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【展覧会レポート】今ここにあるリアルの話をしよう|雨宮庸介展「まだ溶けてないほうのワタリウム美術館」

東京・神宮前のワタリウム美術館で、「雨宮庸介展|まだ溶けてないほうのワタリウム美術館」が開催中だ。

雨宮庸介は、ドローイング、彫刻、インスタレーション、映像、パフォーマンスと様々な手法を用いて、わたしたちの認識や世界のありさまを揺さぶるような作品を手掛けている。

FRPや木で制作される「溶けたりんごの彫刻」や、Reborn-Art Festivalで発表されたインスタレーション作品「石巻13分」、会場のワタリウム美術館で制作された新作のVR作品と、初期から現在まで、その活動が見渡せる展覧会となっている。

会期は3月30日まで。

展覧会場入り口


「雨宮庸介展|まだ溶けてないほうのワタリウム美術館」概要


本展はアーティストの活動初期である2000年代の作品から、「溶けたりんごの彫刻」、「石巻13分」といった代表作、そして会場のワタリウム美術館で制作された新作のVR作品まで、その活動が見渡せる展覧会となっている。

「まだ溶けてないほうのワタリウム美術館」というタイトルが示すとおり、
アーティストの言葉を借りれば「認識」や「位相」によって、
「今ここ」の世界と、そうではない別の世界を感じられる展覧会だ。

本展のアーティスト雨宮庸介は、ドローイング、彫刻、インスタレーション、映像、パフォーマンスと様々な手法を用いて、わたしたちの認識や世界のありさまを揺さぶるような作品を手掛けている。
アーティスト・プロフィールから引用する。

リンゴや石や人間などのありふれたモチーフを扱いながら、超絶技巧や独自の話法などにより、いつのまにか違う位相の現実に身をふれれてしまう体験や、認識のアクセルとブレーキを同時に踏み込むような体験を提供する―そんな作品を通じて「現代」と「美術」について再考をうながすような作品を制作している

Yosuke Amemiya「CV」


ワタリウム美術館の2階から4階の3フロアを利用した展覧会となっている。
各階ごとにテーマなどが設定されているわけではないが、主な内容は以下の通りだ。
2階は、実態のある「もの」についての、わたしたちの思い込みを揺さぶる作品が並ぶ。
3階には、新作のVR作品と、「1300年持ち歩かれた、なんでもない石」のハンドアウトの山。
(VR作品は1度に体験できる人数と、時間が決まっているので、余裕をもってお出かけしていただくのがよいと思います。)
4階には、映像作品「石巻13分」と、これまでの作品や、制作のためのドローイングなどが小さな空間に詰め込まれたアーカイブ的なインスタレーションだ。

印象的だった作品をいくつか紹介していきたい。

「雨宮庸介展|まだ溶けてないほうのワタリウム美術館」展のみどころ


「ロッカーの入り口」

展覧会の始まりはとても狭い入り口のドアを開けるところから始まる。
白く狭い空間に設置されたドアを開けると、広々とした天井の高い展示空間が広がる。今入ってきた入り口を振り返ると、そこにはロッカーが並んでいる。
自分がロッカーの一つからでてきたことがわかる。
まるで違う世界への入り口を抜けてきたかのようだ。

アーティストも、自分の作品が世界や次元を行き来するものなので、その装置としての役割をもっている、というような説明をしていたと思う。
ドラえもんの「どこでもドア」のようなものか。

後ろを振り返ったときの「あれ?」という感覚によって、展覧会の意図が入り口から少しずつ伝わってくる。

展覧会場入り口

入り口を抜けて、振り返ると、そこはロッカーだった。

「ロッカーの入り口」


「胡蝶の正夢」

一見すると古びたソファーだ。
近くに寄ってみると、ちょっと様子がおかしい。
何かで描いたあとのような、筆致が見える。
作品はFRPで作られており、皮が古びた感じに色鉛筆で塗られているのだそうだ。
タイトルは「胡蝶の正夢」。
「胡蝶の夢」は中国の思想家荘子の有名な説話である。
あるとき、蝶として楽しくひらひらと飛び回っている夢をみた。
ふと目が覚めると、自分が夢の中で蝶になったのか、それとも蝶の夢の中に自分がいるのか、と思うという説話だ。

ソファーであり、ソファーでない。
どちらも等しく存在する。
今ここにあるものは何か。

この作品は2000年という、アーティスト最初期の作品で、すでに現実とバーチャルについて考えていることがわかる。

この作品は高橋コレクションの収蔵作品だそうだ。

「胡蝶の正夢」
「胡蝶の正夢」部分


「長テーブルと林檎が描かれたドローイング」

展示会場の奥には長いテーブルが置かれ、
天井から吊るされたたくさんのライトがテーブルの所々を照らしている。
ライトが照らすテーブルには、様々な「溶けたりんごの彫刻」が置かれている。

テーブルのガラスの天板の下には、ドローイングが展示されている。
ドローイングには、必ずりんごが描かれていて、スポットライトのようにテーブルの下からりんごの在処が示されている。

この作品は、2021年に弘前れんが倉庫美術館で展示された作品を、今回の展示用に改変したそうだ。
点在するりんごと、スポットライトが入り混じり、星座のようでもある。

「溶けたりんごの彫刻」も、やはり”溶けていないりんご”を想像させる。
無意識に、自分の想像のなかのりんごと、今ここにある溶けたりんごを比べる。
想像のなかのりんごは、
自分が体験したリアリティーのあるりんごのはずなのに、
眼の前には、溶けたりんごが「今ここにある」。
溶けたりんごにも、また同様のリアリティーがある。

バーチャルと現実が行き交い、めまいがしてくる。
感覚が揺らぐ。アートをみる醍醐味だ。

「長テーブルと林檎が描かれたドローイング」部分

一つだけ、空中に浮かび上がる林檎がある。

「長テーブルと林檎が描かれたドローイング」部分
「長テーブルと林檎が描かれたドローイング」部分

色のついた林檎だけでなく、白黒の林檎や他のフルーツもある。


VR まだ溶けていない方のワタリウム美術館

3階のフロアでは、新作のVR作品が体験できる。
会場であるワタリウム美術館を舞台に制作されたVR作品だ。
アーティストのステートメントが作品をよく表現しているので引用する。

今回の展覧会タイトル「まだ溶けてないほうのワタリウム美術館」は「溶ける以前の状態が継続している」という、実はデュシャン以降のアートをアートたらしめている「過去完了」をそっと召喚しようと試みます。同時にこれは、平和にみえる無関心な日常さえも実は「まだ戦争が起きていないほうの静寂」でもあることを顕在化せんとするものです。
本来「ここではないどこか」に自身をカジュアルに転送するために設計されているはずのVR HMD(ヘッドマウントディスプレイ)を使用しつつ、むしろ「どこかではないここ」に丁寧に連れ戻し、この世界そのものについて肯定を試み、仮に祝福にまでこぎつけると「この世界」と「この世界」が秘密裡に並走しはじめる。
そんな仮説を今読んでいるあなたにそっと耳打ちすること、それこそが僕なりのアートの実践であり本展覧会で試みられることです。

ワタリウム美術館ウェブサイト
「雨宮庸介展|まだ溶けてないほうのワタリウム美術館」展示内容より

http://www.watarium.co.jp/jp/exhibition/202412/


VR作品なので、写真などは撮影できないが、ぜひ体験してみていただきたい。
作品で描かれるバーチャルの世界は、キラキラした夢のような世界ではない。
今ここにある世界と力強くつながっているようでもあり、どこかで途切れてしまった、よく似た別の次元のようでもある。

(※1回に体験できる人数が限られていますので、週末は特に時間に余裕をもってお出かけいただくのがよいと思います。)

VR作品の入り口には「1300年持ち歩かれた、なんでもない石」のハンドアウトが積まれており、持ち帰ることができる。プロジェクトを詳細に説明した文章が読める。
壮大なプロジェクトで、ウェブサイトもあるので、興味のある方はぜひご覧いただくとよいと思う。

「1300年持ち歩かれた、なんでもない石」のハンドアウト

「1300年持ち歩かれた、なんでもない石」のウェブサイト


「石巻13分」

Reborn Art Festivalで発表された同名のインスタレーション作品「石巻13分」の映像作品が上映されている。
薄暗い部屋に入ると、ディスプレイに向き合うかたちでソファーが置かれていて、
思い思いにソファーに腰掛ける。
ブラインドの降りた薄暗い部屋のなかで、映像とともにテキストが流れていく。
テキストを読みながら、映像の状況を思い浮かべる。
自分の中で徐々にイメージが出来上がっていくのを感じていると、
突然に、目が開かれるような時が来る。
テキストによって自分のなかで膨らんでいったイメージと、現実のイメージとが重なり合う、美しい瞬間が体験できる。
アーティストは、それを「テキストインスタレーション」である、と説明していた。

「石巻13分」部分
「石巻13分」部分
「石巻13分」部分

4階では、過去の作品や、作品制作に使用されたアイテム、ドローイングといったアーカイブがぎゅっと詰まったインスタレーションも展示されている。
初期作品の映像など、貴重な資料も見ることができる。

過去の作品や、作品制作に使用されたアイテム、ドローイング映像などのアーカイブ


今ここにあるリアルの話をしよう

アーティストは、「ぼくは初期からずっとVとRのはなしをしています。」と語っている。
「まだ溶けてないほうのワタリウム美術館」という展覧会タイトルは、
バーチャルの世界を受容しつつ、
バーチャルではない「今ここにある」ワタリウム美術館の話をしよう、
そう言っているようにみえる。
アーティストの言葉を借りれば、
「本来「ここではないどこか」に自身をカジュアルに転送するために設計されているはずのVR HMD(ヘッドマウントディスプレイ)を使用しつつ、むしろ『どこかではないここ』に丁寧に連れ戻」すのだ。

ひとつ思い出した話がある。
シュールレアリスムの創始者である、フランスの作家アンドレ・ブルトンの「狂気の愛」のなかのエピソードだ。
ブルトンがふと立ち寄った蚤の市で木のスプーンを見つける。
家に持ち帰り、家具の上においたとき、ふとそのスプーンの輪郭が、おとぎ話「シンデレラ」の靴に見え、その物語が呼び覚まされるのを感じる。
古びた木のスプーンのなかに、シンデレラの物語が潜んでいる。

20世紀の初頭、フロイトは「無意識」の概念を発見し、
その影響をうけたシュールレアリスムは「無意識」という、まだ見ぬ、もしかしたらありえるかもしれないバーチャルな世界と、現実世界を紐づけようと試みた。

私たちは今、バーチャルというとデジタル空間のことのように感じているが、20世紀初頭には、人間の理性の及ばないエリアまでをその射程範囲としていた。

ゲームや映像など、デジタル空間の無限の広がりによって、バーチャルとリアルが揺らいでいく感覚は誰もが経験したことがあるだろう。
デジタル空間にとどまらない現代の広大なバーチャル空間と現実はどう関係しているのか。
考えるよい機会になると思う。

最後までお付き合いいただきましてありがとうございました!

展覧会情報(Information)

「雨宮庸介展|まだ溶けてないほうのワタリウム美術館」
会場:ワタリウム美術館 (東京・神宮前)
   〒150-0001 東京都渋谷区神宮前3-7-6
会期:2024年12月21日[土]-2025年3月30日[日]
開館時間:11:00 〜 19:00
※詳細は以下の公式サイトでご確認ください。

関連イベント

For the Swan Song 2024:雨宮庸介による「人生最終作のための公開練習」を行います。
会場:ワタリウム美術館 (東京・神宮前)
会期中毎週土曜 17:00-18:00
当日有効の「雨宮庸介展」入場券をお持ちの方は、自由にご参加いただけます。

オープニングトークも公開されています。


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