読みまくった日々…
息子の不登校は、突然やってきた。
とある出来事をきっかけに、五月雨登校などもなく、わずか数日で完全不登校に突入した。
息子は荒れに荒れ、落ちに落ちた。小学生にして「しにたい」「早く楽になりたい」と泣き、食事も睡眠もままならず、
一人になることも、外に出ることも、誰かに会うことも、完全に拒否だった。
そして夫は単身赴任、実家は遠方。
身動きがとれない、不安でたまらない、どうしたらいいか分からない。
私は読んだ。読むことをした。
スマホでネット上から情報が得られる。本はネットで購入すれば家に届く。
息子に向き合いながら、合間合間に読みまくった。苦しい不登校の解決法を知りたくて読みまくった。
泣きながら読みまくった。
不登校関連、児童心理学、子育て、に関する本や記事や体験談。自分の人生も振り返りながら、考えながら読み続けた。
読むことしかできなかった。
最初こそ振り回されはしたが、だんだんと今の自分に必要なものが分かってきた。あえて途中で読むのを辞めるという取捨選択をするようになった。
選ぶ本や記事も、不登校とは直接関係のないものへと広がっていった。
そうこうしているうちに、読むことで知り、いくつかの不安は解消されていった。
読むことで学び、自分の中にあった価値観を手放したり、新たな価値観を手に入れたりしながら、私は少しずつ成長していった。
私の成長と共に、息子は元気になっていった。
家だけではなく、息子と出かけた電車の中でも、帰省した時にも、合間合間に読みまくった。
読んで試行錯誤することで、読んだものが血となり肉となり、時にはゴミやクソとなり、涙はあまり出なくなっていった。
もう大丈夫、そう思っても、大事なものは何度も繰り返し読んだ。
そして思った。
学びは、本、テレビ、スマホ、YouTube動画、日常に膨大に無限に転がっている。
いつだって誰だって学べるのだ。
学ぶことは必要なことだし楽しいことなのだ。
私は、息子や夫の頑張りにかまけて、学ぶことをサボっていたのではないか。
そして分かった。
いくら読んでも、そこには不登校を解決する答えなどない。ヒントはあっても答えはない。
あるとしたら、私の答えは私の中に、息子の答えは息子の中にある。
不登校など、人生の物語1ページにしか過ぎない。
これからも、私の、息子の、それぞれの人生の物語、泣いたり笑ったりしながら作っていけばいい。
きっとそれは、多くの人に読まれる物語ではないだろうが、たった一つの愛おしい物語に違いない。
これからも読みたい。
たくさん読みたい。