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映画「空気人形」の死生観
是枝裕和監督の作品が好きです。
今とても有名な監督ですので、ご存知の方も沢山いらっしゃることだとおもいます。
「空気人形」はもとは漫画が原作だそうです。
韓国女優ペ・ドゥナが主演のファンタジー(だと私は思うのですが、ちょっと映像でグロテスクな場面もあるので、簡単にそうは言いきれませんけど)・・・。
ここに表現される、生死観、虚無感、それを出演している俳優陣がとてもうまく表現しています。
ペ・ドゥナ演じる「のぞみ」はラブ・ドールです。これを演じられるのはやはり彼女しかいないのだろうなとみていて思いました。
孤独な秀雄(板尾創路)の持ち物で、まるで本当に恋人の様に扱われます。
(秀雄の孤独、その異常さも⦅生きた人間には興味が持てない、歪んだ愛情⦆板尾さんは上手に演じています。
みていて本当にそんなひとなんじゃないかって気がしてきますから。)
そんな日々を送っていたら、「ひとみ」にこころが宿ってしまいました。
「ひとみ」のこころは生まれたばかりの赤ん坊と同じです。
善悪も自我もまだ育っていません。(無垢な魂と言えばいいのか)
生きるラブ・ドールとなった「ひとみ」は秀雄のいない日中に街に出ます。そしてそこで見かけたレンタルビデオ店の店員純一(ARATA)に恋をします。
そこで、日中ビデオ店でアルバイトをすることになります。
朝、秀雄が出かけると自分の体に空気を空気入れで入れ、出かけることを当たり前のようにしているシーンをみていて、「ひとみ」は生身の体でないので、死と言うものが分からないのだなと思います。
そんなある日、皮膚を釘にひっかけて空気が抜けてしまいます。
純一がそれをみてしまいます。
「あぁ、見ないで」と空気がぬけへなへなとしながら思う「ひとみ」。
しかし、純一は「ひとみ」に自分の息を送り込み膨らませます。
そして傷口にバンドエードを貼ります。
息を吹き込まれ蘇生していく「ひとみ」の表情がなんとも言えないものです。
ラブ・ドールなので、ベット・シーンも出てくるのですが、そんなものよりこのシーンにドキドキしてしまいました。
その日以降、「ひとみ」は空気入れを捨ててしまいます。
この純一もなんだか不思議な虚無感を漂わせており(ARATAさんがこれを上手に表現してます)
「僕も空気人形なんだよ」
と言います。
「ひとみ」は純一の元に走ります。しかし、ふたりの愛し合い方は変わっていて、「ひとみ」の空気を入れたり抜いたり、その繰り返し・・・。
生死のはざ間を行ったり来たりって感じです。
眠る純一を今度は私が空気を入れてあげるとばかりに「ひとみ」は包丁で刺します。
お腹を包丁で刺された純一はいくら空気を入れても蘇生はしません。
「ひとみ」は自分を作った園田(オダギリジョー)の言葉、
「しょせん僕たちは燃えるゴミなんだ」
という言葉を思い出し、純一を燃えるゴミの日にビニール袋に入れ出します。
自分に空気を入れてくれる人がいなくなってしまい、「ひとみ」は秀雄の元に帰ります。
しかし、こころを持った「ひとみ」を秀雄は拒絶します。
「人形に戻ってくれ。生きているとめんどくさいんだ」
どこにも行くところのなくなった「ひとみ」は自らも燃えるゴミの中に身を横たえるのでした。
最後までこれを観て、きっと嫌だと思う人も多いと思います。
でも私はこの無常観、虚しさがなんともいえず自分の心の底に沈んでいるのです。
歪んだ愛情によって捨てられた「ひとみ」。
歪んだ愛情で拾われた「ひとみ」。
彼女にはきちんとした愛情は伝わらないままその生を終えたのだろうと思います。
是枝監督の作品の中でも少し変わった作品。でも私の心に深く残っている作品です。
(2015.9.30リトライ)
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