舞台「PSYCHO-PASS -Virtue and Vice-」(2019/5/4ソワレ、5/5マチネ、5/6ソワレライビュ )感想

※こちらの記事は過去にふせったーに投稿したもの再掲です。

 初っ端から、どこから目線なの? って言い方になってしまうの本当に悪い癖だと思うんですけど、最初アニメのPSYCHO-PASS見たとき、ドラマとしては正統派の内容だけど実写化は無理だろうしアニメで正解って思ったし、今でも完全実写化は資金と技術をぶちこまないと無理だと考えてるんですよね、正直。

 そんで、どんだけ資金と技術ぶちこんだところであの世界観の再現はかなり難しいというか、違和感ありそうだから、連続ドラマとか実写映画だと倦厭してるところなんだけど、舞台という箱の世界でなら話は別で。
 元々シビュラの箱庭に生きる人々の話だから、広いようでとても狭い。

 その狭さ=窮屈さ、鬱屈さみたいなものはあの暗い箱の中でやるにはぴったりだと思った。てんご、というとアニメの三次元化を指す用語だけど、コパスにおいてはほんとに現実(三次元)と虚構(二次元)の狭間に舞台があるんだという気がした。完全な実写ではなく、観客の想像の余地のある世界。

 舞台という表現自体が、ある程度観客の想像に委ねられるものだと思うんだけど、板の上と客席は別世界って意識があった。それが、PPVVでは今の現実との接点を強く感じた。
 ああ、今あの世界と交差している、という感覚。これはアニメでは体感できないこと。

 なんでもかんでも舞台化する風潮はどうかと思ってるんですけど、PSYCHO-PASSの舞台化にはさほど抵抗なかった。
 世界観はサイバーSFだけど筋自体は硬派な刑事物、キャラ造形も現実味が強い。しかも既存キャラでない、オリジナルのスピンオフ。スタッフはほぼ据え置き、ときたら不安要素は少ない。

 一期・二期メンツで舞台化だったとしても私は張り切ってチケット取ったし喜んで行ったと思うけど、スタッフの方々がシリーズのスピンオフという形で、全く知らない登場人物とストーリーであの世界を再現してくれたことには感謝しかないんですよ。あのほんとに。
 円盤買うよね。買いました。

 ここまでが前置きで、ようやく本題に入ると見せかけてまだ前置き。

 まずキャスティング担当の人ありがとうという気持ちです。
 特に嘉納監視官マジで……あの役どころ最高だよね……いや、私、中の人あまり知らないんだけど(歌仙役の人ってことしか知らん)、人気ある理由がわかってしまった……。
 てか歌仙との振り幅がでかいな。いや鈴木さんもみかちかさんとは全然違うわけなんですけど。いやあ、すごいね(こなみかん)。

 油断すると感想があ~すごいね~すごかったわ~、しか出てこなくなる。すごかったわ~。三回見てもなんでそうなっちゃうんだ!?って絶望しちゃう。虚無。
 あまりにも絶望エンドだから、私は主だった役者のPD(※)を考えていたんだ……(遠い目)。

 ※PD…パーソナルデザインの略。どういう服装が似合うタイプかを判別する診断の一種。基本は6タイプくらいだが、宗派によって違うらしい(曖昧)。パーソナルカラー、顔タイプも含めてまるっとイメコンとも。詳しくはぐっぐる先生に聞いてみよう!

 いや、全メンツの中で、九泉監視官の衣装はなんかちぐはぐだなと思ってて。オーダーメイドのはずなのに、いまいちハマってない気がしました。
 多分、ボタン止めた方が似合うはずなんだけど、あの人一向に開けっ放しのまま。喋り方も動作も、そのキャリアと見た目にそぐわない感じ。
 ギャップを演出してるのか? それにしては苦しいような……? って、考えてたけど後半、実は九泉が人工的に作られた監視官で、本来は潜在犯ってことが判明するんですよね。頭抱える。
 ……わざと? ねえわざとなの鈴木拡樹?
 わざとだったらまじおっかねえなって感じなんですけど。

 ところで、私はPDに関してちゃんと勉強したわけじゃないんで、発言内容に信憑性はありません。
 なので、以下も素人のたわごととしてご覧ください。

 振り返って他はどうだったかというと、九泉ほどのひっかかりを感じる人は少なかった。あえて言えば、嘉納監視官ジャンパー似合わないなあと思ったけど、これはぎのさんにも感じたし、中の人のPD問題な気もするし。

 九泉・嘉納両名の似合わなさの所以は少し違ってて、前者は似合わないように着ている、後者は似合わないのに着ている感じ。
これはそのまま彼らの本質を示しているのかもしれない。
 エリートとして振る舞うが無意識に潜在犯の性質を現す九泉、犯罪係数の改竄を自覚しているのに監視官を続ける嘉納。

 ぎのさんも似合ってないなと言ったけど、個人的にぎのさんはごりごりのグレースではないかと考えているので(願望込み)、カジュアルテイストが似合わないのも当然って感じ。
 けど、あの人も結果的に潜在犯落ちしてること考えると、妙に示唆的だなあと感じるわけです。

 舞台の話に戻ろうか?
 そぐわない人たちについて言ったので、次はめっちゃはまってるな~!って思った人について。
 まずは井口パイセン。

 井口は美意識が強くて潜在犯になったというのも納得の着こなし。執行官メンツの中で、唯一ベスト、カフス、ハンカチーフなどの小物が多く、服装の盛りへの耐性高め。大げさなほどの台詞回しと身振りが特徴的ですが、コミカルで憎めない。うーん、ハイスタイルっぽい。

 TL見てても井口パイセンの人気はすごい。中盤で退場するのに。
確かに今までのシリーズにはいなかったタイプだけど、多分みんな忘れてる。
 井口パイセンのインパクトが強いのは、もちろん筋書きの良さもあるけど、トータルで井口筐一郎というキャラを確立できているから。
 人物造形の齟齬がない、ブレがない。おそらく中の人と役柄がぴたりとハマっていたんでしょう。そういうキャラはやっぱり強い。

 役者さんは比較的、PD違いでも上手く着こなす方が多いと感じますが、ハマってるときとズレてるときでは、キャラの解像度が変わると思いますね。.jpgと.psdくらい違う気がします(伝われ)。

 続いて、蘭具執行官。
 このひとめっちゃ足なげえな。これに対抗しうる足長役者(?)、東なんとかっていうポジティブダンピールもしくは光のストーカーしかしらねえ(隙あらばトランプシリーズをよろしくしていくスタイル)!

 ふざけました、すみません。
 いやあ……こんな正しいスーツの着方してばっちり似合う人間が実在することにカルチャーショックを受けました。
 私自身がスーツ似合わなさすぎて「こんなの人類が着る服じゃない!!!」と私怨を抱いていたので、めちゃくちゃびっくりしてしまい、他の記憶がありません。
 垢抜け加減で言うと、若干残念な点があるものの(井口パイセン強すぎ)、元・漫画家でオタクという経歴を考えると、キャラ造形の一環でしょうね。齟齬というほどのものじゃない。

 ……。
 この調子で続けてると、一生感想が終わらない気がする。
 ので、個人的にインパクトが大きかった人だけ述べて切り上げ。
 取り上げられなかった方々には申し訳ない。

 他の人が似合ってなかったというわけじゃあないんだ!!
 というか、似合う/似合わないは問題ではなく、なぜ似合うのか/似合わないのか、を考えるのが楽しいんだなあ(詠嘆)。
 こじつけじゃないかと言われたらそうかもしれない。でも、創作にPDの概念を持ち込むのもなかなかに楽しいものです。

 こうして見てみると、執行官はそのキャラクターらしい恰好と振る舞いをしており、公安局ジャンパーの似合わない二人の監視官との対比になっている。

「執行官は潜在犯の希望なんて幻想」
「辞めたくともやめられない」
「自由意思のない猟犬稼業」
 ……自身の境遇について、執行官たちはそう吐露する。けれど彼らには打ち込めるものがあり、守りたいものがある。
 そして最後には、シビュラに祝福された監視官を庇うことで、自身の願望や正義を託して果てる。自らの意志で。

 シビュラの支配する世界の中で、彼らは果たして虜囚だっただろうか? より自由だったのはどちらだろう?

 彼らを率いる監視官は、似合わない服を着て見合わない役目を負っている。執行官らとは違い、九泉と嘉納の個人的な趣味嗜好など、作中で明示されることもなかった。

 あ~~~~!!! それでは聞いてください!! 私今コパス浴びました~~~~~!!
 人類よ、ひれ伏すがいい、これがシビュラの洗礼だ!!!!
 わ~~~~書いた人の犯罪係数が知りた~~~い!!!(大の字)

 三係ね、壊滅しました。はい。後腐れなくみんな死んだ。
 目白分析官のみ、明確な描写がなかったけど、シビュラの実験に気づいた彼が、生かされる可能性がどれほどあるだろう?
 シビュラの正体知ったところで、元々目白分析官はパートナーと息子失って色相が濁った人物ですからね。局長が何かするまでもなく、隔離施設行きになってもおかしくない。
 最後、三係のシルエットに向かっていく演出は、目白分析官の行く末を示しているように思う。
 それが事件の直後なのか、何年か経った後かはわからないけど。

 終わった直後はお通夜みたいな気持ちでしたし、話そうと思うと「うん……三係……いいチームだったよね……」ってしんみりしますけど、時間が経つにつれ、何故かあんな悲惨な結末なのに救われたような清々しさを感じるようになりました。
 その原因について考えたいと思います。

 思います、って言ったけど、既に書いてる。
 執行官たちはなんのかの言いつつ、シビュラ世界で祝福された存在なんだろうな。そもそも、監視官庇いながら「ちょっとでもましな人生だと思いたい」とかいう人間じゃないと、執行官適正が出ない気がする。

 九泉が刑事としての自覚を強くもったために、三係は加速度的に破滅に向かってしまったけど、執行官としての彼らは理想的な監視官の元で、より幸福に死んだともいえる。
 もし、九泉の態度が序盤のまま変化しなかったとしても彼らは庇っただろうけど、後味は全く違うものになっていたと思う。
 この結末を選んだのが、彼ら自身の意志だというなら、尊重し、受け入れるしかない。

 九泉・嘉納両名については言葉にするの難しい……。
 互いにドミネーターを向け合う様に、私は何の疑問も持たなかったので。
 当然の理ように彼らは撃ち合う。これ以外の正解なんてない。この姿が見たかったのでとても満足している。
 正直、理屈とかどうでもいいです。

 君は僕で僕は君なんだよ……!!(繭期の発作)
 キャスト入れ替えてやって欲しいというツイに1万いいね贈呈したい!!!!
 どうして私のいいねは1しかない!? システムの不備では!?!? おいツイッター、ジャンプしてみろよいいね出るんだろ? おらっ!(出ない)

 ドミネーターの「人間らしさとはなんだったのでしょうか?」という無機質な問いかけからの流れが最高すぎて何度でも見たいと思って、三回見たんですけどまだ足りねえな……。
 ほんと……美しかった……。

 ただ嘉納が救われたのかは気にかかっている。
 人工監視官育成計画の被害者としての連帯感があっただろうに、九泉は事実を知って尚、刑事たらんとした。嘉納が反シビュラになったように、彼もまた仲間になるだろうと期待していたのに。
 九泉が本来の性質を取り戻し、事件解決に積極的になっていく陰で、動揺し、精彩を欠いていく嘉納の姿が痛ましい。
 でもドミネーターを九泉に向けた時、互いに犯罪係数300オーバーだと知る。
 異質なものになってしまった九泉が同じ奈落の底にいることに、少しは安堵しただろうか。
 
 美徳と悪徳。
 あらすじだけみれば公安局が善、テロリストが悪。だけど、そんな単純な勧善懲悪物語ではない。何が美徳で何が悪徳か、考えれば考えるほどに混沌としてくる。

 朱様は人間らしさについて「人間らしさとは何かを考え続けること」と答える。
 それは答えを出せず悩むことは恥ではないのだと肯定するようでもあり、答えを出すまで考え続けろと冷徹に突きつけるようでもある。
 んも~~~っっ! 朱様好きっっっ!!!!(思考停止)

 観た人が「まさしくPSYCHO-PASS」って口にしたのも頷ける。PPVVもまたシリーズ通して貫かれているテーマを内包している。
 正義とは、法とは、この社会とは何か?
 登場人物たちが絶えず問いかけ、悩み続けていたように、三係もまた答えを求めて歩いていたのでしょう。

 とても二時間とは思えない、濃密で精緻な物語を堪能いたしました。関係者の方々に最大限の賛辞と感謝を捧げたいと思います。
 三期ももちろん楽しみですが、舞台またどこかで拝見できれば幸いです。
 ありがとうございました!!!

 以下は、舞台の話とは若干ずれるので余談。

 PSYCHO-PASSの世界を考えるたびに、『未来国家ブータン』を思い出す。
 雪男を探しにブータンまで行くという辺境冒険紀行で、ブータン王国の歴史・風俗・民俗学など幅広く丁寧に記述したノンフィクション(これはこれで面白いのでおすすめ)。
 PSYCHO-PASSとは違ってめちゃくちゃのどかな話が続くんですけど、その中でブータンの幸福度の高さの要因についての記載があります。

 読んだのが結構前なのでうろ覚えなのですけど、曰く、村にはシャーマン的な人物がおり、その人物が予言で他人の進路を決めるのだそうです。
 就活の面接落ちまくりの悲劇もなく、どの業界を選べばいいのか、エントリーシートをどうすればいいのか……などなどを悩む必要がないゆえに、幸福度が高いのではないか、と。

 これ、まんまシビュラじゃん。
 PSYCHO-PASSの世界ではブータンのシャーマンの代わりに、免罪体質者の脳が予測した結果をお知らせしてくれるわけですけど、システムとしては一緒ですよ。

 世界の指標は経済力から幸福度に移行しているらしいけど、今の日本にシビュラが来たらそれなりに歓迎されそう。
 シビュラが適性を教えてくれるから就活の必要がないし、企業側も人材と資金をかけなくても相応しい人材がやってくる。
 社会の効率化と幸福指数改善を同時に実現できるんだから画期的だよね。

 シビュラは正体を隠し続けることはできない、いずれは開示する必要があるといっているし、明かしたところで全員が全員シビュラを否定し、シビュラ以前に戻ろうとするか、というと疑問符がつく。
 監視官・執行官に焦点が当てられるシリーズだから、どうしてもシビュラに懐疑的になってしまうけど、モブの一般市民的な目線だと、どうだろ?
 なんでわざわざ非効率で面倒かつしんどい世界に戻らにゃならんのだって感じもするし。得体の知れなさにはいったん目を瞑って、都合よく利用するかもしれないなあ……。

 ほんと、嘉納が言った「シビュラは悪ではない。だが、悪質だ」は、シリーズ屈指の名台詞と言って良いのでは。
 全肯定するには生理的嫌悪があるけど、全否定するには有用すぎるんだよシビュラくんは。

 は~~~~っ こんなこと考えてたら色相が濁る~~~!
 誰かーーーー!!! 三係の楽しい話をしてくださーーーーーい!!!

 おわり。

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