【雑感】紙の強み、ノスタルジーに頼っていても限界が?
岐路と言えば岐路、「情報(コンテンツ)」の取り方の多極化が進んできて訴求力の弱い媒体が淘汰され始めています。「紙ならではの強み」を活かさないと廃れていくのではないでしょうか、、かつて、「紙」に駆逐された石板や粘土板、木簡、竹簡などのように。
で、「紙媒体」の強みって何なのでしょうか、、「情報(コンテンツ)」を扱う媒体として、携帯、伝播、複製、更新、保全、安価、即時といったあたりの要素が求められると思いますが、「紙媒体」が最近の「電子媒体」に勝るところは、、せいぜい保全性、といったあたりでしょうか。
ただその保全性についても、基幹サーバにデータがきちんと保管されていれば再現は容易です、それこそ紙でも電子でも(費用は別にして)。これは、今現在でも原稿が電子データでやり取りされていることを踏まえれば想像にも難くないかと。
一定の愛好家向けに「単価の跳ね上がった紙の書籍」は残るでしょうけど「短期間で消費されていくだけの紙の雑誌」が生き残っていく術は大分細いのではないかなぁ、、特に回転の速い週刊誌とか、置き場所も取りますし。
個人的には「読書との行為」はこの先も残り続けると思いますが、「紙媒体での読書」はどうなんでしょうね、、ながら読書の一つの理想形でもありそうな「Audible(オーディブル)」といったサブスクサービスも出てきていますし、、さて。
そういった意味では「街の書店=紙媒体」に囚われていると、わざわざ時間を使って訪れる価値をどう見出していくのか、との点で大分ズレて行ってしまうのではないかなぁ、、と。
時間を使ってまでの体験、いまの「街の書店」でどこまで魅力的なモノを提供できているのでしょうか。この辺りの提言はそろそろ齋藤先生辺りから出てくるのかな、せっかくなので総裁選での政策の一つに入れてみてほしいところですが、なんて、少し楽しみにしながら。