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「1万年生きるかのように行動するな」ローマ皇帝に学ぶ「自省」のススメ(渡辺裕子)

渡辺裕子「鎌倉暮らしの偏愛洋書棚」 第7回
自省録
著:マルクス・アウレーリウス
訳:神谷 美恵子 岩波書店 1991年12月発売

連休がやってきた。しかし一都三県には緊急事態宣言が発令され、予報では寒波で雪になるかもしれないという。悲しい気持ちで家に引きこもることを決め、本棚を物色し、10数年ぶりに第16代ローマ皇帝マルクス・アウレーリウス『自省録』を読むことにした。ひまなので。

あたかも一万年も生きるかのように行動するな。不可避のものが君の上にかかっている。生きているうちに、許されている間に、善き人たれ。

君の肉体がこの人生にへこたれないのに、魂のほうが先にへこたれるとは恥ずかしいことだ。

君がこの世から去ったら送ろうと思うような生活はこの地上ですでに送ることができる。

君の人生はもうほとんど終りに近づいているのに、君は自己にたいして尊厳をはらわず、君の幸福を他人の魂の中におくようなことをしているのだ。

数々の有名な箴言もさることながら、以前に読んだときはあまり気に留めなかったこと──たとえば12巻から成るこの本(ひとつひとつの巻は短い)の第1巻が周囲の人びとへの感謝、誰からなにをもらって生きてきたのかという列挙から始まることに、考えさせられる。

祖父ウェールスからは、清廉と温和(を教えられた)。
母からは、神を畏れること、および惜しみなく与えること。
アポローニオスからは、独立心を持つことと絶対に僥倖をたのまぬこと。
父からは、温和であることと、熟慮の結果いったん決断したことはゆるぎなく守り通すこと。

このような記述が数ページにわたって続く。

わたしという人間がなにでできているのか。たしかに、これまで出会った人びとからなにかしらを受け取って、その集大成が自分だと考えることもできる。

自省とは、これまでの人生で受け取ってきたものの「棚卸」

村上春樹の短編小説に、35歳の誕生日を人生の折り返し地点と考え、くまなく体をチェックしてメンテナンスする男の話がある(もし70歳過ぎまで生きられたら、おまけと考える)。いまの自分は、たとえ喧伝されているように人生100年時代が到来しようが不老の技術が開発されようが、どんなに楽観的に考えても折り返し地点にいることはまちがいない。

私はこの折り返し地点でどんなメンテナンスをするだろう。皇帝がそうしたように、これまでの人生で受け取ってきたものの棚卸をすることは、体のチェックやメンテナンスと同じかそれ以上に有効であるように思う。

本を読むこと、絵画や音楽に親しむこと。朝起きて昇る太陽が美しいと思うこと。布団を干すと幸せな気持ちになること。おいしいごはんのつくり方。やってられんと思ったときでも、友人と酒を飲んでバカ話をすると愉快であること。さまざまな生活習慣、価値観や美意識、大切にしている言葉、思考のくせ、行動規範。どんなにささやかでも一人でつくりあげたものはなく、みな人生の中で誰かにもらったのだということに気づき、それを言葉にしていくことは、残りの時間を生きていくための(それが長かろうが短かろうが)財産になるはずだ。

自分がわかったつもりになっていることはもちろん、そうではないこと、たとえば幼少の頃に教わって記憶の底に眠らせたままにしておいたことであっても、長い時間が経って、教えてくれた人とすでに離れ離れになっていたとしても、自分が言葉にして組み立てることで、記憶に光が当てられ、自分が生きていくための杖として輝き始める。

地位や名声より大切な「感受性」と「洞察力」

自省録』は主にマルクスの壮年期から老年期に書かれたといわれる。人生の終わりを見つめていたのだろう、時間が有限であること、自分の名や功績を後世に残そうなどという考えは虚しく、どんな人も原子に還り、どんなに偉大な人の名前も時とともに忘れられるということが繰り返し綴られている。新型コロナウイルスによって、生の有限について考えさせられる中、こうした言葉は胸に刺さる。

すなわちたとえある人の寿命が延びても、その人の知力が将来も変りなく事物の理解に適し、神的および人間的な事柄に関する知識を追求する観照に適するかどうか不明である。
(中略)
今にも実の落ちようとしているオリーヴの樹においては、実が爛熟に近いために、かえってある美しさを帯びるものである。(中略)かように宇宙の中に生起することにたいする感受性とさらに深い洞察力を持っている人には、たとえほかのことの結果として生ずるにすぎぬものでさえも、なにか特殊な魅力をもたぬものはほとんどないように感ぜられるであろう。

皇帝は58歳で没した。多くの人がその倍近くの年齢を生きると言われる人生100年時代において、この感受性と洞察力を持つことの重要さがいっそう増しているように思う。これまで自分は何を受け取って生きてきたのか。皇帝と同じように、そこから「自省」を始めたい。

執筆者プロフィール:渡辺裕子 Yuko Watanabe
2009年からグロービスでリーダーズ・カンファレンス「G1サミット」立上げに参画。事務局長としてプログラム企画・運営・社団法人運営を担当。政治家・ベンチャー経営者・大企業の社長・学者・文化人・NPOファウンダー・官僚・スポーツ選手など、8年間で約1000人のリーダーと会う。2017年夏より面白法人カヤックにて広報・事業開発を担当。鎌倉「まちの社員食堂」をプロジェクトマネジャーとして立ち上げる。寄稿記事に「ソーシャル資本論」「ヤフーが『日本のリーダーを創る』カンファレンスを始めた理由」他。

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