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ダークネスブロック 第1章

高村 龍一 作

第1章

浮浪者

真島は、明かりを消したマンションで一服しながら、電話に耳を傾けていた。クラブでの宣戦布告から四日経つが、他の組にはまだそれらしい動きはなかった。電話は妻からだ。電話の向こうの声は、どこか不安げだ。

「ねぇ、最近変なことがあって…娘も気味悪がってるの。毎日、家の周りでゴミを漁ってる浮浪者がいるのよ。それが、登校や出勤の時に私たちに話しかけてくるの」

 真島の心臓が一瞬止まったかのように感じた。だが、声色は崩さないように努める。

「何て言ってくるんだ?」落ち着いたトーンで返すが、内心は冷たい何かが広がっていく。

「何か独り言みたいに、『旦那さんを最近見ない』とか、『自転車の登録シールは◯◯高校だな』とか…怖いのよ、あなた」

「そうか、心配するな。すぐに何とかする」そう言って電話を切ったが、真島の中では確信が芽生えていた。家族が危険に晒されている。

 真島は自分がヤクザであることを家族には秘密にしている。表向きはフロント企業の営業マンである。今回の仕事は単身赴任だと家族に嘘をついている。だから彼の家族にとって問題の輩はただの浮浪者だ。だが、この浮浪者は明らかにただのゴミ漁りではない。他の組が動き出している――真島はその可能性を直感的に感じ取った。

 真島は、すぐに幹部の金城を呼び出した。金城は真島の深刻な表情を見て眉をひそめる。

「何かあったのか、真島?」

「浮浪者だ。俺の実家の周りに出没してるやつがいる。そいつはただのゴミ漁りじゃない。家族に近づいてる。おそらくはどこかの組の差金だ」真島は短く状況を説明した。

 金城は黙って真島の話を聞き終え、すぐに理解した。「俺たちの動きは全部筒抜けってことか。どこかの組の野郎がお前の家族を餌に脅しをかけているということか」

「そうだな。だがそう簡単には尻尾を掴ませまい。だから、まずはそいつの背後を探る必要がある」真島は煙草を指で潰し、冷静に命じた。「あの浮浪者の身辺を洗ってくれ。他の組の人間と繋がってるはずだ」

 それから四日後、周囲を窺いながら金城が真島のマンションを訪れた。「案外早かったな」真島がドアを開けた。

「あぁ。例の浮浪者は他所の組に端金で雇われてやがった。野郎はゴミを漁り、個人情報を収集して闇マーケットに高値で売り捌いでガッツリ稼いでやがるぜ。昼間はシマのゴミ捨て場を漁って個人情報を収集し、暗くなると人気のない裏路地にハイヤーを呼び出してタワマンに帰りやがるのよ。こ汚ねえが奴ぁ、浮浪者どころかセレブだよ」

「で、雇い主は? どんな手を使って調べた?」

「まぁ金になびく奴ぁどこの世界でも信用が無え。だから手足の一、二本へし折って尋問したところで、どうせ奴は何も知らねえ。だからお前ん家のゴミ袋にちょいと『燃えないゴミ』を入れといたのよ」

「燃えないゴミ?」

「あぁ。お前に関する偽造書類をな。電話番号はウチの組の事務所にしておいた。そしたら案の定食いついたぜ、餌に。浮浪者ってのは小狡いがやっぱり阿呆だな」

「そう勿体ぶんなよ」

「その浮浪者はお前の個人情報を持ち帰り、早速売り捌きやがった。買い手の組まではわからねえが、そいつは買った個人情報の裏をとるのに、セールスを装ってフェイクで書いたウチの組事務所の番号に電話してきた。逆探してみると、これがなんと、電話の主の居場所は、この上だ」金城は天井を指差しながら言った。「なるほど。挨拶しに行くのに一分もかからねえのを、なんとも回りくどい奴だ」

「どうする真島、藤川を使って、殺るか?」金城の言う藤川美沙子は真島のサポーターとして同じ棟に入居している。仕事の隠蔽から殺しまで汚れ仕事も厭わないが、実に綺麗な仕事をする。隠蔽なら掃除は徹底し、殺しなら絶対アシがつかない手口をつかう。殺されたとしても、当の本人はいつ殺されたかもわからないだろう。狙撃手としての腕も一流だが、目につく事件になればここの住人で叩いて埃の出ない奴はいない。皆が動きにくくなる。真島がここへきて一週間以上になるがいまだに牽制程度の動きしかないのも、誰も騒ぎを大きくして目立ちたくないのだ。

「いや、事件沙汰にしてヤクザどもが湧き立つと困る。まずは階上の客を泳がせて、もう少し情報を集めるか。とりあえずこの一週間でわかったのは、この棟の部屋の動きを向かいの棟の仲間に監視させている奴がいる。こちらの棟のどこかを突けば向こうの棟のどこかが動くはずだ」

「まぁ俺達もどちらさん達も同業者ってのは今更隠す必要もねえし、お互い裏のルールにのっとってフェアプレイ、って感じだな。じゃあ俺は俺で動くからよ、お前もタマだけはとられんように気をつけてな。それと…」金城は言葉に詰まりながら、絞り出すように続けた。「お前の家族は紛れもなくカタギだ。俺らのスネの傷とは関係ねえ。昔は素人さんには手を出さねえのがこの世界のルールだったが、ど素人がヤクザするようになってからは寧ろなんでもありでえげつねぇ。子供だろうが無事とは限らねえ。この際、家族はお巡りに任せたほうがいいんじゃねえか?」

 真島は大きくため息をついた。

「ポリ公ってのはいわば審判よ。俺たちがどんな揉め方しようが試合には口出ししねえ。どっちの言い分の筋が通ってるかも関係ねえ。死人が出たらレッドカードを出すのが唯一の仕事さ。金城、お前まさかその歳でお巡りさんが正義の味方だなんてファンタジーを信じてるんじゃねえだろうな。お巡りってのは職業で、お巡り自体はヤクザとおんなじ、ただの人だ」

「そうだったな。俺も歳かな。今時ジジイでも見ねえような任侠映画が沁みらぁ。じゃあな」金城は一応周囲を窺う素振りをしてから、階下の闇の中に消えていった。

接触

 ゴミ捨て場で変に目立った独りの浮浪者がゴミを漁っていた。蛍光イエローのウインドブレイカーの背には「Japan Game Shooting Club」のロゴがある。もちろんこの浮浪者がそのようなクラブチームに所属しているはずもなく、要は盗品である。店員がいない隙に手に取ったものを盗んで着ているので、色だのデザインだのはどうでもいい。体に纏えればなんでもよいのだ。だから浮浪者であるのに一際目立つということに羞恥するということがない。その日も浮浪者は、決まった時刻にゴミを漁っていた。何曜日にどんなゴミが出されるかきちんと把握し、機械のように仕事をする。もう一つは、真島の家族の出勤、通学の時刻、これにもスケジュールを合わせる必要がある。そうこうしていると、やはり真島の妻、節子が家から出てきた。浮浪者はわざと聞こえるような声のボリュームで「あ、あそこの旦那はヤーさんで、な、なんかやばいことになってるみたいやし、俺になんでもいうてくれたらええのに。悪いようにはせんのに」と、独り言を言う。節子も関わりはしないものの、次第に毎朝浮浪者の独り言に聞き耳を立てるようになっていた。娘の美乃梨の方は、出先で若いヤンキーに挑発されることが多かった。美乃梨がこれを家族に相談することはなかったが、真島は他の組の予備構成員が彼女にちょっかいをかけているのは知っていた。しかしヤンキーのようなアマチュアができることは少ない。節子がこれらの問題について、家を空けがちな真島を頼りにはできなかった。

 浮浪者が節子を見送った後もゴミ漁りを続けていると、フードを目深に被りグラサンにマスクという明らかに違和感のある出立ちの人物が彼に近づいた。「茅原さん、ですよね?」浮浪者はエビが跳ねるように驚いて後退り、逃げようとしたが男は腕を掴み強引に引き戻した。「いやいや、仕事を頼みたいのさ。あんた、副業する気ない?」

 二人は少し場所を離れ、物陰に入った。「茅原さん、お互いややこしいことは無しで、要件だけ言うぜ? あんたは話に乗るか乗らないかだけ答えてくれりゃあいい。断っても別に危害を加える気はねえよ。その気になりゃああんたのことはいろいろ調べはついてる。でも、あんたをそこまで気にかけるほど俺ぁ暇じゃねえ」浮浪者――茅原は蒼白の顔を大きく縦に二度振った。

「よし。お前、真島ってヤクザのことを調べてるな。俺もちょっと訊きて…」と男の話に割り込んで茅原が「知らねえ! お、俺は知らねえ! 何かジョ、情報があれば客に連絡して、値をつけてもらうだけだ!」男は茅原の胸ぐらを掴み壁に押しつけた。「焦るな! まずは聞け。そんなことは分かってる。で、俺も真島の事を追っててな、情報を分けてほしいのよ。お前も一つの品で倍、儲かりゃ言う事無しだろ?」

「あぁ、あぁぁ、きゃ、客のことでなければ、べつにええですよ」

「OK。商談成立だな。まずはそうだな。この仕事、お前一人でやってるわけじゃあるまい。他に仲間は? 集められる情報は多いほどいいんでな。まずはこれでどうだ?」と、帯で括られた札束を茅原の顔先にちらつかせた。

「知らねえ、これは本当ですわ。ただ情報じゃなく具体的な品物、た、例えば何かの鍵やパソコンの部品やらは、直接手渡しは避けたいという客の希望で、受け渡し方の指定があった。ある倉庫に防犯カメラの不良在庫が大量に保管されていて、必要な分だけそこから取ってきて、中に奴に関する品物をいれて、リサイクル業者に売る。その買取代金が情報料ってことですわ。こんなん、バレたらヤバい。くれぐれも…」

「分かってるよ。俺の口は日本銀行の金庫より堅え、安心しな。で、そのリサイクル業者ってのは?」

「狗够商事。真っ当な商売も一応はしてるから登記はされてる。電話すりゃあ出張買取に来てくれる。ヤンキーとか、いかにもスジ者のやつとか、公務員みたいなやつとか、人材はバラエティにとんでる」

「なるほど。じゃ俺もその商売をパクらせてもらうか。いい具合に電子レンジが捨ててあんじゃねえか。お前、これを持って帰れ。何かブツがあれば、こん中に入れて中古品の個人売買として俺に連絡をくれ。これで万一お巡りに何か探りを入れられても説明はできる。で、俺はブツを引き取った後、返品という形でレンジはお前に返す。まあ言やぁ、レンジが通い箱代わりだな。じゃ、今日のところはこれで。なんかあったら携帯のほうに連絡してくれ。こいつは本日の打ち合わせの諸経費だ」と、男は札束を茅原のズボンのポケットに捩じ込んだ。用が済んだ男はレンジを抱えて足早に逃げていった。

 男は茅原と反対の方へ歩いていき、路駐していたセンチュリーに乗った。スモーク張りの車内でフードとグラサン、マスクを取り、男――金城は組へと向かった。

ハーレーの女

 同じ棟の藤川美沙子の部屋を真島は訪れてた。藤川は二人分のコーヒーを淹れてテーブルに置いたが、二人とも口をつけていない。この世界ではどんなに付き合いが長い相手であっても油断はならない。万に一つ、よそ見をした瞬間コーヒーに何か入れられているかもしれない、という警戒心がある方が、お互いに信頼ができる。自分の身を自分で守れるものはいざという時に相手の足を引っ張らないし、脅されて他人を売ることもない。

「アタシのハーレー、一週間駐輪場に置いておいただけでメチャクチャ。パンク、落書き、ミラーもウインカーも全部折られたわ」

「そりゃいいな。子供のイタズラ程度で済みゃあこの業界、こんな楽勝なことはねえよ」

「あのね、ハーレーはアタシにとって男以上のものよ。パンクだけでも殺す理由には十分よ。アタシの部屋は五階なのに窓ガラスも割られたわ」

「物騒だな。網戸をつけなきゃそりゃ割られるだろ? 五階だの五十階だの関係ねぇ。割る方法はいくらでもあらぁ。大体お前、壊せるものを表に出しておくってのは、餌撒いてるのと同じだろ?」

「そうよ。だから理由ができたじゃない。どうするのか早く言ってほしいのよ」

「焦るなよ。でかい獲物は泳がせてから引き上げねえと、釣り糸がプツリといくぞ。で、頼んでた仕事はどうだ?」

「できてるわよ。でもアタシ、どっちかっていうと体育会系で、レポートとかは退屈で嫌いなの。つまんない仕事ふらないでよね」

 藤川は書類をテーブルの上に放り投げた。真島の個人情報の買い手、真島の部屋の上の階の住人について調べさせた資料だ。

「そいつ、西間って名前なんだけど、ずっと定職につかず寝家川組の使いっ走りとしてこき使われてたみたいね。十年前からは生活保護の不正受給で遊んで暮らしてるわ。数年前から、小遣い欲しさにまた寝家川組のお世話になってる」

「なるほど。で、俺ん家の覗きは奴の趣味も兼ねてるみたいだが、俺を調べてどう動くつもりだ」

「確証はないけど、このマンションで寝家川組の立場は結構厳しいみたい。ここの最大勢力の武闘派ヤクザ山王会、勢力としては二番手だけど実質全体を掌握してるのは草加会。でも草加はかつての勢いはなく今はジジイの集まり。あとはプロよりタチの悪い半グレ集団西京連合。寝家川組は勢力を削られて今は不法滞在の外国人をかき集めて組をどうにか維持してる感じね」

「なるほどな。そこに俺たち黒龍会がフラッと入ってきて、宙ぶらりんとなりゃあ、寝家川としてはお友達になりてえわな。それでお友達にマウント取るために、弱みを探ってるってとこだな」真島は目をつぶってしばらく考えた。

「よし藤川、その西間に土産を贈れ。品物は饅頭でもタオルでもなんでもいいが、底に例の白い粉を入れとけ。上モノをケチらずにな。それから俺は毎晩八時にここに来てコーヒーをいただいて帰る。レンタル彼氏みたいなもんだ」

「なにそれ? よくわかんないわ。こいつに上モノのアイスを手押しする意味あるの? あとレンタル彼氏? イタズラされたハーレーの代わりでもするつもり?」

「あのな、どんな仕事でも一番危ない作業は、どうでもいい奴に任すってもんだ。上の階、そんな間近に配置される駒はまさにどうでもいい下っ端だ。ヤクザっていう最後のセーフティネットにもギリギリようやく引っかかるような奴は、勝てる武器とステージを用意してやりゃあ責任持って前向きに取り組みやがるよ。おそらく西間は寝家川組に煽てられるか持ち上げられるかで、使命感を持って覗きやチンコロをしてるんだ。そんな奴が棚ぼたで末端価格が数百万は下らねえ品物摑まされたら、浮き足立つに決まってる。そこへきて俺が無防備になるスケジュールがわかったらどうするか。勝てる試合を黙ってスルーできねえのがこの手の小物のサガよ」

「分かったわ。釣った獲物の捌き方は、私に任せてくれるかしら」藤川が不敵な笑みを浮かべて、中身が入ったままのコーヒーカップをキッチンに持っていって捨てた。

悪戯

 梶原陽介がダークネスブロックに越してきて一週間も経たないうちに、周囲の部屋にフィリピン人が続々と越してきた。彼らは深夜でも騒いで喧しく、嫌がらせであるのは間違いなかった。今朝も向かいの部屋のフィリピン人が、あろうことか梶原の部屋の前――マンションのフロアで堂々と立ち小便をしている。全く呆れたことに、後進国から出稼ぎに来た連中は公共の場で立ち小便をしてはならないということも知らないし、駐輪場の自転車も鍵がかかってなければどれでも好きなように乗り捨てる。パンツ一丁で外をうろつくのは当たり前である。そしてこのダークネスブロックで彼らを監督する日本人もまた、そういう行為がダメだという常識を持ち合わせていない。政府は労働力不足を補うために、ニートの再雇用という道は切り捨て、そういう人材を諸手を挙げて受け入れ続けている。国を切り売りしていると言っていい。警察も手出しはできず――というより最早手っ取り早いという理由で彼らにクレームをつける日本人の方を取り締まるという具合で、僅か二年ほどの間にダークネスブロックは、在留許可証のことを訊かれると途端に日本語ができなくなる外国人で埋め尽くされた。子どもが外で遊ぶような平凡な姿は全く見られなくなっていた。

 突然、梶原の携帯が鳴った。液晶に表示されているのは金城の番号だ。「アニキ、どうしました?」

「何か他の組の動きはねえか?」

「そうですねぇ、今のところ大きな動きはとくに…。でも周りのフィリピン野郎がいちびっとるんで、流石に一人二人、ハジいてやろうかと…」

「まぁ待て。藤川から聞いてるかもしれないが、奴らは寝家川組が二束三文で雇い入れた鉄砲玉だ。勿体ねえから使い捨ての奴らに無駄弾を使うんじゃねぇ。ダークネスブロックのお前の住んでる棟は元々ヤクザが少なかったんだが、寝家川がそこに目をつけ地上げの手口で次々住民を締め出し、不法滞在の外国人を送り込んだのよ。お前の部屋の東側と北側はほぼ外国人だ。それぞれの棟に奴らを管理している売国奴がいやがる。まずはそいつらをなんとかする必要がある。なにせ下っ端外国人どもはいくらでも手に入る人材だからな、そっちを処理するとなるとキリがねえ。とにかく真島もまずは寝家川を叩くと言ってる。兎に角寝家川は自前のザコにちょっかい出させて挑発し、全体抗争に持ち込みたいんだ。勢力図では寝家川は無駄に数が多いだけで死に体だ。他所に戦争やらせて漁夫の利を得たいのよ。それは他の組も同じだからな。孤立しているウチらは着火剤にはもってこいだ。揺動に乗るなよ、お前は短気だが阿呆じゃねえはずだ」

「分かったよ、アニキ。ここらの連中は、黒龍会を他の組との全面戦争にもっていく口実にするって絵ぇ描いてるんだな。ダークネスブロックの盤面もよく分かったぜ。しかしここでドンパチとなりゃあどの組も無傷じゃ済まねえ。誰トクなんだこの絵ぇ」

「ふふっ、そこだな問題は。まぁそのへんはいずれな。それよりも俺の心配はお前だよ。真島も藤川も無茶はしねえが、お前は脳みそガキだからな」

「アニキ、馬鹿にすんのかよ! いくらアニキでも言っていいことと悪いことがあるぜ‼︎」

「バァカ! そういうところだぞ。フィリピーナかベトコンだが知らねえが、挑発にはのるな。真島の指示を待て。そういうことだ、じゃあな」と、金城は一方的に電話を切った。

梶原が電話を置き一服でもしようかと煙草を取り出すと、見計らったかのようにけたたましくチャイムが鳴った。急いで出てみると誰もいない。犯人は分かっている。向かいの部屋のアジア人だ。一人はまだ若い二十代、もう一人は三十代というところか。ここに越してきた時に寝家川組のチンピラが部屋に出入りしたのを見たことがある。幼稚な悪戯はピンポンダッシュだけにとどまらない。

真島や梶原のいる二七から二八棟は寝家川が金で買った外国人を放り込むための蛸部屋があちこちにあり、それぞれ向かい合わせた棟で連絡を取り合い、寝家川に情報を売っている。このような外国人のチンピラは、政府の方針で国の未来の担い手として次々と迎えられ、日本人ヤクザよりも優遇された生活を送っている。警察も国家公務員として、彼らお客様の犯罪に対しては咎めることもなく、寝家川としてはこれほど使い捨てるにうってつけの人材は無い。

外国人の若いチンピラも肩身の狭い寝家川組の連中も梶原にとっては恐れるほどのものでは無い。見せしめに何人かハジいてもいいのだが、バックに国がついているということで真島と金城から、先ほどのように、軽はずみなことをするなと逐一注意を受けている。

「ったくよぉ!国も寝家川も同胞を売るなんて恥知らずもいいとこだぜ。真島さんも金城の兄貴もあんなモンに気を遣ってどうすんだ!二、三匹折り畳んでゴミ捨て場に捨てときゃあ見せしめにもなるってモンだろ!」

梶原は苛立ちを抑えきれず、真島に電話をかけた。「真島さん、俺ぁもう我慢なりませんぜ!向かいの外人をぶっ殺して晒してやりますぜ!止めんでくださいよ」

真島は慌てる様子もなく答えた。「まあ待て。ああいうのは本来なら在留許可を抑えればイチコロなんだが、寝家川のほうのガードが硬え。あんなモンハジいてお前がぶち込まれたら釣り合いが取れねえ。あいつらン事はマスコミに売ってみるか。世間で騒ぎが大きくなりゃあ寝家川の奴らも訳ありをいつまでも抱え込んでられねえだろ。いずれにせよ、二、三日で片付く問題じゃねえよ」

「真島さん、あんま煽てんでくださいよ。でも確かに、ベトナム野郎を百人ぶっ殺しても釣り合いは取れませんわ。わかりましたよ。でも、真島さんのためならいつでも動けますぜ。そん時ぁ遠慮なく」

梶原はいくらか落ち着いて電話を切った。その後梶原は食材を買いにマンションの近くにあるスーパーへ買い物へ行った。同業者はお互い、警戒感でピンとくる。店内にも数人それらしいのがいたが、理由もなくドンパチを始めるわけにはいかない。睨みをきかす同業者を無視して梶原はパンなどを買い、表へ出た。駐輪場を出る際、後ろからトンッと肩を当てる感覚があった。振り返ると、至って普通の出立ちの男がバタフライナイフを回転させてポケットにしまうところだった。「おいっ‼︎」梶原は引き止めようとしたが男は何食わぬ顔で青い自転車に乗り、立ち去っていった。梶原が追いかけようとすると背に鈍痛が走り、後ろ手に触ると血がべっとりとついていた。「何とな。普通のなりしてイカれてやがる。サイコパスってやつか。ヤクザ特有の殺気がねえとは、やられたぜ」梶原は刺し傷を庇うこともなく、買い物袋をぶら下げて部屋に帰っていった。

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