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【雑感】顔本でも導入ですか、コミュニティノート(機能)。

Takeaways(要点)
・Starting in the US, we are ending our third party fact-checking program and moving to a Community Notes model.
- 米国では、サードパーティによるファクトチェック プログラムを終了し、コミュニティ ノート モデルに移行します。(Google翻訳)

・We will allow more speech by lifting restrictions on some topics that are part of mainstream discourse and focusing our enforcement on illegal and high-severity violations.
-私たちは、主流の議論の一部であるいくつかのトピックに関する制限を解除し、違法かつ重大な違反に対する取り締まりに重点を置くことで、より多くの言論を許可します。(Google翻訳)

・We will take a more personalized approach to political content, so that people who want to see more of it in their feeds can.
-政治コンテンツに対してはよりパーソナライズされたアプローチを採用し、フィードで政治コンテンツをもっと見たい人がそれを見れるようにします。(Google翻訳)

出典:More Speech and Fewer Mistakes
(「Meta」2025年1月7日)

ここ最近の私自身の、いわゆる情報基盤としてみた場合のSNSの利用頻度ですが、、

閲覧:「X(旧:Twitter)」>「Instagram」>「note」>「mixi2」>「Facebook」

投稿:「X(旧:Twitter)」>「note」>「Instagram」>「mixi2」>「Facebook」

といったところですが、中でも「Facebook」についてはほぼ外部連携(note、Instagram)からの流し込みが主体で、「Facebook」独自で何かしらを投稿することはめっきりとなくなりました(したとしても、JRAのレース動画や過去の思い出のシェアが大半を占めています)。

そもそもにUIがイマイチ好みではないってのもありますが、新型コロナ(武漢肺炎)や2020年アメリカ大統領選挙関連、各種ポリコレへの疑義等々に対する「検閲」が偏向しすぎていていたのが、自然と使わなくなっていってしまった一番の理由だろうなぁ、、と、個人的には。

Ending Third Party Fact Checking Program, Moving to Community Notes

When we launched our independent fact checking program in 2016, we were very clear that we didn’t want to be the arbiters of truth. We made what we thought was the best and most reasonable choice at the time, which was to hand that responsibility over to independent fact checking organizations. The intention of the program was to have these independent experts give people more information about the things they see online, particularly viral hoaxes, so they were able to judge for themselves what they saw and read.

That’s not the way things played out, especially in the United States. Experts, like everyone else, have their own biases and perspectives. This showed up in the choices some made about what to fact check and how. Over time we ended up with too much content being fact checked that people would understand to be legitimate political speech and debate. Our system then attached real consequences in the form of intrusive labels and reduced distribution. A program intended to inform too often became a tool to censor.

出典:More Speech and Fewer Mistakes
(「Meta」2025年1月7日)

そんな「Facebook」さん、今までの恣意的な第三者(団体)による「ファクトチェック」ではなく、「X(旧:Twitter)」で実装しているのと同じ形式の、利用者自身に集合知に依拠する「コミュニティノート」へ移行する、との事を打ち出したようです。

元々、Facebookがファクトチェック機能を開始した際、Facebook自身が裁定者にはなりたくなかったので、外部のいわゆる「ファクトチェック組織」に委ねた、との事ですが、、

これは、利用者により多くの情報を提供し、利用者自身で見て読んだものを判断できるようにするよう「公平に」差配することを期待したためだった、との事ですが、、

にもかかわらず、その公平に差配すべき専門家達がその期待に背を向け、個々人独自の偏見と視点に基づいたチェックしか行わなかったと、、要するに、情報提供を目的としたはずの機能がただの検閲のツールにしかならなかった、との証左でしょう。

なんというか、「既存オールドメディア」が長年陥っている宿痾が再現された、ってことでしょうかね(日本は報道の自由度も低いしね?)。

他にも2点ほど改善点を出しているようですが、大きなものはやはり「コミュニティノート機能」の実装でしょう。情報の精度に差はあれど、受け手に一定のリテラシーをも求められる点はあれど、、

それでも「自らの頭で考え、議論、対話する」ためのツールとしての有効性は既に実証されていますから、現時点での民主政体下での「集合知」の在り様に対する一つの回答と思います。

そういった意味では、たぶんに政治的な要素もありそうですが、今回のFacebookの判断は支持したいところ。もっとも、私自身の利用頻度が上がるかどうかは不透明ですが。。

CEOのマーク・ザッカーバーグ氏は、「ファクトチェッカーが政治的に偏りすぎている」と指摘。メタのブログでは「何をどのようにファクトチェックすべきか」の選択にバイアスがかかったことで、正当な政治的議論までもが対象になり、「検閲のためのツール」になっていたといいます。

投稿者の素性は分からないため社会的な影響力とは切り離されている一方、おかしな投稿者は排除されていきます。コミュニティノートも万能ではありませんが、数の力では動かしにくく、そうした試みをする動機付けを排除している点は注目に値すると筆者は考えています。

注意したいのは、メタとの提携プログラムが終わったとしても、ファクトチェックの重要性には変わりがないという点です。コミュニティノートを書く人にとっても、大手メディアやファクトチェック機関による発信は参考にできるものがあるからです。

出典:メタが方針転換 「コミュニティノート」を導入する狙いとは?
(「山口健太さん記事(Yahoo!配信)」2025年1月8日)

そういった意味では、こちらのような記事を興味深く拝読させていただいています。この辺りは双方向メディアたる「インターネットメディア」の強みですかね、片務的な「既存オールドメディア」では出来ないでしょう。

その一方、「ファクトチェックを廃止するとはけしからん!」と上澄みだけ見て騒ぐだけのヤカラも一定数偏在しており、、ある意味色分けが順調に進んでいるなぁ、、とも。

ザッカーバーグ氏の認識は「精度の高い情報提供・共有の場が必要だが、ファクトチェック機能では担い手が思想的に偏りすぎていて「検閲」にしかなっていないのが問題であった、別の手法でアプローチする」だと思いますが、、理解力に難あり、なんですかね(既得権益を奪われたくないだけかな)。

もしくは「自分の思想の前には事実など不要」との独裁気質なだけなのか、こういうヤカラには関わらないように気をつけないとなぁ、、なんて思いながら(コミュニティノート、やはり大事)。

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