ここ最近の私自身の、いわゆる情報基盤としてみた場合のSNSの利用頻度ですが、、
といったところですが、中でも「Facebook」についてはほぼ外部連携(note、Instagram)からの流し込みが主体で、「Facebook」独自で何かしらを投稿することはめっきりとなくなりました(したとしても、JRAのレース動画や過去の思い出のシェアが大半を占めています)。
そもそもにUIがイマイチ好みではないってのもありますが、新型コロナ(武漢肺炎)や2020年アメリカ大統領選挙関連、各種ポリコレへの疑義等々に対する「検閲」が偏向しすぎていていたのが、自然と使わなくなっていってしまった一番の理由だろうなぁ、、と、個人的には。
そんな「Facebook」さん、今までの恣意的な第三者(団体)による「ファクトチェック」ではなく、「X(旧:Twitter)」で実装しているのと同じ形式の、利用者自身に集合知に依拠する「コミュニティノート」へ移行する、との事を打ち出したようです。
元々、Facebookがファクトチェック機能を開始した際、Facebook自身が裁定者にはなりたくなかったので、外部のいわゆる「ファクトチェック組織」に委ねた、との事ですが、、
これは、利用者により多くの情報を提供し、利用者自身で見て読んだものを判断できるようにするよう「公平に」差配することを期待したためだった、との事ですが、、
にもかかわらず、その公平に差配すべき専門家達がその期待に背を向け、個々人独自の偏見と視点に基づいたチェックしか行わなかったと、、要するに、情報提供を目的としたはずの機能がただの検閲のツールにしかならなかった、との証左でしょう。
なんというか、「既存オールドメディア」が長年陥っている宿痾が再現された、ってことでしょうかね(日本は報道の自由度も低いしね?)。
他にも2点ほど改善点を出しているようですが、大きなものはやはり「コミュニティノート機能」の実装でしょう。情報の精度に差はあれど、受け手に一定のリテラシーをも求められる点はあれど、、
それでも「自らの頭で考え、議論、対話する」ためのツールとしての有効性は既に実証されていますから、現時点での民主政体下での「集合知」の在り様に対する一つの回答と思います。
そういった意味では、たぶんに政治的な要素もありそうですが、今回のFacebookの判断は支持したいところ。もっとも、私自身の利用頻度が上がるかどうかは不透明ですが。。
そういった意味では、こちらのような記事を興味深く拝読させていただいています。この辺りは双方向メディアたる「インターネットメディア」の強みですかね、片務的な「既存オールドメディア」では出来ないでしょう。
その一方、「ファクトチェックを廃止するとはけしからん!」と上澄みだけ見て騒ぐだけのヤカラも一定数偏在しており、、ある意味色分けが順調に進んでいるなぁ、、とも。
ザッカーバーグ氏の認識は「精度の高い情報提供・共有の場が必要だが、ファクトチェック機能では担い手が思想的に偏りすぎていて「検閲」にしかなっていないのが問題であった、別の手法でアプローチする」だと思いますが、、理解力に難あり、なんですかね(既得権益を奪われたくないだけかな)。
もしくは「自分の思想の前には事実など不要」との独裁気質なだけなのか、こういうヤカラには関わらないように気をつけないとなぁ、、なんて思いながら(コミュニティノート、やはり大事)。