第1296回 なぜ粛清されなくてはいけなかったのか

1、読書記録300

記念すべき300冊目のご紹介はこちら。

千野原靖方2022『上総広常』 (戎光祥郷土史叢書 第1巻)

大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」で佐藤浩一さんが熱演されて話題のあの人です。

2、納得のいく理由

ドラマではその最期が唐突で、腑に落ちませんでしたが、本書で示された仮説を頭に入れると納得できます。

まず広常が根拠地とした上総の地について第1部で詳述されます。

遡ること、平将門と広常の直接の祖にあたる平忠常の時代。

製鉄と水上交通、そして馬。

広常の軍事基盤の淵源がどこにあったのかがよくわかります。

続く第2部では『吾妻鏡』(鎌倉幕府の公式記録)と『源平盛衰記』(軍記物)、『延慶本平家物語』(軍記物)、『保暦間記』(室町時代に書かれた歴史書)などで異なる経緯を踏まえながら

源頼朝の麾下に参陣したときの流れや理由を考察します。

まずキーマンとなるのは藤原忠清という人物。

平家の有力な家人であった彼は一時期失脚して関東に配流されていたことがあったとか。

それを庇護したのが上総広常だったのです。

忠清は平家全盛期には「坂東八ヵ国の侍の別当」と呼ばれるほど東国に影響力を持ち、上総介にもなりますが、

かつての恩を忘れたのか、平家に讒言し、広常は地元に置いておくと危険だから京へ呼び出すべきだ、と言ったとのこと。

実際に上洛を命じる使いが到着する前に源頼朝の挙兵が起きるのです。

つまり平家と広常はすでに一触即発の状態にあったということでしょう。

さらに常陸国(茨城県)の源氏、佐竹氏との関連についても詳しく述べられています。

奥州藤原氏から海道平氏(石城氏など)、佐竹氏、そして上総広常というルートは馬や砂金、鷲羽など北方の産物を京へ送るネットワークに属しており、深い関係にありました。

だからこそ、富士川の決戦後に頼朝が上洛することを押しとどめて、

佐竹氏を攻めて後顧の憂いを除くことを優先しようと主張しますし、

実際の金砂城攻めの時には縁者を頼って計略を巡らすこともできたのです。

さらには奥州藤原氏をどう扱うかの路線も食い違っていくことになります。

すでに権益を持っている側と新たな秩序に作り直そうとする立場。

それは対立しない方がおかしいでしょう。

『保暦間記』には奥州出兵に加わらなかったことにより、広常が誅殺された、という年代のズレた記事が掲載されていますが、

これは当時の認識として「そうあってもおかしくない」というものがあったということになります。

3、一族の運命を分けたもの

唐突に見える事件にも背景を探っていくと納得の理由があるものですね。

本来は上総広常が族長であったとみられる両総平氏ですが、上総氏失脚後は千葉氏が勢力を拡大していきます。

奥州からの交易ルートも千葉氏が引き継いでいくことになります。

一族の分流が奥州に土着するようにもなっていきます。

広常の粛清は一族の命運を大きく分けることとなったのですね。

本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。




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