誕生日
小さいころは体が弱く、何かと風邪をひいていた。
特に、急に気温が下がりだす秋口は確実に風邪を引き、熱を出す。
そして大体においてそれは私の誕生日だったりする。
別に狙って熱を出してるわけじゃない。偶然に過ぎない。
まして仮病なんていう知恵すらない齢一桁の幼子に、仮病を使う理由はない。むしろ誕生日と言えば、自分にとって特別な日で、ケーキが食べられる豪奢な日であることぐらい、わかりすぎるくらいわかってるし、楽しみにもしてる。そんな日に風邪をひいてがっかりしている私に、母は怒りを隠さない。
ーなんでこんな日に風邪ひくの?
ーせっかくケーキ予約したのに、無駄になるじゃない!
ー私、仕事休めないから、一人で寝てな!
みじめな思いでその言葉をただ受け取るしかなかった。
とはいえ、その後、体調を見てケーキを食べさせてもらったものの、
そんな経緯の後なので、味は覚えていない。
ただ
ーこんな時に熱を出す私が悪いんだ。
静かにそう思っただけだった。
時は経て、思春期を迎えたある日。
夫婦のいさかいが絶えない家庭に耐え切れず、ある時勇気を振り絞って母に「あるお願い」をした。
しかし、母は拒絶した。
ーあんたがいるから、それはできない。
私のせいなの?だったら私なんか生まなければよかったのに。
それから、誕生日は「特別な」「ケーキが食べられる」日ではあるし、この頃になると、友達同士でプレゼントの交換なんかもして、それなりに楽しい日ではあるけれど、
ー自分なんか生まれてこなきゃよかった
何処かで、そんな風に自分の誕生を呪う日にもなった。
時は流れて、自分が親となり、いつの間にか子供たちが成人し、自立した。
そして、子供たちがそれぞれに私の誕生日を祝ってくれるようになり、穏やかに誕生日のひとときを楽しんだ。
ただ家族が自分の誕生日を大切に思ってくれたという事実が嬉しかった。
親から得られなかったものを、夫や子供たちがくれたのだと思う。
そんな風にして、いつしか
ー私が生まれた意味はあるのかもしれない。
そう思うようになった。