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土用の丑だからカレーを食う
さて、土用の丑の日であるけど、私はウナギは食べない。色々と聞いたり読んだり調べたりして、以下の理由で食べないことにしている。
①売られているウナギの半分以上は不法なウナギであり、しかも正規品と見分けが付かない。食べるという事は不法行為に手を貸すということである。
②ウナギは明らかに異常な勢いで減っている。これに対して人が食べることで悪い影響を及ぼしている可能性が高い。
③別にウナギ以外にも美味しいものは沢山ある。
④イベントというものが心底嫌い。土用の丑だからといって盲目的にうなぎを食うのは自分でものを考えられないバカの所業だと思うから。
⑤私は今日、カレーが食べたい。
①-②に関しては下記の資料を参照いただきたい。いずれにせよこれらは私の意見、というよりただの事実陳列である。③-⑤が私の意見であって、まあ③と⑤は好みの問題なので大部分の人にとってどうでもいい事だと思うし、それも止む無し。これから話を展開していくのは④についてである。
日本があの戦争に突っ込んでいった当時、四方八方に喧嘩を売るという方針に民意が迎合していた。近代化と富国強兵を押し進め、日清・日露戦争の勝利という結果を受けてすっかり自信をつけてしまった国民が、「よくわからないけど我が国はスゴイから多分負けないと思う」といった感じで根拠もなく、自分にとってただ都合のいい未来しか考えなかった。その結果、非常に手痛い代償を払った。
何の話かと思うかもしれないが、ウナギの件もこれと一緒ではないだろうか。「スーパーや牛丼屋に行けばいくらでも食べられるし、お上も食べていいと言っているから、まだまだ食べて大丈夫」。多くの日本人はそう考えているようだ。このことから、科学や技術などが近代化していった一方で、残念ながらこの国の人間の精神は中世からまったく進歩していないのがよくわかる。自分で判断するということをサボって、周りの多くの人間が言っているから多分正しいと思ってしまう。こうしておけばラクだし、失敗してもその責任を自分以外に押し付けることも可能である。つまり、「みんながいいって言ったから・・・」というやつである。
ただし、場合によっては手痛い代償を払うことになる。空襲で民間人がボコボコ殺されたのもそうだし、ウナギも本当に絶滅してしまって食文化が絶えるのだろう。もちろんこれは皮肉で、「食文化を守るためにウナギを食べよう」などといって、食文化という曖昧な概念を金科玉条のように振りかざす人間に対してのカウンターである。いずれにしても、本人は不本意かもしれないが、それは物事の道理を考えなかった代償で、当然ともいえる。他に責任を求めようが、損をするのは自分自身である。このへんの話はクロマグロの話とも似ていて、やっぱり根柢の精神が腐っていることがそもそもの問題だと思う。
私は何もウナギを食べないことが今後も最善であるといっているわけではない。今、私が出来る一番カンタンかつ確実な方法が「ウナギを食わない」ことである、というだけである。資源管理が適切に行われ、ウナギの漁獲量が回復し、かつそれが維持される状況になればよい。その状況においては、食べたければウナギを食べるのはもちろん何の問題もない。私は現状の話をしている。それに、自分の意志で食わないと決めるほうが、絶滅して食べられなくなるよりは精神的にマシな気もする。
ちなみにカレー = curryである。u (う)がつくので土用の丑の日に食べるものとしては十分にその任に能うだろう。キノコ(mushroom)も良いのか。豆富も「富」にうかんむりが入っているから・・・バカバカしいのでこれ以上は何も言わないことにする。
参考になりそうな資料群:
・ウナギに関する諸問題とそのデータ
・水産庁vs日本自然保護協会
・稚魚密漁の話