なぜ台湾の投票率は70%を超えるのか?(倉本知明)
「倉本知明の台湾通信」第8回
『來自清水的孩子』(2020年)著:游珮芸、周見信
台湾では政治への熱が高い。選挙のときだけ突如高熱を出すわけではなく、平熱からして十分高いのだ。実際、台湾では若者たちが積極的にSNSなどを使って自らの政治的意見を表明するし、一旦政府の失策や不正などが発覚すれば、人々が街頭に繰り出して声を上げることが当たり前になっている。当然投票への権利意識も高く、2020年1月に行われた台湾総統選挙では74.9%の投票率を記録した。ちなみにあてこすりたいわけではないが、その半年前に行われた日本の参議院選挙の投票率は48.8%にとどまっている。
いったいどうして彼らはここまで政治に強い関心を抱くのか。その理由を知るきっかけとして、今年台湾で発売された漫画『來自清水的孩子(清水から来た子供)』を紹介したい。「SON OF FORMOSA」のサブタイトルがつけられた本書は、台東大学児童文学研究所の游珮芸と絵本作家周見信によって共同創作された伝記漫画だ。本作を出版した慢工出版社は伝記漫画を出版する台湾の小規模出版社で、今回の作品もクラウド・ファンディングで資金を調達して出版にこぎつけている。もともと20万元(約70万円)を目標に資金調達をはじめたが、最終的に500人以上の賛同者に117万元(約410万円)の資金が集まって出版に至ったのだった。
無実の罪で囚われる「読書好きの少年」
本作の主人公である蔡焜霖(ツァイ・クンリン)は、かつて実際に白色テロを経験し、釈放後は児童雑誌『王子』を発行した人物として知られている。白色テロとは、戒厳令体制下(1947年‐1987年)において、国民党政府が反体制派に対して行った一連の政治的弾圧事件を指し、数千人から数万人の人々が犠牲になったと言われている。また彼の実兄である蔡焜燦(ツァイ・クンツァン)は、司馬遼太郎の紀行文集『街道をゆく-台湾紀行』で「老台北」として登場したこともある人物なので、読者のなかにはこの名前に見覚えがある人もいるかもしれない。
物語はこの平凡な一市民である蔡焜霖を中心に進んでいく。1930年、台中清水街で10人兄弟の8番目の子供として生まれた蔡焜霖は、温かい家族に囲まれながら、学校では日本臣民としての教育を受ける。やがて中学に上がった蔡焜霖は学徒兵として皇軍に動員され、目まぐるしい時代的転換の下で立て続けに「敗戦」と「光復」(祖国復帰)を体験する。しかし、勉強熱心だった蔡焜霖は戦後、台中一高で開催されていた読書会に参加したことが原因で、「アカ」のスパイとして逮捕、拷問される。国家転覆を試みた罪状を「自白」させられた彼は、その後10年間にわたって政治犯たちが収容された台湾東部の孤島・緑島に収容されてしまうのだった。
本作の面白い点のひとつとして、戦後台湾における多言語状況を漫画というコンテンツのなかでうまく処理していることがある。登場人物たちの吹き出しには時代背景や民族の違いによって、中国語に台湾語、日本語が浮かび、日本植民地時代から白色テロ時代にいたる言語的変動を詳細に描写している。例えば緑島で思想教育を施される蔡焜霖は、監房の仲間たちとは台湾語で話し、また故郷を思い出しては日本語で「故郷」を口ずさんでいる。
作品の巻末には台湾の歴史年表に加え、作品に登場した場所や人物の経歴などが詳しく書かれており、まさに白色テロで命を落とした多くの台湾人たちへの鎮魂歌となっている。
台湾における投票率の高さや政治への積極的参加は、まさにこうした凄惨な過去を抜きに考えることはできない。しかもこうした過去は長らく口にすることがはばかられ、蔡焜霖は緑島で暮らした10年間について、自身の子供たちには「日本へ留学に行っていた」とその事実を隠してきたという。彼らは戦後70年間、実に長い時間をかけて民主主義の権利を獲得してきたのであって、現在にいたるその過程において警察署や監獄、街頭や学校などでおびただしい血が流されてきたのだ。
「社会は自分たちの手で変えられる」
こうしたタブー視されてきた過去と向き合い、現在の民主主義体制をより強固なものにすることを目的に、2018年には蔡英文総統によって、権威主義的な統治の下で行われた人権侵害やその結果の真相究明などを目的に「移行期正義促進委員会」が設置された。政治資料の公開や権威主義体制の象徴の排除、被害者への公式謝罪のほかにも、蔡焜霖がかつて収容されていた緑島の収監施設に「白色テロ緑島記念園区」を設立するなど、冷戦時代に刻まれた社会的な傷跡は、そのまま現在における民主主義社会をどのように考えるかといった問題と直結して論じられている。
似たような現象は、同じく冷戦時代に権威主義体制が敷かれた韓国でも起きている。最近ではフェミニズム作品が注目されている韓国文学だが、光州事件を扱ったハン・ガンの『少年が来る』など、現在でもかつての権威主義体制とそれに立ち向かった民主化運動をテーマにした作品は書かれ続けている(ちなみに2020年4月に行われた総選挙の投票率は、コロナ禍にもかかわらず66.2%だった)。
台湾でも今年1月、『臺灣白色恐怖小説選(台湾白色テロ小説選)』全4巻が出版されて大きな話題を呼んだが、冷戦時代を振り返ったこうした作品群は、白色テロ時代をテーマにしたホラーゲーム『返校』に今回紹介した漫画『來自清水的孩子』など、ここ数年様々なコンテンツを通じて発表され、人気を博している。
権威主義体制に立ち向かい、それを自らの手で変革していった自負があるからこそ、台湾人の政治参加への意欲は高い。台湾の友人たちと話していると、「社会は自分たちの手で変えられるのだ」といった強い自信が感じられる。政府による公文書偽造にデータ改ざんなど、民主主義への信頼が揺らぐ現在の日本において、果たして彼らのように胸を張って振り返られる過去はどれだけあるだろうか。仮になかったとしても落ち込むことはない。なぜなら私たちは他者の経験から学ぶことができるからで、そしてその学ぶべき他者は私たちのすぐ隣にいるのだから。
執筆者プロフィール:倉本知明
1982年、香川県生まれ。立命館大学先端総合学術研究科卒、学術博士。文藻外語大学准教授。2010年から台湾・高雄在住。訳書に、伊格言『グラウンド・ゼロ――台湾第四原発事故』(白水社)、蘇偉貞『沈黙の島』(あるむ)、王聡威『ここにいる』(白水社)、高村光太郎『智惠子抄』(麥田)がある。
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