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『ワイバーンの影を追え』 第1章

ジェラルド ヘイワード 作 田中 美奈子 訳

第1章

苦肉の策

 三日後、エンサムが十字軍に召集をかけた。例の全体戦略会議だ。カイラン達も後ろの方の席で話を聞く。

「皆よく聞け。ゴーレム討伐作戦はすでに半年以上経過している。国王からは次でしっかり決着をつけるようにと伝令があった。よって、今日から七日目の夜を最終決戦とし、それまでに、準備することがある」エンサムの口ぶりはやけに勿体ぶっていた。

 調達隊が叫ぶ。「軍長、投擲機の岩なら当日までに山を谷にする勢いで切り出します! お任せください!」

「あぁ、頼む。しかし必要でなくなるかもしれん。というのは…」エンサムは躊躇いながら続けた。「三千年の眠りについている大魔導師ライヴラを復活させる! 対ゴーレムの切り札として!」全体がざわめいた。その後復活の儀式の陣形やリハーサル、復活後の世話係、交渉役等が粛々と告げられた。カイラン達は正規軍では無いので今回の作戦では蚊帳の外だった。

 カイラン達は宿に戻った。
 リリスは魔法使いのため、大魔導師ライヴラの復活に極度に興奮していた。

「ライヴラ様は三千年前にワイバーンを封印するためにこの星のマナを大量に消費し、生命のバランスが大きく崩れた。それがうまく作用してモンスターや幻獣が激減したわ。但し生命や魔法の根源であるマナの回復には何千年もかかる。それでライヴラ様はこの星と共に長い休眠期に入ったというわ。ライヴラ様ならゴーレムなんて埃を払うように倒してくれるはずよ」

「でもやはり、軍長は乗り気じゃ無いな。国王の決定は対ゴーレムではなく、ワイバーンを再度封印することにあるだろう。ゴーレムは準備運動みたいなもんだ」

 グリムはこの話にあまりピンときていなかった。もともとドワーフは世間と関わりなく炭鉱で暮らす種族だ。「俺も大魔導師の伝説なら少し聞き覚えがあるがよ、そんなに強えのになんでさっさと手を打たなかったんだ?」

「ワイバーンは世界的脅威だ。もちろん三千年前もそうだった。しかしワイバーン誕生前の世界的脅威は、ライヴラ様だった」

 グリムはこれを聞いてギョッとした。

「ライヴラ様は邪悪な存在などでは決してないが、規格外の力に対してはどんな種族も気が気でないのさ。悪意を持って利用しようとする奴もいれば、誤った噂を流す奴もいる。そういう奴らは例外なくライヴラ様に魔法で焼き殺されたが、そういう行為にまた尾鰭がついて広がる。ワイバーンが誕生したときに全種族が願ったのは、ライヴラ様が相打ちになることさ」

「そんなひでぇ話、あるかよ!」グリムは銀製のビールジョッキを握りつぶした。

「もちろんライヴラ様を理解する者も相当数いたけど、不安と狂騒は一度火がつくと止められないからな。そういう言い伝えがあるからなかなかこの作戦に踏み切れなかったんだろう」カイランが言い終わる前にリリスが被せた。「ライヴラ様は必ず私たちをお救いくださる。私たち半魔族は三千年前、ライヴラ様に忠誠を誓い最後まで一緒に戦った種族よ!」

「もちろんだとも。ライヴラ様をもう一つの脅威だなんて誰も思っちゃいない。復活の儀は必ず見に行こう」

 一方その頃、エンサムと一部の隊長らで、話し合いは続いていた。

「大魔導師を復活させること自体はそれほど難しいことではない。死の黒魔術の知識を逆に使えば、仮死者を蘇らせることもできる。ただし、その後の手綱が必要になる」

 隊長のひとりが眉間に皺を寄せている。「新たな邪悪の誕生とまでは流石に思わんが、三千年前、迫害していた大魔導師をけしかけて利用し、ワイバーン戦ではわざとマナを消耗させるよう足を引っ張った種族がいると…。それが三千年のちに、また手前勝手な都合で眠りを妨げられたとあっては…。蘇らせることができたとしても、並の手綱では心許ない」

「とにかく大魔導師の世話係をアザム、お前に任せる。お前の部隊から人選してくれ。くれぐれも大魔導師の機嫌を損なうことだけは絶対ないようにな。三千年前のことなど誰の記憶も定かでない。あれはあれ、これはこれとして、精一杯誠意を尽くすように。供物も可能な限り集めよ!」

 町はゴーレムの襲撃の前に、すでに蜂の巣をつついたようになっていた。

 それから数日経ち、いよいよ大魔導師ライヴラの復活の儀式が行われることになった。大掛かりな祭壇を作り、五人のネクロマンサーが眠るライヴラを中心とした五芒星の陣の頂点に立ち、呪文の詠唱を行う。詠唱が無事終われば、伝説の大魔導師が復活するのだ。儀式は間も無く始まろうとしている。陣の傍らにエンサムが立ち、周囲を多くの町の人々が取り囲んでいる。カイラン達は昨晩から特等席を陣取っていた。儀式が全体見渡せる、小高い丘の上だ。

 ネクロマンサーの一人がエンサムに訊いた。「それにしても、エンサム殿が言われるような世界的脅威の寝姿を、今日まで手を付けずにいたことは、幸いでしたな」

 エンサムが答える。「そうではない。これまで何人もの者がトドメを刺そうと試みた。だができなかった。試しにライヴラの体に触れてみろ」ネクロマンサーは驚いて首を横に振った。「構わん。害はない」エンサムが続けた。ネクロマンサーが恐る恐る触れてみると、別段変わったところはなかった。頬や肩を触れてみたが起きないだけで普通の感触だ。「特に何も、違和感はありませんが?」

「そうだ。だがこうすると、どうかな」と、エンサムが腰の短剣を鞘から抜き、刃を下にしてライヴラの胸元に突き立てた。「なっ!? 何をなさるおつもりで‼︎」ネクロマンサーが止めるより早くエンサムは短剣に体重を乗せ、ライヴラを突き刺していた。しかし、刃の刺さっている部分からは一滴たりとも血は出ず、眠るライヴラもぴくりとも動かない。「触れると感触はあっただろう? だがこの短剣の刃には突き刺した感覚は一切ない」

「これはどういうことか!? エンサム殿!」

「この眠る魔導師にはいかなる武器も通用しない。ライヴラの実体はここにあるが、同時にどこにも無い。無と有が共存している。これが魔導師の眠りで、誰も彼女に危害を加えられなかった理由だ」

 ネクロマンサーは驚きのあまり声も出せなかった。そのまま、いよいよ儀式の時が来た。実は儀式にはひとつ仕掛けが施されていた。ネクロマンサー達は、復活の呪文の中にもうひとつ呪文を組み込む。それはライヴラが目を覚まし、一番初めに見た者に従うという精神的枷であり、最大の脅威にもなりうるライヴラを制御するための作戦だった。そして、彼女が初めに目にする者が、陣の横に立つエンサムという算段だ。

 儀式がいよいよ始まった。ネクロマンサー達が呪文の詠唱を始めた。「デザト・イグルー・イアミーヴ・イチハルア……」

 やがて雲行きが怪しくなり、小雨が降ってきた。暗雲の向こう側からグログロという音が響く。やがて打ち付けるような嵐になり、地割れと竜巻、雷があちこちに落ちた。ネクロマンサー達は地に伏せながらも詠唱を続け、ついに呪文が完成した時、大混乱がピークとなった。激しい雷がライヴラに落ち、周りの者は弾き飛ばされた。暴風雨でカイラン達が陣取っていた丘が崩れ、地滑りが起きた。カイランは土雪崩を滑り落ちながら突風で天地がわからなくなるほど振り回されて意識を失った。

 どのくらい経っただろうか。カイランは気配を感じ、意識を取り戻した。ゆっくり目を開けると、先ほどの嵐が嘘のように、燦々とした太陽の日差しを遮って彼の顔を覗き込む人の姿があった。それは何と、復活した大魔導師ライヴラであった。「ようやくお目覚めか、田舎騎士よ」妖艶で高飛車な女の声が脳に直接響いてきた。

 エンサムはカイランよりほんの数分早く目を覚ましていた。何とかライヴラのもとに駆け寄ろうとしたが、落雷の衝撃で身体中を打撲し、動けなかった。焦るエンサムの目の前でライヴラは、あろうことかカイランと目を合わせてしまった。「な、何ということだ……」

 カイランは目の前に立つライヴラを見上げながら、その強大な魔力の威圧感に圧倒されていた。ライヴラは冷たい視線を周囲に向け、大声で一喝した。「愚かなり! 我の眠りを妨げる者どもよ! 怒りの雷を喰らうがよい!」

 彼女の言葉に含まれる憤怒の色は濃く、かつて彼女がどれだけの迫害を受けてきたかが容易に想像できた。彼女の目の前で光球が放電しながら膨れ上がり、地面が軽く揺れる。ライヴラはその力を振るい、儀式に関わった者たち全員を消し去ろうとする意思を明確に示していた。

 カイランは咄嗟に反応した。「お待ちを! 彼らはあなたをを攻撃しようとしているわけではありません。彼らは…むしろ、あなたをを頼っています。今はもう、かつてとは違う」

 ライヴラの目がカイランに向けられた。「くだらぬ。貴様は私に意見するのか? ではまず貴様から死ぬがよい!」

 ライヴラが両手を前に構えると、光球は光を失い、萎んで消えてしまった。ライヴラは目の前の青年騎士が自身の魔力の枷となっていることを理解した。

「フハハ! どうやらお前の許可なしでは我が魔力は発動できないらしい。これが意味するところが貴様にわかるか? 貴様は世界最強の魔力を得たのと同じ! この世を支配できる力ぞ!」

 カイランは冷や汗をかきながらも、一歩も引かずに言葉を続けた。「わ、私には恐れ多い力です。もちろん、その力を我がものにしたいと思う者もいるでしょうが、でも、全員がそう望んでいるわけじゃありません。少なくとも、私は違う。私達はあなたの敵ではありません。敵はワイバーンやその他の魔族たちだ」

 ライヴラの目が一瞬細まり、カイランをじっと見据えた。彼女は考えているようだったが、まだ怒りは収まっていない様子だった。

「ほう、それで? 我にしてみればワイバーンか貴様達、どちらを葬るかは順番の差でしかない」

 カイランは内心でため息をつきながらも、ライヴラの性格を感じ取っていた。彼女は強大な力を持っているが、それと同時に誇り高く、反抗的だ。だが、彼女の誇りをくすぐることができれば、力を借りることができるかもしれない。そこで、カイランはわざと挑発するように言葉を選んだ。

「ライヴラ様、確かにあなたは強い。しかし、今の時代、ワイバーンや他の魔族たちは、かつてのあなたを超えようとしている。連中はあなたの復活を予測し、力を蓄えてきました。あなたを倒し、この世界の覇権を握ろうとしている」

 ライヴラはその言葉に眉をひそめ、口元に軽い笑みを浮かべた。「貴様のこざかしい理屈も愉快といえば愉快。ふん、ワイバーンごときがこの私を超えるだと? 笑止千万」

 カイランはその反応を見て、内心でほっとした。「その通りです。だから、奴らを倒すのはあなたにしかできない。私達も協力はしますが、ワイバーンたちの相手はあなたにしか務まりません。まずは、この地を脅かしている脅威、ゴーレムを倒すのに力を貸していただけませんか? 我々も万全の策を練るつもりです。ライヴラ様だけを危険に晒すなどいたしません!」

 ライヴラはしばらく沈黙した後、肩をすくめるようにして言った。「まぁ、少しは退屈凌ぎになればよいがな。ゴーレムなど、策など必要ない。一瞬で塵にしてくれるわ!」

 カイランはライヴラの反応に成功を確信し、彼女の力をどう利用するかを考えつつ、次の行動に移るべき時を待った。ライヴラは反抗的だが、その誇りと力をうまく導けば、彼女は強力な味方となるだろう。

 どうにか事態が落ち着いたのを見計らってエンサムが駆け寄ってきた。「ライヴラ様、全ては今、この者が申したとおりです。今や世界の一大事、貴方様のお力がどうしても必要なのです。ゴーレムが活動を始めるまでまだ日があります。それまでごゆるりとお休みください。何か必要なものがあれば、世話役に申しつけていただければ…」

「いらぬ!」ライヴラは無情にエンサムの話を断ち切った。「我にとって重要なのは我が魔力の枷であるこの者のみ。他の者は無用である」とカイランの二の腕を乱暴に引き寄せた。

「しかしそれでは…」

「くどい! 我はそれほど気が長くないぞ」

 軍長のエンサムですらライヴラの気迫に押され、それ以上話はできなかった。ようやく暴風で飛ばされていたエリス、グリム、リリスがカイランの元へ駆け寄り、特にリリスは緊張し切った風に口数が少なかった。皆がライヴラを宿の方へ案内しようとしたとき、彼女はとんでもないことを口にした。

「さて、仕事をさっさと終わらせるぞ。ゴーレムを今から葬る」ライヴラの言葉に慌てぬ者はいなかったが、彼女の気に触るようなことがあればただでは済まない。皆が言い倦ねるなか、カイランが説明した。「ゴーレムは決まった周期で蘇り、活動します。その晩がくるまではただの土塊です」

「ゴーレムは誰ぞが魔力で作った泥人形ではないか。ならば我が魔力で叩き起こし、命が灯った瞬間にこの世から消し去ってくれる! 田舎騎士とその連れ立ちよ、すぐに一言、『かの者の印を解く』と口にせよ」

「し、しかしそれは性急に過ぎます! 今はまだ誰も準備が…!」

「貴様ら人間は我が眠っている間に、これほども物分かりが悪くなったか? ひとつは、準備など必要ない。ゴーレムは眼を開く猶予すら与えん。もうひとつは、我が気が長くないということを、すでに何度か申したな?」

 これがライヴラの気質か、もしくはかつて敵意を向けた者たちへの怒りがあるのか。いずれにしても発想が恐ろしく直情的で破壊的である。魔力に枷をかけたとて制御などままならない。カイランは答えに困りエンサムの方を見ると、脂汗をかきながらやむなしという面持ちで首を縦に振っていた。

「わかりましたライヴラ様、では。我は魔の盟約に従い、ゴーレムを打ち倒すまでの間、かの者の印を解く!」

 カイランがそう唱えると、一時は止んだ暴風と暗雲が再びライヴラの頭上を中心に渦巻き出した。

「ハハハ! ひとつ条件を加えたな田舎騎士よ! 何千年と変わらず貴様ら人間は小賢しい! だが、余興にはそれで十分!」


 ライヴラが詠唱を始めると、頭上の渦巻きの中心が徐々に広がり、大きく真っ暗な穴が空に開いたようになった。そしてそこから轟音と共にゆっくりと、大きな丸い塊がひとつ、ふたつと顔を覗かせた。そしてそれが五つ穴から出てきたとき、誰の目にもそれが何か明らかになった。それはとてつもなく大きな指で、指につづいて手のひら、手首まで顔を出した。山ですら一掴みできそうな巨大な青白い手であった。そして手はやがて地面に降りると、地響きを立てて土を大きく抉った。地面の土を握り込んだまま、手は肘からまた空の穴へ引っ込み始めた。その時、拳に握り込んだ手に吊られるように地面から土の身体、ゴーレムが掘り出された。頭は拳に握り込まれ、手の上昇につられるように土砂がゴーレムの身体を形作った。あまりのことに皆が呆気にとられるなか、首を吊られたゴーレムは手と一緒に天の穴に引き摺り込まれ、そのまま穴は次第に小さく、やがて完全に閉じ、間も無く風も暗雲も嘘のように立ち消えた。ライヴラはこの数分でマントにかかった土埃を軽く払うと、「こんなくだらぬことでわざわざ我の眠りを妨げるとは…愚かにも程がある。腹が減った。まずは腹ごしらえだ」と、何事もなかったかのように踵を返した。半年以上かけて倒せずにいたゴーレムが赤子の手をひねるかの如く…誰もが戦慄を禁じ得なかった。

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