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最近気になること
アンコンシャスバイアス
正直言えば、偏見とか差別って、生まれたころから「当たり前」でした。
両親がそういう価値観を持っており、それを私に押し付ける人たちだったからです。
いわゆるLGBTQ+というには、性自認は女性だし恋愛対象も同性ではありません。
ここではっきり「男性」と言わないのは、さらにトラウマ級の過去の経験から、私は男性が苦手だから。
しかし、縁あって善良な男性と巡り合い、家族を設け、その子供たちも成人し社会人となったので、いわゆるLGBTQ+に該当する要素はないと思います。
むしろ。
前述のとおり、この世に生れ落ちたころからある程度成長するまで、
私を生み育てた両親から私に向けられた強烈なまでのバイアスは、
発露することがなかった反抗心と自己否定を自分の中だけで醸成させ、それが私のアイデンティティの一つを形成していったものです。
そんな生い立ちを経て、自分にはバイアスがない、と思っていたのですが…
漫画は誰のもの?
こどもの頃の私は「りぼん」を毎月購入し、傍らで「少年ジャンプ」や「少年サンデー」も毎週気に入っている漫画だけ立ち読みする、というように、単に漫画が好きでした。「少女」「少年」とカテゴリーに明記されてはいたものの、「りぼん」の話ができる男子はなかなか見当たらず、その反面で「ジャンプ」は男女問わず一定数の人と話はできていたのが不思議だな、と思ってました。
あるとき、管理職が校内のとあるコラムに生徒を鼓舞させようと、人気ある漫画の台詞を引用して寄稿しました。引用された複数の台詞は、どれも少年漫画からのもの。
内容も相まって、「女子は頑張らなくてもいいってこと?」と読む人が読めば、そう思わされる内容になり、その点を指摘を受け、急遽そこに少女漫画からの台詞も追加し、修正を加えて原稿は完成した、という話を聞きました。
組織としての話はまた別の議論になるので割愛するしますが、「これはアンコンシャスバイアスでは?」と、何となくの雑談のネタになりました。
であるなら、女子が少年漫画を読まない、というのもまたある種のバイアスなのかもな、と思いつつ、ふむふむと雑談に加わっていました。
アンコンシャスバイアスもいろいろ
その雑談が何だか頭から離れず、アンコンシャスバイアスの定義を紐解いてみました。
前述のような、「無意識な思い込み・偏見」が定義づけとしては前段にあったものの、読んでいくうちに、周りから評価されていても、「私にはムリ」等、自分を過小評価する傾向*もそれに含まれると知るに至りました。
このことにより、私自身もまた、アンコンシャスバイアスを持っている一人というふうに、認識を改めました。なんだか罪悪感…
*(一社)アンコンシャスバイアス研究所のホームページをもとにこの記事の筆者が編集・加工)
最強の0歳
先日出かけたアーティストのライブで、メンバーからのメッセージに含まれた言葉です。
記憶があいまいなので、正確に台詞を起こすことはできませんが、
「誰でも自分が望めば生まれ変わることができる」という趣旨のメッセージでした。
そのアーティスト・ENVii GABRIELLAも、バイアスにさらされているユニットだと思うのですが、彼らのライブを観に行っていつも元気になるのは、彼らが常にそのバイアスを受け止め、それをまた武器にもしながら、しなやかに美しく、自分たちらしさを生かして、自分たちの夢に向かって邁進してる姿を目の当たりにするからだと、先ほどアーカイブ配信を見ながら考えました。
バイアスがあろうと
大事なのは、「自分がどうあるべきか」と「とりあえずコミュニケーションを取ってみること」に尽きると思います。
パッと見怖そうな人が、実はとても細やかで優しい配慮ができる人だったり、優しそうに見える人が、メンヘラのツンデレのサイコパスってこともありえるからです。
前述の管理職も、指摘を受けて自分のアンコンシャスバイアスを自覚したかもしれません。私も自分が持つ偏見に行き着いて驚きもしました。それだって、実はコミュニケーションあればこそでしょう。
その結果、気づいたときに自分がその事実をどう受け止め、どう対処するかのか。
自分のアンコンシャスバイアスの対象が他者であれば、仲良くなって友達になれるといいな、とも思ったりもします。
何しろギャップのある人は、私には多彩でとても魅力的に映るからです。
バイアスが解消して理解に至れば、世の中すべてハッピーだろうな、と。