『旅の効用』 なぜ人は「ここではない、どこか」へ向かうのか (渡辺裕子)
渡辺裕子「鎌倉暮らしの偏愛洋書棚」 第5回
"För den som reser är världen vacker"
by Per J. Andersson Ordfront Förlag 2018年出版
『旅の効用: 人はなぜ移動するのか』
著:ペール・アンデション 訳:畔上 司 草思社 2020年1月発売
家が好きだ。空調の効いた部屋で、お気に入りの器で食事して、寝そべって好きな本を読み、布団にくるまれて眠る至福。家の中にいる限り、危険は遠いものに感じられ、人混みの煩わしさもなければ、突然の豪雨にびしょ濡れになることもない。
そんな生活に満ち足りているはずなのに、ときどき、旅に出たいという狂おしいほどの欲求に襲われるのは一体なぜなのか。明確な目的もなく、ただ駅や空港に行って、ここではない、どこかに行く。電車の音、喧噪、窮屈な座席。窓の外を流れる風景を渇望する。
この本は、邦題サブタイトルの通り「人はなぜ移動するのか」をテーマにしている。その答えは「はじめに」の冒頭に書かれている。
一万三千年前まで、私たちは遊牧民だった。私たちの遺伝子の中には旅心が潜んでいる。地平線や水平線の彼方に行ってみたいという気になるのは遺伝に基づく衝動であり、人類共通の古来の願望だ。旅をしたいという希望は普遍的なのである。
重層的に綴られる「私たちが旅に出る理由」
本文は、著者の訪れたさまざまな国の旅行記がメインになっている。インド・パキスタン間の湿地帯と広大な砂漠をラクダの背に乗って移動しながら、定住民と遊牧民の歴史を振り返り、北京の胡同でお茶を振る舞ってくれた老人との出会いから、旅先の一期一会に思いを馳せる。
1980年代のパリ発ローマ行急行列車で給仕されたスパゲッティ・ボロネーズと赤ワイン。スマトラの川を舟で下ったあと、乳白色の夜明けの中で飲むコンデンスミルク入りコーヒー。
徒歩の旅。自転車の旅。列車の旅。飛行機の旅。初めて訪れる場所。繰り返し訪れることの効用。
さまざまなエピソードを通じて、著者は「人はなぜ移動するのか」という問いを繰り返し、考察する。たとえば旅行作家トマス・レクストレームの言葉を引用する。
旅は、私たちがホモサピエンスであることと関連がある。好奇心だ。『無用な』知識を求めて努力し、知恵を拡大し、視野を広げ、世界像を拡大し、混沌を整理し、秩序を確保しようとする意思である。
あるいは、ヘロイン中毒になり何もかも失い、メキシコからカナダ国境まで3カ月間放浪した作家シェリル・ストレイドを紹介する。
シェリルは、人生の中の一定期間、放浪を味わうことにより自分を救ったのだ。
そうしたセラピーとしての作用も、たしかに「旅の効用」だろう。著者は、さまざまな宗教における放浪の位置づけにも触れている。
特に印象的だったのは、以下の描写だった。
頭がくらくらするような昼の熱気。すべてが薄茶色のほこりに包まれている。新しいものとか、きらきら輝いているものなどどこにもない。すべてが中古のぼろ。じっとしているものも一つもない。すべてが動いている。
こうした活気あふれる郊外を通り抜けて行くこのバスに乗っていると、自力だけが頼りの、旅のエッセンスを感じさせてくれる。私のために掃除をしてくれる人などいないし、何かを整理したり、飾ったりしてくれる人もいない。私が今どこへ行くかを知っている人など一人もいないのだ。
誰も自分のことなど知らないし、関心もない。旅先の出会いは一瞬のこと。仕事の締切や支払、愛おしくも煩わしい人間関係、そうした日常の集積から、一時的に切り離されて、どこにも帰属しない存在になる。そのよるべなさを確かめるために、私は、居心地の良い家を出て、ここではない、どこかに向かうのだろうと思う。
執筆者プロフィール:渡辺裕子 Yuko Watanabe
2009年からグロービスでリーダーズ・カンファレンス「G1サミット」立上げに参画。事務局長としてプログラム企画・運営・社団法人運営を担当。政治家・ベンチャー経営者・大企業の社長・学者・文化人・NPOファウンダー・官僚・スポーツ選手など、8年間で約1000人のリーダーと会う。2017年夏より面白法人カヤックにて広報・事業開発を担当。鎌倉「まちの社員食堂」をプロジェクトマネジャーとして立ち上げる。寄稿記事に「ソーシャル資本論」「ヤフーが『日本のリーダーを創る』カンファレンスを始めた理由」他。
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