民族の分水嶺がここに:埼玉県川越市
7年前、イランからスペインまで
陸路(鉄道・バス)で旅をしていた。
イランからトルコ、ブルガリア、セルビア、
ハンガリー、オーストリア、スイス、フランス、
モナコ、スペインと10か国を57日間で渡る長旅だ。
その中でトルコからブルガリアに移動したとき、
食事で主に紅茶を飲む文化から、
コーヒーを飲む文化にシフトした。
つまり、お茶🍵とコーヒー☕の分水嶺がちょうど
ヨーロッパとアジアの境にあったわけで、
こうした文化の境を探っていくのが
陸路の旅の醍醐味だったりする。
日本の中でも似たような事例はある。
あれは確か川越駅の併設デパートの中、
6階の書店で盗み聞きした会話だった。
近くで本を見ていた女子高生が
こんな会話をしていた。
「ほら、去年お姉ちゃんが上智に入ったでしょ。」
「うん。」
「埼玉県人ってことがばれないように、
サークルでも東京出身にしてるんだって。」
「いじめられちゃうもんね。」
この会話は私にとって衝撃的だった。
まず「埼玉県民」ではなく
「埼玉県人」という民族意識が醸成されていること。
都内で迫害されている民族ということ。
そして東京出身と偽る「隠れキリシタン」ならぬ、
「隠れ埼玉県人」がいること
私が知っている
川口とか蕨とか浦和の人は
ここまで過激ではないので、
川越以東と川越以西に見えない壁があるのか。
埼玉県人が安心して
カミングアウトできる日を望むばかりである。