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制作日記:変わりゆく作品


些細な変化


最近、自身の作品について変化を感じています。
しかし、作品にある〈孤独感〉というテーマは変わってはいない。
孤独についてつらつらと書くわけではなく、〈孤独感〉と言葉を見ると嫌な感じに思いますが、思い方で感じ方も変わってくるという話です。

自身の10年ほどの制作を振り返り、ほぼ作品に共通して見えてきたテーマが〈孤独感〉それに追随するように虚無感・劣等感・喪失感。
過去の自身の作品にはひっそりとそんな影が見え隠れしています。
それが表に出てきたのは、2017年の初個展から描き出したテーマ。
木々に自分の気持ちを投影して描いた作品
〈木霊〉〈倒木〉〈流木〉
何かを失った時の喪失感
自分の声が誰にも届かない虚無感
孤独感からくる心の痛み

劣等感を表現したのは詩画集でも制作している〈鴉〉
分かり合う事が出来ない、その手を掴むことができない、その輪の中に入れない。そんな劣等感を観察者〈鴉〉として表現をしています。

制作して展示会などに参加する中で
「もっと違う絵は描けないのかな・・」と悩んだ事があります。
孤独感からくる痛みを強烈に残すほど強くはない。
美しく消化するほど自分の気持ちに区切りを付けられたわけではない。
〈なにか、違うものが描きたい〉
そんな日々を過ごし、昨年にテーマ自体が見えなくなり「自分を振り返る」という出来事を経て気付く事がありました。

絵を変えたい=自分を変えたい

その事に気づいた時に今まで描いていたテーマに変化が見えだしたので、記録したいと思います。

*色彩で自分を見直し生活も制作も変化を見せる、色それぞれに宿った自身の記録。



〈木霊〉溢れ出る生命力

自分以外には分かりづらい痛みを感じる事がありました。
桜が咲くころの今の時期、背中から手先まで痺れるような鈍い痛みがありました。
身体は健康、でも不調
でれに言っても理解されない。
その痛みと気持ちを表したのが〈木霊〉でした。

「pain」2019年
身体の痛みをそのまま描いた作品


心療内科で言われたことは「ストレスを感じやすい体質だという事」
他人のストレスを感じ、季節の移ろいのストレスも感じる。
最初は「なんのこっちゃ?」と思いましたが、自分の気質を知り納得した事でなんとなく季節の変化のストレスも分かってきました。
天候の変化や気圧変化は気圧症。
温かくなり活発になる人の気持ちに影響される気質。
脳と体の疲労で起こるモノだと納得しました。
ただ原因不明な鈍痛が湧き上がる生命力の息吹だと置き換える時があり、そこから〈木霊〉という作品も変わってきました。

試作中「木霊」油絵
あふれ出すような生命力を意識して制作
形にとらわれないように「自由」を意識

痛みと思える何か・・それを生きていく活力や生命力に変換して描く事。
そうすると色も肌の色の拘らずに感覚で選べばいいのか
頭で理解していても何年も〈理解できずに不安でいたもの〉なので感覚的に理解するのは時間が掛かるような感じがします。

桜の咲くここ最近、相変わらずだるさがありますが不安はないので不調としては身体に出なくなってきています。食生活も変えたので数年前の様に季節の変化に不安は無くなりました。
もともと色彩心理の〈緑〉のこうで記しましたが、原因不明の体調不良は木々の多いところに行くと治るので自然などに影響を受けやすいかも知れませんね。

試作M30号

〈流木〉ただそこにあるという事

あいまいな言葉ではあるけれど、ときに大事な事でもある。
時間、過去、或いは人生において大きな強い流れにただ流されていく自分自身に不安を抱えることがある。
無意識に流されていた事を認識した時は、無駄な人生を過ごしてきたのかと後悔に苛まれることも多いものです。
【誰が為に何かを成す】ことは良い事だけれども、その意志に自分自身が居なければ依存になってしまう。
これは個人的な考え方だけれども、自分自身を昨年振り返っていかに自分の気持ちを蔑ろにしてきたかを痛感することがありました。
介護を経て親を見送った後にこれからを考えた時に唖然としたんですよね。
「自分がこれからどう生きたいか」
「自分が何を楽しく思うのか」
全く浮かばない。
いや、びっくり何も浮かばない。
分からないという自分に気が付いてしまった事に只々愕然としました。
【誰が為に考えて、行動する】そのひとの事だけを考える。
何かを決めるのには、〈現状+他人の意思〉+〈自身の意思〉=〈選択〉がおのずとあり、どちらを選ぼうが最終的に決めるのは自分自身である。
他人に共感することが強い気質とそうせざる負えない環境で生活してきた為に、私は自己肯定が低く且つ自分の意思が薄い事を理解しました。

「流木~深淵」2021年
深い闇に沈むそんな思いで描いた作品。

昨年末、セッションと色彩心理を受講し、理解したのなら違う生き方ができるという可能性があると認識しました。

今までの自身を忘れて捨てるのではなく、認めて受け入れる。
そうすると最近〈やわらかい〉イメージが浮かんできました。

「流木」2024年鉛筆画一部分

今ある自分を認識し気持ちに目を向ける。
流れゆく人生の中で取り戻せないものもあるけれど、頑張って必死に生きてきた自分を認めて労う。
そして、未来を考える。
そんな思いがやっと出てきたのかもしれません。

〈倒木〉と未知数の絵

「孤独感」の最たる表現である〈倒木〉

深い傷を負い、全てが流れ出す。
そんなイメージで描いた作品。

今、振り返ると「そうだったな・・」と頑張ったなぁ・・・
他人事の様ですが【明日に希望を持てない】そんな日々に描いたものですね。
描かないといられなかったのでね。
〈倒木〉というのは散歩でよく観察すると、枯れて折れた幹から数年後には枝が生えているんですよね。
今年はシロアリで切られた桜に花が付きました。
自然とは強いものです。
「希望を持てなっかったけれども、生きていたかったのだな」
と最近思います。
目の前の事を必死で乗り越えて、今があるので「頑張ってよかったな」なんて、思ったりします。
孤独感と後悔なりは無くならないのですが、それで自分を追い詰める事は良くないなと最近は考え方が変わってきました。

明るい未来を生きる為には過去の経験や記憶、その中には孤独感と後悔を抱えながら今までと違う価値観を模索して選んでいく。
悪いものではなく〈生きる糧〉として付き合っていけばよいのではないのかなと最近思います。
〈倒木〉のイメージで描き出しても、描いている内に形を変えていく。
最近はじめた鉛筆画はそんな感じです。
今の自分自身の感覚で、新しい倒木が描ければと思います。

2024年4月13日
制作中

孤独感をまとめた画集

制作日記

詩画集


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卯月螢 /心の風景を描く「心象画」
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