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千住の魅力とは?「サンダル履きでアートに出会えるまち」ー北千住「島」プロジェクト 管理人・鶴巻俊治さんインタビュー【前編】

大手建設会社に勤める傍ら、北千住「島」プロジェクトの管理人として独自の視点から千住の魅力を発信している鶴巻俊治さん。普段の仕事では高層建築を手がけることも多いという鶴巻さんがなぜ千住の路地に惹かれ、まちづくりに関わるようになったのか? そして、変わりゆく千住のまちについて鶴巻さんはどう感じているのか? 綴方書窓のふたりが話を伺った。まずはその【前編】をお送りする。


住んでみて気づいた千住の魅力

◆鶴巻さんはいつ頃から千住にお住まいなんですか?

2003年に引越してきて、そこからずっと千住で暮らしてます。
そのまえの10年間はいわゆる転勤族で、あちこちを転々としてました。
引越し癖みたいになってたので、千住に越してきてからも「3年でどっか引越しする?」なんて妻とは話してたんですけど、もう20年くらい同じ場所に住んでますね。

鶴巻俊治(つるまき としはる)
会社員(一級建築士)/北千住「島」プロジェクト 管理人/千住いえまち 会長
新潟県出身。新潟大学大学院修了。1992年より建設会社に勤務。3児のパパ。

千住に住むことにした理由は、妻の実家があったからです。
でも、当初は自分たちが千住に住むことになるとは思ってませんでした。
というのも、結婚した頃は北千住駅の隣の綾瀬に住んでたんですが、当時、千住には敷居の高いイメージを持ってました。
綾瀬なら、ぼくらみたいな新婚の夫婦が借りるのにも手頃なアパートがいくつもあったけれど、千住だと空き物件自体がなかなか見つからなくて。
それで、自分たちの力だけで千住に住むのは難しいだろうと諦めてました。

ところが、妻の実家の近くに公団の団地があって、転勤で東京に戻ってくるタイミングで申し込んでみたら、たまたま当たって入ることができたんです。
2006年には千住に家を建てることになるんですが、それまでの3年間は、その公団に住んでました。

◆実際に千住で暮らしてみた印象はどうでした?

それがすごく面白かったんですよね。休日になると、いろんな場所でたくさんのイベントがあったりして。
当時、子どもがまだ小さかったので、休みの日になると子どもを抱えて近所をよくウロチョロしてました。それで、千住のまちなかを散策してると、いつのまにか知らないイベントに巻き込まれてて、楽しく一日を過ごすことができたんです。
それは例えば、郊外の自宅からショッピングモールに車で出かけて行って、そこで休日を過ごすのとはまったく違う体験なんですよね。そのことがぼくの目にはとても新鮮に映りました。
なので、実際に住んでみて千住の印象はすごく変わりましたね。

もしも千住がひとつの「島」だったとしたら?

◆2014年には、「北千住『島』プロジェクト」(以下、島プロ)を始められました。それは、何かきっかけがあったんですか?

島プロを始める前に、「イミグレーション・ミュージアム・東京(通称IMM Tokyo)」という「音まち千住の縁」(以下、音まち)のアートプロジェクトに参加してました。

千住という地域に魅力を感じて、なにかしら関わりを持ちたいと思ってたときに出会ったのが、音まちさんだったんです。
IMM Tokyoは、日本に暮らす外国ルーツの方々の生活や文化を共有するというコンセプトで、そのときはわれわれ市民も一緒になってアートの展示をしました。
そこで地域と関わるのってやっぱり面白いなと思って、そこから何年か続けて音まちさんのプロジェクトに参加しました。
でも、平日の昼間は仕事してるし、土日も子育てとかあって、なかなか自由に身動きが取れなかった。そこで考えたぼくなりの関わりしろが、島プロでした。

島プロは、隅田川と荒川にはさまれた千住エリアがもしかしたらひとつの「島」なんじゃないかという、ぼくの妄想から始まってます。
その島の淵のほうにはユートピアがあって、そこに住んでる人しか知らない、ぼくらが見たことないような風景が広がってるかもしれない。だったら、それを見てみたいなと思って、毎週、日曜日の朝にひとりで歩きはじめたんです。
まだ家族が寝てる時間にこそっと起きだして、2〜3時間、車で目的地まで行っては、あらかじめ地図の中に一筆書きで書いておいた道順をなぞるように自分で実際に歩いてみました。かなりマニアックなんですけど(笑)。
それで、ダンジョンをクリアしてくみたいにいくつかのエリアを回っては、それをFacebookに投稿していき、約一年半かけて、島をひと通り回りきりました。

使い込まれた路地と出会う

◆島プロのFacebookでは、千住の路地の魅力についても発信されていますね。

島の中を回ってくうちに、なんとなく路地がすごく多いことに気がついたんです。
それも生活に密着してて、みんながすごい路地を使い込んでるんですよね。それがとても魅力的に見えました。
使い古された文房具や住居とかもそうですけど、なぜか羨ましいと思うことってあるじゃないですか。あれと一緒で、路地がちゃんと使い込まれてて、そこに惹かれました。
これがごく普通の一般道路であれば、車も通行するので人の手で使い込むみたいなことってできませんよね。それは路地じゃなきゃできないことっていうか、路地だからこそできることっていうか。生活の痕跡が残ってるというのが大きいんだと思います。

提供:北千住「島」プロジェクト

そもそも路地って消える運命にあるんですよ。
建築基準法が昭和25年に施行されて、それ以降、路地(2項道路)をつくりたくてもつくれなくなりました。もし路地に面してる家でも建て替えようと思ったら、家をセットバックしなきゃいけない。それは防災上、必要なことではあるんです。
だけど、それから70年とか経って、いまだに路地が残ってるっていうのは、それだけ住民の方々が路地に魅力を感じてて、建て替えずにそのまま使ってるってことなのかもしれません。だから千住には、いまだに路地がたくさん残ってるんじゃないのかな。
そして、それがこのまちの雰囲気をつくったり、魅力にもつながったりしてるんだと思います。

提供:北千住「島」プロジェクト

新しくできた建物とかキレイな建物って、どことなく緊張感が漂ってるじゃないですか。そういう場所って、休日にサンダル履きだったり、着古したジャージだったりで出かけていって、時間を過ごすっていうのが、ちょっと憚れるようなところがありますよね。
ぼくが千住の魅力だなと思うのは、まちなかにアートスペースがあって、休みの日にふらっとサンダルで展示を見に行って、サッと帰ってこられるみたいな気楽さがあるところなんですよね。それって都心のオシャレな美術館とかじゃ絶対できないじゃないですか。
まあ、それがいいかどうかは人によるでしょうけど、ぼくは好きなところです(笑)。

【後編】へ続く


2022年12月10日
北千住・P-KUN CAFE
取材=綴方書窓
文・構成=萩庭 真

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