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イノベーション論の第一人者が説く、より良い人生を送る方法(篠田真貴子)

「篠田真貴子が選ぶすごい洋書!」第19回
"How Will You Measure Your Life?" (『イノベーション・オブ・ライフ』)
by James Allworth, Karen Dillon, Clayton Christensen, 2012年5月出版

クレイトン・クリステンセンさんの“How will you measure your life?”(『イノベーション・オブ・ライフ』)を読みました。

クリステンセンさんは世界でもっとも影響力があるとされた経営学者で、惜しくも2020年1月に亡くなられました。著書『イノベーションのジレンマ』は、現在、もっとも重要なビジネス書の1冊としてよく挙げられています。

しかし、実は私、クリステンセンさんの本をこれまで読んだことがなかったんです。ビジネス書好きだし、『イノベーションのジレンマ』はどう考えても基本の書なのですが、きっかけがなかったとしか言いようがないんですよね。著名な経営学者ですからその理論の概略は把握していましたし、クリステンセンさんの人物像も「信心深くて、めちゃいい人で、何度も重い病から生還して、ハーバード・ビジネス・スクールの教壇に立ち続けた」ことは知っていましたが……。

経営理論で紐解く人生の様々な課題

クリステンセンさんが教鞭を執っていたハーバード・ビジネス・スクールでは、卒業前の最終講義で多くの教授がはなむけに人生の指針になるような話をするのだそうです。本書『イノベーション・オブ・ライフ』は、クリステンセンさんがそうした最終講義で話してきたこと、また2010年に卒業生全員に向けて講演した内容を加筆しまとめたものです。

クリステンセンさんも同校の出身でした。トップスクールを卒業して素晴らしいキャリアを邁進する同級生たちが、経済的には成功してもプライベートでは深い悩みを抱えてしまう様子を見てきました。エンロン事件の首謀者として逮捕されたジェフ・スキリング氏も同級生でした。良い人で頭が良く、仕事熱心で、家族を大切にしていた彼が、なぜそのような事件を引き起こしてしまったのだろうか。そのような話をまくらに、最終講義でクリステンセンさんは、次の3つの問いを黒板に書くのだそうです。

How can I be sure that
I will be successful and happy in my career?
My relationships with my spouse, my children, and my extended family and close friends become an enduring source of happiness?
I live a life of integrity—and stay out of jail?
(粗訳:
どうしたら確実に
成功し幸せなキャリアを積めるだろうか。
パートナー、子供、親戚や親しい友人たちと、ずっと幸せな関係を築けるだろうか。
誠実な人生を歩み、逮捕されずにすむだろうか)

この3つの問いを解いていくにあたり、著者は経営学上の理論をいくつも援用します。ハーズバーグの「二要因理論」というモチベーションに関する理論のように、個人の問題に近い領域の理論を用いる部分もあります。その一方で、事業投資に関する理論を使って、仕事、家族、個人など人生に大切な要素のうち、どこに自分の時間と意識を向けるのかを論じるなど、人生の問題とはかなり遠い領域の理論を使って説明する部分もあります。

このように書くと、経営理論と人生の課題のあいだに大きな飛躍があるように思えるかもしれませんが、理論を無理にこじつけたような感じは全く感じません。むしろ大切なことを教わったと素直に受け取れました。それは著者が経営学者として真摯に経営学に向き合い、理論の力(とその限界)をよく理解しているからだと思います。

著者は理論の力を説明するのに、人類が飛行できるようになった歴史を例に挙げています。人々は古くから「鳥のように飛びたい」と、鳥の羽や翼を模して試行錯誤してきました。でも飛行の実現に直結したのは、流体におけるエネルギー保存の法則である「ベルヌーイの定理」が発見されたことです。飛行機を開発する過程では多くの試行錯誤がありましたが、例えば風が吹くときはどうするか、濃霧の中ではどうするか、といった様々な想定も、すべて基礎理論に立ち返れば解決の方向性が見えます。

このように、羽や翼のような一見分かりやすい説明は、実はいくつかの事例の表面的な共通項をくくったものにすぎません。それに対し、理論にはより深い視座があり、多様かつ複雑な課題を解決するのに応用されてきました。人生のように奥深く複雑な課題を解くには、理論の力を借りなければならない、と著者は述べています。

倫理観に根ざした人間社会への深い洞察

本書に説得力を感じる理由がもう一つあります。それは、著者自身の人生経験が数多く紹介されていることです。著者は末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教会)の敬虔な信者で、経営学者になる前から自分の人生について、そして周囲の人々に対して、誠実に向き合ってきたことが、数々のエピソードから感じ取れます。著者はビジネススクールを卒業後、起業してから、改めて博士号を取得して研究者に転じました。そうしたキャリア選択に至るエピソードも、趣深いものがあります。まず著者自身の生き様があって、後に経営学の理論を生み出し教える立場となったわけです。

ちょっと脱線しますが、私が通ったアメリカのビジネス・スクールでは、1年生のすべての必修科目にチーム課題があり、同じ5人チームで学習を進めることになっていました。私のチームにはモルモン教信者がいて、彼を通してモルモン教徒の生き方を知ることとなりました。18歳になると2年間、必ず海外に宣教活動に行くこと。婚前交渉や避妊がNGで、みんな若くして結婚し子沢山なこと。奉仕活動に熱心で、例えば彼は毎週、ホームレスの人たちを誘って一緒にバスケをやってました。日曜日は働いてはいけないので、私たちのチームは日曜日は集まらないことになり、おかげでとても生産性が上がりました。とにかく勤勉で、いい人で、彼のおかげで私はモルモン教信者全般に対し、尊敬する気持ちを持てるようになったんですね。『7つの習慣』著者のスティーブン・R・コーヴィーや、2012年のアメリカ大統領選で共和党候補だったミット・ロムニーなど、信者には政界や実業界で著名な人が多いのですが、「さもありなん」と感じています。

話をクリステンセンさんに戻しましょう。これは私の想像でしかありませんが、経営学者として研究をする中で、経営理論を自分の人生経験に引き付けることで理解を深めたこともあったのではないでしょうか。またその逆も然りで、クリステンセンさんは、信仰を通して人と社会のありように深い洞察があり、それがさまざまな経営学上の成果をおさめる一助となった面もあるのではないでしょうか。経営とは人の営みであり、企業は社会的な存在だからです。クリステンセンさんの中では、経営、個人の人生、経営学の理論、そして倫理観がすべて統合されて深く理解されていたのではないでしょうか。

本書の中でいちばん感銘を受けたのは、次の言葉です。

I genuinely believe that management is among the most noble of professions if it’s practiced well. No other occupation offers more ways to help others learn and grow, take responsibility and be recognized for achievement, and contribute to the success of a team.
(粗訳:
私は、良きマネジメントは、もっとも崇高な職業の一つだと心から信じている。マネジメント以上に、他者が学び成長するのを助け、責任を取り、成果が承認され、チームの成功に貢献するために、多くの打ち手がある職業はない)

マネジメントを職としている一人として誇らしく、また気持ちの引き締まる言葉でした。

執筆者プロフィール:篠田真貴子  Makiko Shinoda
小学校、高校、大学院の計8年をアメリカで過ごす。主な洋書歴は、小学生時代の「大草原の小さな家」シリーズやJudy Blumeの作品、高校では「緋文字」から「怒りの葡萄」まで米文学を一通り。その後はジェフリー・アーチャーなどのミステリーを経て、現在はノンフィクションとビジネス書好き。2020年3月にエール株式会社取締役に就任。

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