時代にあわせての変化は必要なのでは、と。
ここ最近、お祭り系のトピックを目にすることが増えてきている気がします、コロナ禍の余波もだいぶおさまってきてるのかなぁ、、なんて思いながら。つい先日も(実家にも近い)愛知県の「はだか祭」に女性が初参加なんて話も耳にしたのですが、、お約束のようにポリコレ・ジェンダーでの伝統破壊がまたか?、とかいった論調も散見されたので、少し整理してみました。
根っこの問題意識としては「祭りの担い手不足」が大きいのかなと、最近、都下の町内会の方々とも同じようなニュアンスでのお話をする機会が増えているなぁ、とか思い出しながら。なお、国府宮神社さんによると、もともと女性参加は禁止されてはいなかったが、ふんどし姿が慣例だったので現実問題として女性の参加が難しかった、とのことのようです。
これが例えば、今まで男性が担ってきた部分を廃止して女性のササの奉納だけにしたとかなら「伝統の破壊」やら「女性の我儘」とやらの言い分も分かりますし、私自身もネガティブにとらえたくなると思います。ただ今回はそうではなく、女性も参加できるような仕組みを追加しただけのようで、これ、何が問題なのでしょう?
時代の趨勢、現実的な課題を踏まえて、現実とすり合わせながら解決策をゆるやかに提示、導入していくのは、むしろ保守本来の在り様の発露とも思います。なんというか、上っ面のタイトルとかで物事を判断するとこうも無様な物言いになるのでしょうか、、他山の石としよう。そのうちコミュニティノートもつきそうですね、やはり集合知の一つの回答ともいうべき機能だよなぁ、ともあらためて。
1200年の伝統を一片たりとも変えるなとの事であれば、東京は府中の暗闇祭りにも幕末辺りの風習を踏襲するよう働きかけてみれば?とか言ってみたくもなりますが、、憲法を一文字たりとも変えるなとか騒ぎ立てる共産主義者と同じ思考に陥っていないか、と少し心配にもなります。なんというか「理想を抱いて溺死しろ」とか、ね。まぁ、主催の神社が許可して、参加者の皆さんが楽しんだのならよかったのではないでしょうか、と個人的には。
祭りとの切り口であれば、個人的には実家近くにある多度大社の「上げ馬神事」の方がどちらかというと気になっています。
私自身は、両親が定年まで東京で働いていたこともあり、育ちは東京で(桑名に)地元というほどの馴染みはありません。それでも、夏休みや冬休みに多度大社も何度か訪れたことがありますし、多度山にも父親に連れられて登山・下山した覚えも。
少し前に実家に顔を出した際、その父親も少し気にしていました。伝統行事だしなぁ、との言い方はしていましたが、今年になって引退宣言したとはいえ、定年までは東京の府中にいて、実家に戻ってからも競馬に慣れ親しんできた立場なりに(馬の扱いに)複雑な思いを持っているようです。
私個人としては、行事としては継続していってほしいですが、少なくとも予後不良の危険性があるのなら、極力そのリスクは減らしてほしいなぁと、人馬ともに危険でしょうし。少なくとも2メートルの坂(というより壁?)を登らせるようなことは避けられないのかな、と。まぁ、部外者の立場ではこの辺りが限界でしょうけど。
毎年、普通に競馬場を走らせているだけでも、骨折等による予後不良(安楽死)は一定数は起きてしまいます。一昔前は今以上に馬を酷使するようなケースも多く、使い潰された結果しまいには、なんて話も多く聞きました。不必要に命を消耗するような事は、祭事の本質は残しながらも、徐々にでよいので変えていってほしいなぁ、と願いたい所です(いっそ、ウマ娘のコスプレイヤーに某SASUKEよろしく全力疾走でもしてもらえば、なんて風にはさすがにねぇ)。