加害者が加害者になる前に
事件が起こるたびに思う。
なぜ加害者は加害者になってしまったんだろうかと。
彼らが加害者になる前に、彼らに対して何かできることがあったんじゃないかと思わずにはいられない。
それは、子ども時代なのか、青年期なのか、はたまた成人してからなのかは分からない。
だけれども、どこかのタイミングで、彼らの心が『闇』に支配される前に救い出すことができたなら、彼らが加害者になることも、被害者が生まれることもなかったのではないかと思えてならない。
光と闇は表裏一体だ。
人は生きていると、どこかのタイミングで闇と闘わなければならない時があるような気がする。
コンプレックスや孤独感。焦り。惨めさや嫉妬と向き合わされることもある。
こういった感情を味わう瞬間、人の心は非常に苦しい。
そんな時、惨めな弱い自分自身をまるごと受容し、愛することができれば、人は「闇」に心が蝕まれることなく、光を保つことができる。
でも、惨めで弱い自分を受け止めきれず、イライラし焦り続けたまま、「闇」から抜け出すことができずにいれば、暗闇の中、生き続けることになる。
彼らは、人生で天から与えられた「闇」という試練に負けてしまったのだろう。
彼らが暗闇にいる時、「光」を見出だせるきっかけがあったら、同じ誤ちは犯さなかったかもしれない。
悪質な事件や問題を、決して他人事にしてはいけない。
これ以上の加害者を増やさないために、これ以上の被害者を増やさないために、社会全体でできることを多方面で知恵を絞って考え、行動に移していく必要があるだろう。
教育面、社会のしくみ、人と人の繋がり、道徳観。
私たちにやれることはまだまだ沢山あるはずだ。
報道されるような悪質な事件や問題だけでなく、巷には小さな「闇」が散らばっているような気がする。
その小さな「闇」が、一人ひとりの心に大きな影響を与えていることも否めないだろう。
小さな闇が、やがて大きな闇となる。
「凶悪事件に私は関係ない」ではない。
個人の心に宿る小さな闇を、みんなが共生している社会の中で、無意識のうちにただ闇雲に散りばめていないだろうか?
その小さな闇に、別の誰が傷つき、恐れを感じているかもしれないことを、一人ひとりが自覚してみてもいいのかもしれない。
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