ゲームは規制するべきか
■制限とそこにかかる苦労
「ゲームは規制するべきか」と書き初めた場合、「規制をかけるべきではない」という結論に至るわけですが、正直に言うと、私は規制する立場の人たちの言い分が分からないわけではないのです。
私たち夫婦は、つっつ君に技名を言いながらパンチやキックをするような子どもに育って欲しくはなかったため、乳幼児の頃からアンパンチでバイキンマンを追い払う「アンパンマン」に触れさせていませんでした。
また、自分勝手な行動が原因で手酷い仕打ちを受ける「きかんしゃトーマス」も罪と罰のバランスを欠いているとして、触れさせていませんでした。
しかし、2014年、買い物の帰り道につっつ君といつも踏切で電車を眺めていたそんな時期に、列車と戦隊ヒーローを組み合わせた「烈車戦隊トッキュウジャー」の放送が開始されました。
つっつ君は当時3歳、友達の間では戦隊ヒーローや仮面ライダーで盛り上がるお年頃。
しかも大好きな電車と組み合わさっているとなると、これはもはや隠している方が辛いわけで、私たちは思い切ってトッキュウジャーを見せたのです。
そしてつっつ君は見事にハマりました。
それは決して私たち夫婦の心が折れたから、諦め、垂れ流すようにつっつ君に見せていたというわけではありません。
必ずDVDでおとうさんが各話を事前に視聴し、過度な暴力表現がないかチェックした上で見せていました。
もちろん戦隊ヒーローものであるため、怪人との戦いは避けられません。
そこで私たちは『人間がそのままの姿で暴力を振るうのはNG』と定めました。
具体的に言うと、一般人が敵の邪気によって狂乱し、イスやテーブルを破壊するといったシーンのある28話は見せませんでした。
今思えば、アンパンマンやきかんしゃトーマスを完全にブロックし、トッキュウジャーの全47話を事前にチェックするなんてことをよくもまぁ行っていたものです。
それは本当に本当に大変な苦労でした。
しかし、「うちの子を自分の思ったように育てたい」と、親の都合で子どもに対し規制をかけるのであれば、それ相応の努力を親が担うべきだと思ったのです。
現在ではつっつ君は分別のつく小学生ですので、性表現を主としているR18作品や、残虐性をエンターテイメントにしているR15作品でなければ見せております。
大事なのは本質の理解と、しっかりとした線引きがあって初めて規制は行われるべきだと私は考えております。
■CEROについて
国内で販売されているゲームソフトにはレイティング制度というものがあります。
暴力的な描写や性的な描写などのあるゲームは、日本国内において「CERO」という、段階に応じての年齢区分を設けています。
これはあくまで年齢区分であり年齢制限ではありません。
つまり「対象年齢の目安」であって「規制」ではないのです。
唯一、「有害図書指定(または不健全図書)」となれば各地方自治体によって規制がなされますが、有害図書指定を受けた印でもあるCERO-Z以外の年齢区分であれば規制ではありません。
また、CEROの区分基準はゲーム内の描写に重きを置いているので、例えCERO-Aである全年齢対象と定めたゲームであっても、ゲームシステムがギャンブル要素の強いものであるものも存在します。
決して「CEROの年齢区分に沿っているから子どもに与えても安心」と安易に考えてはいけないのです。
今の子どもたちは気になったゲームをあらかじめYouTubeなどの動画で見ることができます。
もし自分の子どもがゲームに詳しいのなら、是非一緒にゲームコーナーへ行ってCERO区分をチェックしてみてください。
「なんで同じジャンルのゲームなのにこっちはAで、あっちはCなの?」
「こっちのゲームの方が暴力的なのになんでこれがBで、あれがDなの?」
そういう疑問が子どもたちの口から出てくるはずです。
そもそもCEROは日本国内の基準であり、世界へ視野を広げれば全く同じゲームであるのにも関わらず、日本では全年齢対象なのに、他の国では10歳以上が対象となっているゲームも存在します。
その事実に私たち親はなんと答えたら良いのでしょう?
レイティング制度というものは、
それぞれの大人たちが「子どもにはこうあって欲しい」という願望を押し付けているに過ぎません。
CEROが定めた性表現である「キス」がゲーム内にあるために12才以上を対象にしているというのは、基準はあれど、科学的な根拠があるわけではありません。
ただただ大人たちの主観で区分されているに過ぎないのです。
である以上、私たち親は自分の子どもの様子を見て「相応しいか相応しくないか」を決めなければならず、その決定を第三者に託すべきではないと思うのです。
■条例での規制について
2020年4月に香川県で「ネット・ゲーム依存症対策条例」が施行されました。
この条例は「18歳未満の子どもに対し、ゲームをする時間を平日は1日60分、休日は1日90分までとするよう保護者に求める」といったものです。
本来であれば家庭や子ども自身が定めていくべきものを、驚くべきことに県が条例として公布してしまったのです。
「ゲーム依存症」という間違った病気の知識に政治家たちが踊らされてしまったのでしょうか? 耳を疑うような世界でも類を見ない異常な条例です。
確かに、病気とは言えないごくごく軽度な依存という状態はあるでしょう。
宿題よりスマホが気になったり、運動よりゲームが楽しかったり、しかし、寝食をし、健康であれば病気ではありません。
それを「依存症につながる恐れがあるから」という理由で、友達との交流や、自信に繋がる居場所を取り上げてまで子どもたちを縛りつける必要がどこにあるのでしょうか?
もちろん家庭によるルールや約束はあって然るべきです。
各家庭にはそれぞれ事情があり、子ども個人にはそれぞれ性質があります。
そして、スマホはアプリが豊富でそれ一台で様々なことが出来ますし、ゲームにしてもコミュニケーションをとったり、芸術性を育んだり、色々な遊び方が出来るものがあります。
それを条例という形で1日60分と一律に強制するのは、子どもや親の教育への干渉どころの話ではありません。
ゲームは自由です。
子ども自らが楽しいと思い、没頭し集中する行為は悪いことなのでしょうか?
動物も知性が高いほど「遊び」をするそうです。
その知性あふれる遊びを妨げるのは、子どもの可能性を潰すことになり得ますし、今、ゲームによって居場所が作られ安らぎを得ている子どもたちを追い出す行為でもあります。
この条例は子供と親の自由を奪うものであり、人権侵害と言っても決して過言ではないと私は考えております。