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推しの話(舞台「終わりのない」)


CSで「もっと知りたい山田裕貴」というのをしていた。

山田裕貴くんはTVドラマ「HIGH&LOW」で鬼邪高番長村山役を演じた。

それが初めての出会い。

(私はその時の鬼邪高校では単発で出てきた轟にときめいてその後も轟役の前田公輝くんの大ファン(ついにファンクラブの初期メンバーに登録してしまった)。しかし今日は山田君の話)

昔から爆発的に知名度が上がってしまうとファンを離れる性格をしている。

そんな訳で山田君は今やすっかり地上波に沢山出る俳優になったので私がついてなくてももう大丈夫ね(どんだけうえから?)って思うのでそれほど熱を入れてみていないのだが、先日のCSで主演舞台「終わりのない」をみた。

感想は、よかった。面白かった。ネタバレになるが書いてしまいえば

主人公のユーリ(山田君)はキャンプに来ていて海で溺れる。

死んだのかと思うと遥か彼方の宇宙船の中にいて何百年もの未来に来たことになっている。

そのユーリは溺れた時のユーリではないが、過去の記憶がある。しかしそんなことはないと全否定され、同じダミーの個体があるので過去の記憶があるユーリは蘇生に失敗したとして宇宙空間に捨てられることになる。

次に起きるとまた違う未来で先ほどの宇宙船の行き着く未来になっている。

どこか人間が住める星を求めてさ迷っていた宇宙船の遥か未来。新たな星で生活する人間の姿。

そこでまた死んだかと思うとキャンプ場に戻っている。しかしそのキャンプ場での状況が少し変わっている。

元通りの場所とは違う。そんなことは量子力学的にはないことだと言われるが明らかに先ほどの時と違う。

意識を失う度にまた違う場所に行く。

もう一度宇宙船に戻るが全ての記憶を持つユーリをアンドロイドが肯定したことで、そのアンドロイドが他のアンドロイドと同じで無くなったため処分される。

しかしユーリの再生は繰り返されない様にされ、ユーリはもう一度キャンプ場に戻る。

このキャンプ場は果たして新たな場所なのか?

次元を超えて違う自分がどこかに存在するかもしれない、永遠に終わりがなく並行世界があるのかもしれない。

そこでは微妙に違った「わたし」が存在する。

そういうことを考えさせる作品だった。

パラレルワールドについては良く考える。
(そう言われればこの「もっと知りたい山田裕貴」で映画「あの頃君を追いかけた」で山田君と電話する齋藤飛鳥ちゃんが「パラレルワールドでは今も付き合っている」と語っていた。違う次元の違う自分たち、そこでは今みたいにすれ違っていないかもしれない。一番好きな人と一緒にいるかもしれないという切ないことを言っていたなと思う。今の次元と違う次元の「わたし」意識していないけれどどこかでつながっているのかもしれないと考えるとなんとなく嬉しくなる。他の次元の「わたし」がしあわせでいてくれたらなと思ったりする。おっと脱線。)

宇宙船には寝ていて意識のないユーリのからだに魂が入るかたちと呼べるのか?

未来の星では起きるとそこにいることになっているから誰かのからだに魂が入ったかたちといえるのかもしれない。

キャンプ場ではどうなんだろう?

いきなり意識が戻ると少し変わった世界が待っている訳だけど、であれば目覚める前のユーリはどこにいったのか?

そのユーリがいるから次元の違う所からきた魂は入り込むはずがないということになる。

その魂が他の次元に同じように飛ばないと入ることもないのじゃないかと思うとこの話が少し不思議なものになってくる。

どこまでも終わりがない。それが題名になっている作品だった。


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