見出し画像

【読書メモ】『出版大崩壊』(著:山田順)

タウン誌というと、情報の鮮度が命で、シーズンごとに新たな情報が入ったものに足早に入れ替わっていくイメージがある。『KYOTOZINE』は長期的な視点のもと、本棚にずっと残しておきたくなるようなアーカイブ性の高い内容を意識した。

 「賞味期限のないものー本屋が作る雑誌はそうあるべきではないか、それが本屋の仕事だと僕らは考えています。トレンド系の雑誌だと、いまやウェブには速度や情報量では勝てない。それに対抗できるのは、わざわざ紙で買う意味のある、家に長く置いてもらえる、雑誌というより本に近いものであると」

出典:「これが無料?」京都で爆誕した“超豪華なフリーペーパー”の中身 出版不況の今、大垣書店はなぜ“紙にこだわる”のか?
(「東洋経済ONLINE(Yahoo!配信)」2025年2月11日)

「紙で買う意味のある、家に長く置いてもらえる、雑誌というより本に近いもの」、確かに一過性の消費物としてみると、特に「雑誌」は電子書籍にはかなわないと思います、読んだあとの処分なども鑑みると特に。

昔は、それこそ『ジャンプ』などの週刊誌も買ってましたが、気に入ったものはコミックスの形で手元に置きますし、雑誌はよほど気に入ったものでないと処分していると思います、あとは五輪やWCの季節モノとか。

個人的には、物理的な場所(要は本棚)との兼ね合いが最大の理由で、定期的に処分するように意識しています(半年に一度くらい)。四次元ポケットでもあれば気にしなくていいのでしょうけど、、

まぁ、人生も折り返しを迎え、新しい本への関心もそんなに目減りしておらず、そうすると今後は手元の本を読み返す時間も減っていくよなぁ、、これもやや息の長い終活になっていくのかねぇ、なんて『出版大崩壊』との一冊を思い出しながら。

既存メディアのなかで、「プロごっこ」は止めるときにきているのではないか

出典:『出版大崩壊』

2011年の本ですから一回り以上も昔、当時は「電子書籍元年」なんて呼ばれて(2010年でしたっけ?)、紙の本の存在意義が問われ始めたくらいの時期だったのを覚えています。

全11章構成、8章辺りまでとそれ以降で、著者自身のスタンスが180度違うのもまた興味深い。前半が公人として、後半が私人として、なのでしょうか。個人的に興味深く読んだのは前半部分でした。

当時、グーテンベルク以来の情報爆発なんていい方もされていましたが、活版印刷が普及していったその時も、それ以前の「情報伝達手段(口頭、木簡、粘土等々のメディア)」は縮退していったのですし、利便性が高い方に寄っていくのは、ある意味、歴史の必然でもあったなぁ、とも。

歴史は繰り返す、という訳でもないでしょうが、同じく情報爆発に伴う、広義でのディアの移り変わりの過渡期なのかな、、なんて思いながら読んだ覚えがありますが、今になって思うと、過渡期の混乱をある意味で投影していたのかな、とも。

個人的には「ソーシャルリーディング」や「母国語コンテンツ」などの体験、「wi-fi」や「電力」などの電子書籍で読書をするための環境(インフラ)が整ってくれば、「紙」で出版する「付加価値」が求められていくことになるとは思っていましたが、本読みにとっては「手元に置いておきたいかどうか」は、それなりに大きな理由になるのでは、とは感じます。

図書館とかでも、そういった社会実験できませんかね、、なんて風にも思いながら。

そしてまた、”手元に置いておきたい理由は人それぞれ”でしょうけども、そういった意味では今回の『KYOTOZINE』さんの挑戦が上手くいくよう祈りたいところ、、少しゆったりと付き合えるような一冊になっていると面白いかなぁ、、

余談ですが、京都、ここ10年以上は行けていないのですが、何故か昔から好きです。特に哲学の道から南禅寺に抜けていくのが個人的には定番の道筋。息子も大学に入りましたし、家内の京阪への出張に併せてそのうちに、、なんて風にも考えていたのですが、春先の異動で遠距離出張が無い部署に行くらしくしばらくはなさそうです、まぁ、こちらも息長めの楽しみにしておきますかねぇ。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集