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「冷戦時代のケンブリッジ・アナリティカ」はいかに民主主義を「ハック」しようとしたか?(植田かもめ)
植田かもめの「いま世界にいる本たち」第30回
"If Then: How the Simulmatics Corporation Invented the Future"(イフ・ゼン:サイマルマティクス社はいかに未来を創造したか)
by Jill Lepore(ジル・ルポール)2020年9月発売
予言の歴史は、古くさかのぼる(Prophecy is ancient)。
太古の神秘主義から近現代のコンピュータ計算まで、人は将来を予測することに情熱を傾けてきた。
けれども、自然科学や物理工学に比べると、社会や人間の振る舞いを定量的に分析し予測しようとする試みは比較的歴史が浅い。
本書"If Then"は、1959年に創業して1970年に破産した米国企業サイマルマティクス社をめぐるノンフィクションである。ハーバード大の歴史学者である著者のジル・ルポールは、人々の行動データを分析して投票行動を操作しようとした同社を「冷戦時代のケンブリッジ・アナリティカ」と呼ぶ。
公民権運動の影で進んだ行動科学の歴史
1950年代、人間のコミュニケーションに影響を与えるふたつの新しい機械が誕生した。テレビとコンピュータである。
後者の影響は前者に比べて理解されにくかったが、本書の主人公のひとりでありサイマルマティクス社の創業者であるエド・グリーンフィールドは違った。広告業界出身で民主党の政治家と親交のあった彼は、その新しい技術に魅了された。有権者を性別や人種などで分類してその行動を「コンピュータ分析」する事で、どの政治問題にどのようなポジションを取れば票を得られるかを予測できるのではないかと考えたのだ。
グリーンフィールドは、コンピュータや数学の専門家、そして、まだ生まれたばかりの「行動科学」の研究者を、「磁石のように」全米中からかき集めて、サイマルマティクス社を創業した。
サイマルマティクス(Simulmatics)とは、シミュレーション(simulation)とオートメーション(automation)を足した造語である。
公民権運動が盛り上がる時代を背景にして、同社は民主党に対して政治アドバイスを行った。1962年には選挙結果を「コンピュータ分析」して新聞に提供する最初の企業となり、1965年にはベトナム戦争において現地の反乱を鎮圧するための心理操作を企画し、1969年には米国における人種暴動の発生を予測して制御するプロジェクトを受注した。
「データなき時代」のビッグデータ分析会社
では、はたしてそうしたプロジェクトは、パンチカードで磁気テープにデータを入力するタイプの「原始的」なコンピュータしか存在しなかった60年代に、成功したのだろうか。
結論を言うと、完全に失敗したのだ。だから同社のことを知る人はほとんどいない。同社のプロジェクトはどれも見果てぬ野望に終わり、彼らが作成したレポートは政府機関などから信頼されなかった。そしてサイマルマティクス社は1970年に破綻し、その歴史は忘れ去られた。
本書は彼らの壮大な計画とずさんな実態を描く。本書を読んでいると、まるで今の時代からさかのぼって書かれたSF小説を読んでいるような気分になる。
たとえば、サイマルマティクス社の中心人物であるMITの社会科学者イシエル・デ・ソラ・プールはあるとき、こんな構想を思いついた。ある人物AがBを知っているとき、Aの知り合いである他の人物もBを知っている可能性はどれぐらいあるだろうか。ある人物から他の人物まで、何人の知り合いを経由すればつながるだろうか。プールは自分の知り合い全てのリストを作成し、それを郵便で送りつけて、共通の知り合いがいたらチェックをしてもらった。
これはまるで、スマホもSNSも無い時代に人力でFacebookを作ろうとするアイデアだ。彼は自分の理論を「ソーシャル・ネットワーク」と呼んだ。
『三体』で知られる劉慈欣のSF小説の設定で、秦の始皇帝に円周率の計算を命じられた学者が、人間ひとりひとりを手旗信号でゼロかイチの出力をする電子信号に見立てて、三百万人の兵で巨大な人力計算機械を作り上げるという作品がある(『三体』に登場するほか、「円」という独立した短編として『折りたたみ北京』に所収)。
サイマルマティクス社のプロジェクトにも、ビジョンは現代の目線でも十分通用するのに、絶望的なほど技術が伴っていないという滑稽なミスマッチがある。同社が利用していたIBMの704というコンピュータは、チェスの2手先を計算するのに8分間を必要とした。それでも当時は「リアルタイム」の計算スピードとして知られていた「最先端」のマシンだったのである。
未来は今、なのかもしれない
さて、サイマルマティクス社が破綻してから数十年で、インターネットが生まれ、SNSが登場した。そこで蓄積されたデータを不正利用して、ブレグジットや米国大統領選に関する投票行動の操作を試みたのが、ケンブリッジ・アナリティカ事件である。
同事件の内部告発者クリストファー・ワイリーの著書を以前紹介した際、「民主主義をハックするためのレシピ」と紹介したが、サイマルマティクス社の誕生と没落の歴史は、世論をデータでコントロールしようとする「レシピ」自体は、実は昔から存在していたと教えてくれる。
ただし、レシピはあっても、データという「材料」も、データを加工する高性能なコンピュータという「調理器具」も当時は存在していなかったのだ。逆に言うと現代は、それらがはじめて全て揃った時代と言えるのかもしれない。
そして、たとえば現代に無数に存在する「AIなどの新しい技術を使ってこんな事ができるようになる」といった計画も、今から50年後に「早すぎたビジョン」として振り返られるのかもしれない。我々が本書でサイマルマティクス社の失敗の歴史を回顧するように。
ジル・ルポール著 "If Then"は、2020年9月に発売された一冊。
執筆者プロフィール:植田かもめ
ブログ「未翻訳ブックレビュー」管理人。ジャンル問わず原書の書評を展開。他に、雑誌サイゾー取材協力など。ツイッターはこちら。
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