「好きなことが見つかりません」という質問
「好きこそ物の上手なれ」は本当なのだろうか。
今回は、「好きこそ物の上手なれ」は本当なのか、という問いに対する結論を出せたので、それについてまとめていくことにする。
僕がこうやってnoteにまとめる理由は主に2つあって、一つ目は単純に誰かに見てもらうことが嬉しいから、そしてもう一つが自分の思考を整理しつつ、未来の自分との変化を見比べるための備忘録的な存在を残しておきたいからだ。
今回は後者の意味合いが強い、少々自己満足的な内容になってしまうかもしれないので先に断っておく。
まず最初は大学生の僕をざっと振り返りたい。
1、2年のころは一言で「ゲーム」だ。
寝ても覚めても、ゲームばかりしていた。
勉強も最低限して単位を回収し、バイトもほんと少しだけ、それ以外の時間全てをゲームに充てていた。
3年生になってもそれはほとんど変わらなかった。
しかし、2020年、大学3年生の冬に転機が訪れた。
僕が没頭していたゲームはスプラトゥーンというものなのだが、その公式大会が終わったのだ。
それに向けて1年くらいチームで練習してきたので、終わってから目標を見失い、そのゲームに対する熱意は薄れていった。
そして、3年の冬に初めて何か別の没頭できるものを探す気になった。
この時に僕は、没頭することの楽しさに気づいていたので、もはやそれがない生活は考えられなかったのだ。
ちなみに、この2年間、ゲームに費やして無駄じゃなかった?って聞かれても、自分が没頭する性格だって気づけたんだから無駄じゃなかったと思う。
没頭する性格だって気づくためには、没頭する期間がどうしても必要だし。
ゲームにひと段落置いてから、本当に色々やった。
たまたまYouTubeでブログでの稼ぎ方動画みたいなのを見て、ブログも2ヶ月ほどやってみた。
マジでコスパ悪すぎだろと思って、未来が見えなかったのでやめた。
4年の春に、長く付き合っていた女性とお別れしたので、多様な女性経験を積んでみたいと思い、出会い系アプリでたくさんの人に会った(笑)
僕は今までずっと勉強で物事に対処してきたんやから、恋愛も勉強で対処しようと思い、本や百戦錬磨(笑)の方のツイートを読み漁った。
緊急事態宣言が出されてからは、家に閉じこもり、もともと好きだった読書に勤しんだ。一日1〜2冊ペースで読んだ。
6月からはブログはやめたが、文章力を磨いたつもりだったので思考の場を設けるためにこのnoteを開設した。
いろんな人にnoteを読んでもらいたいと思い、文章術を謳った本も数冊読んだ。
夏休みも読書と映画鑑賞に明け暮れ、Amazon primeで興味ある作品は全部見た。
9月からは何か発信活動をしたいと思い、TikTokとStandFMというラジオアプリを始めた。この2つを選んだ理由は、先行者が多くないことが挙げられる。
TikTokでフォロワーを増やすことの楽しさと虚しさの両方に気付いた。StandFMでたくさんの方に自分のトークが褒められた経験から、自分はトークがうまいのか?と思うようになった。
だったらトークと勉強のノウハウを活かしてYouTubeをやってみようと思い、YouTubeの仕組みをめちゃくちゃ勉強した。
その結果、3ヶ月ほどで登録者1万人を超えるまでになった(これに至ってはほんまのほんまに感謝してる)
こうやってみてみると、2020年は本当に「挑戦の年」だったなあって思う。
この経験から言えること、それは「好きこそ物の上手なれ」ではなく、「上手こそ物の好きなれ」だ。
僕は挑戦するはいいが、んー自分に結果が出せそうにないなと思ったらすぐにやめる。
でも、挑戦するなら本気で挑戦する。
その物事に関する基礎知識をインターネットや本をフル活用して頭に叩き込み、とりあえず3ヶ月ほどやってみる。
例えばブログもSEOやら記事構成やら、めちゃくちゃ勉強した。
ポケモンのレート対戦で上位を狙いたいと思い、いろんな人の記事を読み込んでプレイ時間も大幅に増やした。
哲学の勉強もしようと思い、入門書から読んでみたりもした。
しかし、それらは全部自分は続かなかった、いや、続けなかった。
ブログは前述の通り、コスパが悪すぎる。
ポケモンは、僕にはセンスがなかった。
哲学も、宗教が絡んできて面白くなかった。
ポケモンはコンテンツとしては好きだが、上記の3つは全て僕の「好き」にはなり得なかった。
だって、好きなら続けているだろうから。
でも、今ラジオアプリで僕のトークが褒めれる経験を活かしたYouTubeが成功している。
もちろん僕は今のYouTube活動が大好きだ。
でも、YouTubeが半年続けても登録者が100人行かなかったとして、僕はYouTube活動を好きになれていただろうか。
めんどくさい編集、動画構成を練り、トークも失敗した部分はカット、毎回考えないといけないネタ。
これら全てひっくるめて「好き」と僕が言えるのは、それをみてくれる視聴者がいるから、つまり僕の「上手」になったからだ。
このnoteを書くに至った経緯として、TwitterのDMで「好きなことがないので勉強する気が起きません、どうすればいいですか?」という相談があった。
僕は好きなことを探して自分の得意分野に落とし込むのもいいが、まずは自分ができることから探すことの方が結果的に楽しさが倍増するんじゃないかって思う。
そしてその好きなことを探すために、結局挑戦しかないんだろうなあって気づき始めた。
挑戦って大層な感じだが、僕は飲食店で普段と違うメニューを頼んでみる、ってのも挑戦だと思う。
とりあえず新しいことに触れる経験を身近なものにする、そこから始めてたらいつの間にか自分の「上手」が見つかり、「好き」が増えるんじゃないだろうか。
その上手を深める過程の学習、それが真に「勉強」と呼べるものなんじゃないかって考えたりもする。
学校で机に向かってするものだけが「勉強」じゃない、ネガティブなイメージがつきがちだけど、好きなものを見つけるための手段として「勉強」は本当に尊いものなんだろうなって感じたり、感じなかったり、ラジバンダリ。
話は逸れたけど、とりあえずやってみる。
そして、やってみるときは本気でやってみる。
のが大切なんちゃう、知らんけど。
無知を恐れるより、未知を楽しめる人でありたいなあ、って思う僕でした。
ではまた。
100円で救える命があります。