3アウト制なのか

適応障害や鬱を何度も繰り返す人に知ってほしい。
「発達障害」を専門とする心療内科があるということを。

「診療内科は軽めのカウンセリングを受けて、適応障害と診断してもらい、診断書を会社に提出したら休職するもの」と認識していました。

一度受けたら、「どうしたいですか?」と聞かれて、そんなこと辛い状況に聞かれて「どうしたいもこうしたいもないし、何も考えられない、考えたくもない、記憶を消してほしい」と訴えたら「仕事はできそうですか?」となり、「・・・・できない・・・」となり、「じゃあ、しばらく休職しましょうか?」となる。

毎度このやりとりがされることが苦痛でした。

休職したら仕事は?収入は?家族は?未来は?
真っ黒な想像に覆われ、
「おまえ、ちょっと甘え過ぎじゃないのか?」
「まわりの皆を見てみろよ、同じ状況で皆頑張ってんだよ?」
「ほんとうは我慢すれば働けるんだろ?」
「おまえの開けた仕事の穴どーすんだよ!?休み明けタダじゃすまねーからな!」
と心の声が聞こえてきます。
この声が聞こえてくると診療内科にいけなくなります。なぜなら休むことになってしまうからです。

心療内科に行って、休んで、復帰して肩身の狭い思いをして細々と仕事するぐらいなら我慢して無理して自分を騙してでも仕事へ向かったほうがまだ良いと勘違いするようになります。

気づいたら心療内科の前にいることになります。

何度も何度もこれを繰り替えすと余計に自分は駄目人間だと思うようになります。「駄目人間上等!」なんて思えません。

自分自身の気づきですが、自分の考えや行動が正しい・正常だと思っていました。正確には自分の頭の中で起きている未来への想像や他人への配慮が他の人にも常時24時間起きているものだと思っていました。常に自分と重なる「自分と思わしき妄想」の声が常に聞こえていました。この声に左右され、動いていました。動いていましたというのも語弊があるかと思います。動かされていましたの方が正しいかもしれません。

自分の意思で着実に自分をコントロールして動いたことありますか?
やらなきゃいけないタスクの中にやりたいことはありますか?

何度も鬱や適応障害を繰り返す場合、発達障害の可能性があります。
初めてコンサータを飲んだとき、あたまのなかで「声」がしなくなりました。呼び出そうとしても自分の声がこだまするだけで、出てきません。あれだけ騒いでいた自分がいません。

これを読んで、何も思わない方は、ここで終わりにして構いません。
ただ「ん?声ってもしかして・・・」と思う方は発達障害を専門する医療機関へと訪ねてみてください。」

心療内科を掲げる病院には、上記のことに対して疑いを投げかけることができる所とそうでないところがあります。
Noteで鬱や適応障害の記事を検索していると発達障害の記事がセットになっていることが多く見受けられます。
別のアプローチをすることで、少しだけ前へと進むことができるかもしれません。

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