「傷ついた」って正直に言えない
日本で生きてきて思うのは、「傷つくこと」や「被害者意識」というものに対して、とてもシビアだなぁということ。
例えば、クラスメイトや同僚に悪口を言われたとき、相手は冗談や悪ふざけだったとする。でも言われた本人は傷ついた。
こういう時、大体言われた側は、相手の空気に合わせて笑って見せたり、ポーカーフェイスを保って傷つかないフリをしようとする。
なぜ傷ついたことを隠そうとするのか?
冗談が通じないつまらない奴だと思われて嫌われるのが怖いから。
嫌われて孤立するのが嫌だから。
その場を円満に済まそうとするため。
そう。大抵が相手や周りの空気に合わせることで、結果的に自分の身を守ろうとしているわけだ。
自分が生きるカテゴリーの中で人間関係を円満に済まそうとするのは、個人が社会で生きる術。社会性とも言えるかもしれない。
お互いが傷つけ、傷つき合っているわけだ。
だからこそ、「傷つきました!」と正直に手をあげることに皆抵抗がある。
そうなってくると勇気をもって「傷つきました」と言う人が突如現れた時どうなるか?
皆が一斉にその人にバッと注目し出す。「え?ここで傷つきましたって言うってどういうこと?」と言わんばかりの顔をして。
これだ。こうなることが予想できるから「傷つきました」って言いたくないわけだ(泣)
さて、日本でよくあるこの光景。これって、全員が他人軸で生きていることにお気づきだろうか?
傷ついた感情に蓋をして、他人と同調しながら生きている。
自分が何か言われた時に傷ついた感情に蓋をするのが当たり前なもんだから、正直に「傷つきました」と表現する人が異例にしか見えない。
更にヒートアップすると、正直に「傷つきました」と言う人のことを弱い者扱いしたり、「そんなことで傷つくなんて大袈裟だ」と言い始める。
こういった空気感が傷を深くする上に、そんな空気感を自分たちで創り出しているにも関わらず、余計に自分自身が「傷つきました」と言い出しにくい雰囲気に苦しむことになる。
すると「傷つきました」と表現する人を受容できなくなってくるわけだ。だって自分は「傷つきました」って言えないんだから。
まさに負のスパイラルなわけだ。
この負のスパイラルが、いじめやパワハラ、モラハラなどの問題をモンスター化させる闇の原因。
ではどうしたら負のスパイラルをいち早く断ち切れるか?
一人ひとりが傷つく自分の心を受容すること。
自分の欠点や弱さを受け止めること。
「傷ついてもいい」と自分に許可することで、他人の傷つく心も受容できるようになる。
自分の欠点や弱さを個性として受け止められることで、他人の悪口を気にしなくなる。
これが自分軸の生き方。
周りの負のスパイラルに巻き込まれることがない。傷ついた人に寄り添える人にもなれる。すると自己肯定感や幸福度も上がる。
自分軸で生きることが幸せを呼ぶ。
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