やっほう鬼と巫女
ある山の奥に、『やっほうの橋』という、橋がありました。
深い谷川にかかる橋でしたが、渡るとちゅうで、
「やっほう」
と、声が聞こえても、決して、こたえてはいけない、と、言われておりました。その声の主は、鬼であるから、こたえれば、とってくわれてしまう、と、村の人々は、たいそう恐れているのでした。
その村には、古い神社があって、山の向こうの村から修行に来ている、まだ年の若い巫女がおりました。
ある日、巫女の母親が病気でたおれた、と、知らせがあり、巫女は、家に帰ることになりました。
まわりのものは、時間がかかっても、山道を通らずに帰るよう、すすめましたが、巫女は、早く母親に会いたい一心で、山道を通って帰ることにしました。
どのくらい歩いたでしょう、昼近くになって、山の奥深く、谷川にかかる橋につきました。
「もし、『やっほう』と声が聞こえても、決してこたえずに、静かに通り過ぎること。」
住職さんに言われた言葉を思い出して、巫女は、橋に足をかけました。
(はやく、はやく渡ってしまおう)
いそぎ足で、橋の中ほどまできたとき、
「やっほう」
ひどく、かすれた、ひくい声が、聞こえました。
巫女はいっしゅん、足を止めそうになりましたが、なお、いっそうはやく、走るようにして、橋を渡り切りました。
巫女が、最後の一歩を、地面にふみだした、そのとたん、山の上からなにかが転がるように、がらがらと落ちてきました。
土ぼこりをもうもうとたてて、立っていたのは、どっかりと、大きな鬼でした。
「おれの橋、わたったもんは、おれの家に、しょうたいしよう。」
鬼は大きな口を、にっかりと開けて、笑って言いました。
「誰が、鬼の家になど行くものか。そこをどきなさい。」
巫女は、よくとおる美しい声で、そう言うと、鬼をにらみつけました。
すると、鬼は大きな体をしぼませるようにして、しゃがみこみ、大粒の涙を、ぽとり、ぽとり、と、流しはじめました。
「ああ、ああ、そうだ、いつだって、そうだった。ああ、ああ、だあれも、鬼の家になど、来てはくれない、ああ、ああ、どうして鬼は怖いのか。」
「鬼よ、なぜ、泣く? お前は、たくさんの人を取って食ってきました。怖がられても、しかたがないであろう?」
巫女がそう聞くと、鬼は、顔をあげて言いました。
「取って食ったりしない、おれは、取って食ったりしないぞ!人間は、鬼が出たと、おれを怖がって、あわてて、逃げて、谷川に落ちて行った。おれは、なにもしていないのに!」
そう言って、鬼はまた、ぐおんぐおん、と声をあげて泣きました。
「鬼よ、わかった、よく聞きなさい。わたしは今から、病気のおっかさんの所へ帰ります。おっかさんの病がよくなったら、必ずまた、ここへ戻ってきましょう。そうしたら、また、お前の家へ、招待してくれますか?」
鬼は、とたんに、にっかりと笑いました。そして、がけを登って、いっしゅん、見えなくなったと思うと、また、土けむりをあげて、転がり落ちるように、もどってきました。
「これ、おっかさんに、のませろ。鬼の薬だ。どんな、病気でも、なおる。」
鬼の手のひらにのった、小さな葉っぱにつつまれた薬をうけとると、巫女は、お礼を言って、山をおりていきました。
「約束だぞ、きっと、きっと、もどってこいよ、待ってるぞ!」
「やっほう!ぶじか?」
「やっほう!だいじょうぶか?」
鬼の声は、だんだん小さくなっていきましたが、その声が聞こえるたびに、
「やっほう!」
「やっほう!」
と、巫女も、美しい声をひびかせて、こたえてやるのでした。
鬼の薬をのむと、おっかさんの病は、すっかりよくなりました。
『どんな病でもなおしてくれる鬼の薬』の評判は、あっというまに知れ渡り、病に困っている人々は、山を登って、鬼に会いにいきました。
鬼は、いつも、ていねいに薬をわたして、だれにでも親切にしてやりましたので、人々は、たいそうよろこんで、『やっほうさん』と、親しみをこめて、呼ぶようになりました。
住職さんは、このありがたい話をきいて、この山に、末社をたてました。
そして、あの巫女が、この末社に仕えて、鬼とともに、山に登ってくる人々を、助けたということです。