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PPAPを見ている間、私達は現実とも虚構とも無関係な場所に居る

 自分は、毎週月曜の夜にnoteを更新している者、なのですが…

 先週の月曜に書いたやつが、自信を持って世に出せるだけの水準に達しているとどうしても思えず、その文の最後に「金曜にまた更新させて下さい!俺は、まだ、やれます!見捨てないで!ポイしないで下さい!」みたいな事を、我を忘れて懇願してしまいました。「そこら辺に転がっている一山いくらの中年男性×かける泣き言」という、起こってはいけない、あってはならない組み合わせを自ずから起こしてしまったのです。
 やってしまったねぇ……
 何のコンテンツ力もないおっさんがうずくまって啜り泣いた所で、回りにとってはただ迷惑なだけ。そんな窮状をわざわざ助けてくれる魔法使いなんて優しいもんはもう現れません。かぼちゃの馬車に乗ってダンスパーティーに連れて行って貰える資格なんぞとっくにない。期限失効済。ターミネーター2に出てくる液体ロボットみたいな感じでガンぎまった目をしながら徒歩で会場へ赴き、瞬き一つせずに「参加させて貰えるかね?」と直接問い合わせる(しかも、「ドレスコード:フォーマル」というルールすらも完全に逸脱している、編笠とみのを身に纏ったスタイルで)。
 それしか中年がダンスパーティーに参加する方法はありません。

 私はその基本ルールを忘れ世間の温情に厚かましく泣き付き、それだけならまだ良かったのかもしれませんが、あまつさえXでその記事の告知の際に「今回のやつは(内容的に)どうなのでしょうか…」という弱気なコメントまでをも添えてしまいました。その結果、何が起こってしまったか?
 noteには「ダッシュボード」という、自分の記事が読まれた回数を知る事ができる機能が付いています。月曜の夜から火曜の朝にかけての夜勤作業での休憩中、私は祈る様な気持ちでダッシュボードを確認しました。頼むから読者数減ってないでくれと。記事を投稿してから約7時間が経った状態では大体40人程度には読まれている、それが最近の読者数の平均値でした。その数字は、今回どうなっているのだろうか?
 6人。
 私は厳しい現実に言葉を失いました。十一ヶ月間、週に一回更新を続けてきた男のnoteの新着記事を読んでくれた人の数が、発表後7時間経って6人。6人。過去最低の記録が出やがった。仕事を早退して始発で江の島に行こうかとマジで思いました。6人て。スリップノットの3分の2だぞ。

 こうまで記事が読まれない理由は無論全てが自分に起因する(特にプロモーション活動)のだろうし、だから改善するしか無いんですが、正直俺は2年前にこのnoteを始めた時に「ま、半年ほど待ってて下さい。完全に制圧して見せますよ、この、"note" という場所をね」という勢いで、近年稀に見る強キャラの登場をとくとご覧あれって感じで始めたんですよ。本当にすぐ天下を取れると思ってたから。「おもしろエッセイ亜狂人」として各メディアにひっぱりだこになる未来しか見えなかった。そう算段してたら実際は鳴かず飛ばずでドン底まで病んでしまって長い沈黙期間に入るんですが。で、もう一回仕切り直そうと思って病んでから8ヶ月後に記事の更新を再開したんですよ。「ま、半年ほど待ってて下さい。完全に制圧して見せますよ、この、"note" という場所をね」と。若干の震え声、涙目で、強心剤を飲みながら。そうやって這々の体でイキった結果が…十一ヶ月後の初速6人だよ!6人でどの地区が制圧できるんじゃ!言ってみろ!!愚か者!!離島の学校ですらもう少し生徒数多いわ!なさけねえ!!

 読者数を増やすにはどうすればいいのか考えたのですが、取り敢えず、これから数週の間、週1の更新を週2に増やしたいと思います。
 自分は今noteで洋楽の歌詞の和訳をしているのですが、それは毎週金曜日に投稿します。月曜は普通にこういうダラダラした文章だけで目標5000字位を目安に頑張って投稿してみます。ここまで人の目に触れない以上投稿回数を増やすしか手立てが無い。
 大体、最初にリンク貼った「山に入ってエロ本を拾っていた頃の話」というタイトルの記事にもパール・ジャムの曲「コーデュロイ」の和訳文が含まれているんですが、書いてる最中にずっと思ってたもん。「パール・ジャムとエロ本と何の関係が?」って。偉大なバンドに失礼だよ。エロ本の話はエロ本の話、パール・ジャムの訳はパール・ジャムの訳としてきっちり記事を分けた方が良いんですよ。なのでこれから数週間月曜と金曜に更新してみて、それでも何一つ状況が変化しなかったら、最後の手段としてnoteに投稿されている記事に片っ端から"スキ"を付けていくという、俺に言わせるなら外法に訴えます。勿論やりたくはない。だって好きでも何でも無い記事を"スキ"だと評価する訳でしょ?自己承認欲求の為に。そんな事をしてしまったら余りの情けなさから二度と鏡で自分の顔を見れなくなってしまうよ。
 だが、2024年にもなって、名前に何のバリューも無い単なるおっさんが書いた文章を他人に読んで貰う、その為にはこん位の恥辱は覚悟すべきなのでしょう。仕方が無い。
 と、諦めの境地に入った所で一曲好きな曲を貼らせて頂きます。スリップノットと"ノット"繋がりでWitchknotというバンドの曲を貼ろうかとYouTubeを検索したら、なんか公式アカウントっぽいのは見つけられたんですが自分が特に好きな曲があげられて無かったので、代わりにwitch繋がりでWitchcraftの"you suffer"を貼ります。

Witchcraft/You Suffer

YouTubeに無いと思ってたら、bandcampにWitchknotの"Squawk"が丸ごとありました。これは、本当に名盤。

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 最近「みのり伝説」という漫画の6巻を読んで 
とても感動しました。(今から約30年前の)出版業界事情に翻弄されながら、それでも自分の仕事に生き甲斐を見つけ出していくフリーライター、杉苗みのりが主人公の名作漫画です。この中に収録されていた1エピソード、「殺された婚約者」が特に素晴らしい内容だったので、ネタバレになりますがここで紹介させて下さい。

 みのりはこの話の数話前で、婚約準備を進めていた編集者、望月卓也との関係を、自分の感情を優先させて破談にしてしまいます。失意から抜け出せないみのりを待っていたのは、「次の次の日曜日、死んだばあちゃんの法事の際に親戚一同に結婚の報告をしてはどうかね」という、未だ娘の結婚が破談になった事を知らされていない母親からの提案でした。実家に帰ったみのりから詳細を教えられ、ショックで言葉を発する事も出来ないまま、ただ背中を丸めて肉じゃがを温め始める母親。それを見てみのりは更に激鬱に。読者であるこちら側にまで、ただ黙るしか無い一家の事情も知らぬままに田んぼで鳴き狂うコオロギの羽音とかが聞こえてきそうな程に陰鬱としたシーンです。
 舞台は転じて法事の日に。ライターとして売れているみのりを持て囃す喪服姿の親戚達。墓参りも無事に終わり、会食の前に形式張った挨拶を執り行うみのりの父に向かって酔っ払った叔父が「そんな事よりみのりの結婚を発表してくれ」と野次。やむなく娘の破談を告げる父の前で、水を打ったような静けさに包まれる一同。「なぜ結婚が取りやめになったのか、明日から責め立てられるに違いない」母を重々しい気持ちで慮るみのり。その時、まさに葬式の様な雰囲気に耐えられなくなったみのりの妹のあずさがいきなり立ち上がって、そしてこう言います。
「みんな…お姉ちゃんをそっとしておいてやってください!お姉ちゃんの…婚約者は、死んじゃったんですから!」
 は?何が?呆然とするみのりに続けてあずさはこう言います。
「あとお願いね、お姉ちゃん」
 んなバカなとしか形容できないシチュエーションの中、みのりは普通に東京で生きている元婚約者の最期を即興で妄想する必要に駆られます。目に涙さえ浮かべながら。
「彼はひと月前、記者として単身、アフリカに取材に飛び…、難民キャンプなどを回っていましたが、…ゲリラのテロが横行する街で爆弾をうけ、……帰らぬ人となりました」
「あたしは彼の意志をつぎ……仕事に生きるつもりです。今日はほんとうに、ありがとうございました!」

 驚愕の真相に目を点にしながらみのりを凝視する一同。文字通りMC、マスター・オブ・セレモニーの誕生の瞬間です。みのりに同情して俯きながら法事会場を後にする親戚達。東京へ帰ったみのりの家のファックスが受信した元婚約者からの文面を読みながらみのりが発する「異郷の地で殺してしまったもと婚約者に、あたしは…心から感謝した…」というモノローグで物語は幕を閉じます。
 自分が深く感動したのは、この話において遺憾なく描かれている「言葉」という概念の危うさについてでした。
 
 仕事とは本当に嫌な物ですが、数少ない好ましい点の1つに「どれだけ下らない事でも、同僚との会話、『今日忙しいわ』『本当になあ!』くらいの、マジの他愛無い会話ですら、どれだけ落ち込んでいてもそれ位の会話で若干気分が軽くなる」という物があります。
 何故、この程度の会話でも気持ちが軽くなるのか?自分の出した結論は、「言葉自体がこの世と関係が無い概念であり、よっぽど現実自体を正確に描写しようとしない限り、大抵の言葉はそれ自体が現実からの解離を促している。言葉とは、ドラッグなのだ」というものでした。
 
PIKOTARO(ピコ太郎) - PPAP (Pen Pineapple Apple Pen) (Long Version) (Official Video) [Ultra Records]

 自分はPPAPを初めて見た時に「これは、最高のエレクトロヒップホップだ」と思いました。この映像の素晴らしい点は、ピコ太郎が実際にはペンもアップルも持っていないという点にあります。それでも「俺はアップルを持っている」とピコ太郎は"言って"いる。つまり虚構なのですが、PPAPの視聴者は徒手空拳で踊るピコ太郎を通して、「ペンもアップルも無い現実」と「ペンやアップルが"有る"のだとして踊るピコ太郎」という矛盾した2つの世界を同時に見る事になります。その時、私達は「現実が見える=虚構では無い」「虚構が知覚できる=現実では無い」という2つの条件を同時に満たせる、「現実でも虚構でも無い、まだ名前すら付けられていない未知の場所」に身を置いているのでは無いでしょうか。
 そして、この寄る辺無い世界の無慈悲さを耐える手段の内の一つが、その名前の無い場所へと一時的に避難する事であり、言葉とはその為のドラッグとして非常に有効で、だからこそ暴走を防ぐ為に道徳を学んだり哲学を齧ったりしないといけないのだと、自分はそう考えるようになりました。
 自分はXというSNSを余り好きになれません。あそこでは言葉が「現状、現実を正確に捉える為」だけに使われすぎているきらいがあるからです。140字の文が価値を持つ為にはその方法が一番手っ取り早いのでしょうが、自分はやっぱり、書かれた瞬間から現実からズレていく様な長文が読みたいんですよね。Xは覚醒系のトリップなんだけど、長文は酩酊系のトリップなんですよ。自分は長文の方が好きですね。まあ、だから体力が保つ限りはnoteの更新続けたいですって、それだけの話でした。

 という訳で、最後に好きな曲を貼ってこの文を終わりたいと思います。なんか最初の方で「ポイしないで下さい〜」とか書いたんですが、あれは昔、リア・ディゾンが結婚報告をした時に取材陣に対して放った台詞でして。で、俺リア・ディゾンの曲好きなので、Could you be that one?という名曲を貼って終わります。

Leah Dizon/Could you be that one?

いい曲ですよね。では、また月曜になんか書きます〜

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つやつやと実っている稲穂
なあ、頼む……たったの5ドルでいいんだって… 確かに昨夜はツキが無かったよな、ベニーがヘマ打っちまって…いや、イカサマじゃねえ、生まれ故郷のアリゾナに誓えるぜ、ただ必勝法があるのさ…次は負けねえよ…なあ、ハニー、5ドルでいいんだ…マンハッタンの夜景の様に俺を愛してくれよ…

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