ、その後の発展は誰もが知るところだ。
同社躍進のカギは、何といっても創業者の熱意に溢れた高い声。独特のイントネーションとアクセントで消費者の購買意欲を刺激しまくった。
しかし、筆者が実際に聴いた高田氏の講演は終始ゆっくりと落ちついた低い声で、最初アレ?っと違和感があったが、テレビとのあまりのギャップが逆に一言一言胸に響いた。
ちなみに現社長の旭人氏はテレビには出ず、ショッピングの司会は弟子というのか、32名の男性と女性17名が奮闘して切磋琢磨させている(訂正10/7)。
中でも1人だけ高田氏のかん高い声は無理として、彼のセールストークのテンポ、間合い、発声の強弱をそのまま忠実に再現しようと心がけている一番のイケメンがいる。彼が司会の一番弟子なのか?いつかそれぞれの評価を聞いてみたい。
再生にかける有志の数だけ地方が生き残れる時代
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