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機械都市の逃亡者 第1章

山崎 奈緒  作

第1章

暗号

 リサとアレックスは一先ず落ち着きを取り戻し、コーヒーを飲みながらノアが隣の部屋でチップのデータを解析するのを待った。十分ほどして、奥の部屋からノアの呼ぶ声が聞こえた。「もう分かったのか?」アレックスが訊くと、「いいえ、わかったのはどういうフォーマットデータなのかということだけ。暗号化解除すると、出てきたデータは単なるマス目と不規則な数字。おそらく、アナログなクロスワードじゃないかしら。紙に書き出してみると…」ノアはデジタルペンとデジタルメモではなく、この時代ではよほどのレトロマニアでしか使わない、シャープペンシルと紙という消耗品を使って書き出した。紙には走り書きで『そのまま動かないで。表に見張りがいる』と書いてあった。二人はドキッとしたがメモに従い視線も逸らさずに訊いた。「よくわからないわ。ヒントはないかしら」ノアが続けて書き出す。『窓の外のIMIV(インダストリアル ムービング インディペンデント ビークル)、白の電気ビークル。それとその横のGP(ガーディアンポリス)』リサは視線だけ横にして外を確認した。確かに外に白の丸いフォルムをしたIMIVビーグルと、その横のガーディアンポリス、ASP387型GM(ガーディアンモデル)。この時代ではスクラップというほどの古いタイプのアンドロイドだ。「なるほど。デジタルチップにわざわざアナログのパズルデータを入れてるとは、チップの持ち主はパズルゲームのクリエイターか何かか?」アレックスが茶化すように戯けていうが、目は真剣だ。

「とにかくなぞなぞとかトンチみたいなものは普通のコンピュータでは解けないわ。人間様が知恵を絞るか、バイオニューロコンピュータ端末が必要よ」

「ノアの天才的頭脳でダメなら私達でも無理ね。じゃ、この件はギブアップね」ノアはリサの言葉にそうねと頷きながらペンを紙に走らせた。『バイオニューロコンピュータの持ち主に心当たりがある。トイレの窓から出られる』二人が黙って頷くとノアはメモを丸めてポケットに押し込み、そのまま一人ずつ、トイレの中に消えていった。

 トイレの窓から脱出した三人は、ノアの小型ビーグルに乗り込んだ。「どこへ行くの、ノア?」リサの問いには答えずにノアがビークルを走らせた。ノアが助手席のリサにスマホを渡し、「アドレスファイルからレイ・オルティスを検索してビークルのナビにTELナンバーを打ち込んで。モニタで話しながら、誘導してもらうわ」リサが検索で探し出した番号を打ち込もうとすると、ノアが遮って言った。「レイはサイバーセキュリティの専門家なの。こういう緊急の場合は、バックドアから連絡しないと。そのアドレスファイルの番号を後ろから打ち込んで。それが彼のバックドアよ」リサがなるほどというように言われた通り打つと、車内に数回呼び出し音が響き、すぐにナビモニタにオタクっぽい風貌の若い男が映し出された。「ノア、どうしたの? 久しぶり。こっちの番号に連絡してくるなんて、珍しいこともあるもんだ」レイが皮肉っぽくいったが、ノアは気にもせず答えた。

「ちょっと訳ありで。前に何度か話したことがあるでしょ。私の幼馴染のエンジニア」

「あぁ、例のトラブルメーカーの子?」レイは助手席に座っているのが当人だと知らずにそう言った。

「ちょっと待って‼︎ノア! あんた私の変な噂流してるわけ?」

 ノアは慌てて取り繕うように「リサ、今はそれどころじゃないわ! レイ、実はリサが妙なチップを持ってきて、そのチップをどうもガーディアンポリスが狙ってるみたいなの。今追手を巻いて逃げてるところよ。チップの中身はアナログパズルらしくて、あなたのセキュリティクラックのスキルを貸して欲しいの」

「なんか話が突拍子もなくてよくわかんないけど、まぁ後で落ち着いてからゆっくり聞くよ。僕は何をすりゃいいの?」

「とりあえずガーディアンポリスから身を隠せる場所に誘導して。セキュリティ網は町全体に張り巡らされているから、逆にいうとセキュリティシステムを掌握してるあなたなら、セキュリティホールがわかるはずよね?」

「さすがノアだね。わかった。セキュリティの脆弱なルートに誘導するから、オートドライブに切り替えて」

 リサが会話に割って入った。「レイって言ったっけ? あんたのウチに招いてくれるのかしら? さっきのトラブルメーカーの話、詳しく問い詰めたいわね」モニタの向こうでレイが、彼女がノアの言うトラブルメーカー本人だと気付き、「あ〜、僕は彼女について詳しくないよ。ノアに訊いてくれる? それと、今から誘導するのは僕の家じゃない。僕がセキュリティシステム構築に携わった研究施設だよ。今の期間は施設は稼働してないから、一番安全だよ。ボクがリモートでパズルを解析するよ」

「あんたは来てくれないの?」

「僕はソーシャルフォビアでね。モニタ越し以外では人には会わないよ。そのへんはノアに訊いてくれたらわかる」

「対人恐怖症ってやつ? そんなふうには見えないけど?」

「まぁソーシャルフォビアもいろいろあって、僕の場合は恐怖じゃなくてすごく面倒なんだよ」

「人と会うのが面倒でヤダってこと?」

「そうだね。じゃ、リモートでこちらからビークル操作するから、一度通信を切るね。じゃ、後でね」リサがちょっと待ってと言うより早く、プツンとモニタは消えてしまった。それまで黙って話を聞いていたアレックスが「奴は大丈夫なのか?」とノアに訊くと「さぁ。私もプロジェクトで何度か一緒に仕事をしたけど、彼は完全リモートワークなんで実際に会った事はないわ。でも、仕事の腕は一級品よ」

 三人を乗せたビークルは暫くして五階だてのビルの地下駐車場で停車した。ちょうどノアのスマホが鳴り、着信の主はレイだった。「奥のエレベーターで2階に上がってくれる? エレベーターを降りると研究用の端末があるから、どれでも適当に立ち上げて、例のチップを挿入してよ」三人は言われた通りにした。

 ノアが端末を操作し、軽快な音でエンターキーを叩くと、画面に数字とマスが表示された。その下には大きさの違う四角形がいくつも並んでいる。

「モニタ画面を画像で送りましょうか?」

「いや、けっこう。遠隔でこちらでもモニタは確認できるし、室内のセキュリティカメラで君たちの様子もわかるよ」

 画面上部には『2131<39207』という横並びの数字の羅列と、その下に三つのマス目がある。「レイ、何か分かる?」ノアが訊くと返事は早かった。「僕のニューロ端末で画像解析したところ、下に並んでいる大小の四角形は、この町全体のマップを簡略化したものだね。僕たちが使っているアドレスとは別に、機械都市行政による区画識別番号というのがあって、それは頭にアルファベット一文字、それとXY座標を示す数字が二つ、マス目の数と合うよね」

 三人が席についてから十五分と経たないうちにそこまでわかるとは。「じゃ、この答えは何かの場所を表してるのね! 宝の地図かしら、これ!」リサが興奮気味に言った。「それが本当なら、ロボットたちに追われるのは逆にわかんねえな。奴らは全てにおいて計画生産、管理してるから、国家予算だってもう百年以上変更無しだ。機械の奴らは欲がねえから、金なんか必要分あればいいし、その必要分も計画的に収支がピッタリになるようできてる。必要以上の金なんかただの紙屑でしかない」

「そうねぇ、確かに。マイノリティの人間が力を持つのを恐れて、とか?」リサがそういうとノアとアレックスがなるほどという顔をした。「で、レイ! 答えはでた?」リサの問いに今度はレイも困り顔だ。「数式の答えとしては絞りきれないし、横並びの数字のどこを切り取っても地図の座標を表す形にならないな」リサが苛立ったように「何よ! あんた天才なんでしょ!」と言うと、レイが「それは君の勝手な先入観じゃないか。誰も一言も僕が天才だなんて言ってないだろ!」

「だったら天才ぶらないでよ!」

「誰も天才ぶってなんかいないじゃないか」と言い終えたところでレイは黙り込んだ。リサがまだ追い立てるように文句を言っていたがノアが彼女の口を塞いだ。「何か気づいたの、レイ?」ノアが訊いた。

「そうだよ…これが数式とは誰も言ってない…先入観だよ…」スマホから聞こえるレイの声色が、何かを探り当てようとしている。三人は黙って聴き入った。

「そうか‼︎数式の記号は『小なり』じゃないんだ!」

「どういうこと?」

「つまりこのデータの上の部分は数式専用フォントでアルファベットを表示できない。だから無理やりアルファベットを組み込んだ。数字1の右側に<、これはアルファベットのKだ‼︎」

 三人は一斉に「えぇ!」と驚きの声を上げた。

 左右両端の3つの数字はブラフ、パズルを複雑にするためのトリックさ。今説明した部分をアルファベットのKと読むなら、Kから始まる3つの文字、K39、つまり地図上のKブロック、X軸3、Y軸9の場所だ!」

 レイがリモートでモニタ画面の四角形の並びを町の地図を重ね合わした。K街区39の地点は、ちょうど町の中心、中央管制区がある場所だ。

「中央管制区、ロボットやアンドロイドでも侵入を許可されていない特別制限区のひとつね…私、面倒には関わらないって確かに言ったわよね?」ノアが言うと、「そうだっけ? アレックス、あんた聞いた?」とリサ。続けてアレックスが「いや、覚えがないね」

「いずれにしても、行ってみるしかなさそうね」ノアも観念したようだった。

「それにしても中央管制区? すごいじゃん! 何があるのかワクワクだね!」彼女は能天気に提案したが、「何がワクワクだよ。不安しかないわ。当分は落ち着いてシャワーを浴びることもできないわ」ノアはやれやれといった表情を隠さない。

「お前、正気なのか?」アレックスは思わず声を上げた。「あそこは侵入禁止区域だぞ。下手に近づけばすぐに捕まるに決まってる」

 レイもモニタ越しに言う。「しかも、中央管制区に入るには、3つのセキュリティエリアを突破しなければならない。簡単なことじゃないぞ」

 しかし、リサの表情は変わらないどころか、ますます興奮しているようだった。「そういうチャレンジ、大好き! リアルRPGみたいで燃えてきたー!」

 アレックスとノアは顔を見合わせ、ため息をついた。特にこれまで数々のドジを見てきたノアにとって、リサの楽天的な性格はもはや驚きではなかったが、それでも危険なミッションに対するこの無邪気な態度にはいまだに慣れないものがあった。

 三人は、レイが安全を保証するこの「休眠中の研究施設」に身を隠し、中央管制区侵入の作戦を練ることにした。レイは流石にシティ全体におけるサイバーセキュリティの専門家で、中央管制区のセキュリティ情報にも詳しい。

「まず、中央管制区に辿り着くまでに3つのセキュリティエリアがある。それについて説明しよう。それらはそれぞれが異なるシステムで監視されているが、内容は現地で確認するしかない。ただし、ビークルや通信機器を使うと追跡されるリスクが高い。全て徒歩で行動する必要がある」

「簡単じゃないわね…」ノアが口を開いた。「それに、現地でのセキュリティ内容がわからないのも不安要素だわ」

「まあまあ、やってみなきゃわからないじゃない!」リサは元気いっぱいに言いながら、地図を指さした。「ここからスタートして、このルートで最初のセキュリティエリアに向かおう。レイ、遠隔でナビゲート頼むね!」

 レイは一瞬呆れた表情を見せたが、すぐに真剣な顔つきに戻った。「了解だ。まずは第1エリアに行ってくれ。そこは熱センサーで監視されているから、リサ、君のお得意の分解と修理の腕を見せる必要があるかもしれないぞ」

「OK! 熱センサーなんて、ちゃちゃっとやっつけるよ!」リサは意気込んで応えた。

 **

 作戦開始から数時間後、三人は第1セキュリティエリアの手前に到着した。エリア全体が薄暗いトンネル状の構造で、無数の熱感知センサーが設置されているのが見えた。リサは早速工具を取り出し、手早くトンネルの壁面を開けると、配線にアクセスした。

「うわ、やっぱりだ…」リサは興奮気味に言った。「これ、ちょっと手を加えればセンサーの感知範囲を狭められるよ!」

 アレックスは不安げな目でリサを見守っていたが、ノアはそれを見て苦笑した。「リサがこう言うときは、案外うまくいくもんよ」

 リサは配線をいじりながら振り向き、「大丈夫大丈夫! さ、次はこの配線をつなぎ変えるだけ…よし!」彼女が作業を終えると、センサーの赤いランプが消えた。

「これで安全に通れるはず!」リサは得意げに言い、先に進む。

「お前、どうしてそんなに能天気でいられるんだ?」アレックスは半ば呆れ、半ば感心しながら尋ねた。

「うーん、だってこういうの、楽しいでしょ?」リサはニコッと笑った。「それに、みんながいるから怖くないもん!」

 リサ達は次のセキュリティエリアまでの一本道を急いだ。窓も分岐もなく、前から、もしくは後ろからセキュリティガードが来ればあっという間に追い込まれるはずだが、その気配はない。アレックスがレイにガジェットのモニタ越しに尋ねた。「それにしても厳重警備区域なのに俺たち侵入者がこうも易々と入れるってのは、なんかヤバくないか?」

 レイが当たり前のように答える。「当然すでに都市セキュリティは君たちを感知してるよ。なぜ君たちを確保しないのかについては、少し長い話になるけど」

「かまわんよ。次のセキュリティエリアまでかなりの距離っぽいし、暇つぶしに頼むわ」

「かつて人の手によって都市を運営していた頃は、治安に関しても人の手によって維持されていた。それが今は人間がマイノリティになり、治安はセキュリティという言葉に置き換わり、機械がプログラム的にセキュリティを管理することになった」

「そうなってからはもう何百年も経つな」

「うん。人が治安を維持していた頃は、法によって社会のバグを取り除いていた。でも人間は機械と違い感情というものがあるし、法を逸脱したとしてもそこになんらかの考慮すべき事情があるかもしれないね。だから裁判という審議の場で人が罰の程度を都度定めていた。法解釈の余地があるからこそ社会の不平等や不満が一気に爆発するのを妨ぎ、社会が安定していたと言える」

「でもそれがダメだったからこそ今の機械が管理する世界に進化したんだろ? 歴史上の偉業や偉人達も、恒久的理想が実現できなかったからこそ特異例としてテキストに載ってるんじゃないか? 歴史の教科書っていうのは人類の失敗例年表だ」

「まぁそうだね。で、現在では機械が電気信号のオンオフのように、社会のバグを取り除いている。機械には感情が無いから、イレギュラーの理由を考慮する必要がないんだ。どんな事情があるにせよ違反は違反で処理する。でもここに大きな穴がある」

「穴? 機械は理想を実現したんじゃないのか?」

「僕は今までセキュリティに携わってきたからね。僕の言葉で言えばセキュリティホールだよ。CPUがデュアルコア、クアッドコア、それ以上であろうと機械的判断の最小単位はゼロかイチでしかない。君たちが今身柄を拘束されずにいるのは、具体的な違反フラグが立ってないからで、それだとセキュリティに損害危機の可能性があっても、手出しはできないんだ」

「厳重警備区域に入ってもフラグは立たないのか?」

「ここはシティ建造計画の段階ですでにブラックボックス化されていたようだから、ロボット達ですら侵入できない。第一セキュリティエリアの熱センサーに触れる、もしくは破壊するなどして突破していたらその場で確保されていただろうけど、リサは配線を繋ぎ変え、センサーを無効にした。リサのエンジニアの腕前があってこその配線交換なんだけど、そういうところまで禁止してしまうと、セキュリティシステムの修理まで禁止することにもなりかねない。機械都市のセキュリティホールというのはすなわち、融通の効かなさなんだ。リサが受け取ったチップは何かしら問題のあるものかもしれないが、現状君たちはデータの意味もわからず、また具体的に問題ある使い方をしていないから、セキュリティガードとしても手出しはできない。第一セキュリティエリアを突破したことについても、そのことだけでは具体的問題性が認識できないか、あるいはチップの中身は君たちには無益か扱いきれないとセキュリティが判断しているのかもしれないね」

「にしてもこんな小娘に都市中枢のセキュリティを突破できるとは、機械都市も盤石とは言えねえな」

「君はリサのもつ不確定因子の認識が甘いね。それとさっきも言ったように、ここはシティができた当初から侵入制限されていた区域で、機械はそもそも自分たちでプロテクトを壊すことはないし、何があるかもわかんないのにわざわざセキュリティを破って侵入する人間もいなかったんだろう。だからセキュリティシステムがほとんど更新されないまま現在にいたってるんだよ。セキュリティは破られてこそ更新するものだからね」

「なんかあんた達さっきからつまんない話ばっかで、敵母艦潜入のスリルに水を差さないでほしいわね。ノア! 私次のエリアまでダッシュするから、後方支援して!」

「ちょ、ちょっと! ゲームじゃないのよこれは!」

「現実はゲームより易しよ! 行くわよ!」リサは子供の頃見た『人間の歴史展』の古代映像資料で、デススター内を逃げ回るレイア姫のような気分だった。

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