第1430回 理想と現実と
1、廃棄を認めるわけではない
昨日、東京文化財研究所で開催された
第18回無形民俗文化財研究協議会
「民具を継承するー安易な廃棄を防ぐために」
に参加してきたので、そこで考えたことなどを少しまとめてみたいと思います。
もちろん業務として行っていますし、参加者は各地の教育委員会職員、博物館関係者などが中心ということで、業界の「身内向け」という側面もありますので、差し障りのない内容となっています。
2、民具は誰のもの
まずは東京文化財研究所について。
国立文化財機構という大きな独立行政法人の一機関であり、東文研(とうぶんけん)と通称されています。
私の中では奈良文化財研究所(奈文研)が発掘調査や考古学中心のイメージがあるのに対し、美術工芸品の修復や保存科学を専門に扱う、という印象でした。
一方で無形文化財も対象とし、大きな役割を果たしています。
日本の文化財保護法では演劇、音楽、工芸技術などが「無形文化財」に該当します。
さらに「無形民俗文化財」として分類される
も対象となっています。
各地の祭りや神楽など、こちらの方が身近に感じるものもがあるかもしれません。
さらに対象を広げて、今回は有形の民俗文化財をテーマに取り上げられた、ということになります。
有形の民俗文化財というと、少し昔の道具。
社会科の教科書でならうような、千歯こきなどの農具から、伝統的な漁で使うもの、洗濯板や網かごなど、主に機械化される以前の身近な道具、をイメージしてもらえればいいでしょうか。
これらは高度経済成長の発展の中で急速に失われていき、それを危惧した人々によって保存が図られてきました。
当時はまず残すこと、に注力されたため、半世紀ほど経過した現在、維持管理や保管が全国の自治体で課題になっています。
そこで全国的にも報道され注目を浴びた鳥取県北栄町の事例。
2018年に収蔵しきれなくなった一部資料を「お別れ展示」を企画して、譲渡を行なったというもの。
行政機関、博物館に寄贈された資料は未来永劫保管・維持されていくもの、という考え方がこれまでは一般的でしたが、
現実的な問題として収蔵場所に限りがあるので対応できなくなってきたわけです。
この事例が波紋を広げ、全国でも同様の事例が散見されるようになりました。
この協議会では大御所の研究者さまから
学芸員なら高い理想を掲げて収蔵庫の増設を図るべき
という趣旨の発言もありましたが、実際は財政状況厳しい中そうもいかないのが現実です。
ただ、鳥取県の事例でも、有識者が価値判断をして、「手放してはいけないもの」を選別しているわけです。
それが妥当なものなのか、は常に議論が続けられていくことになるのでしょう。
担当者の判断だけでいいのか、外部有識者の諮問機関がOKをすればいいのか、財産の処分であれば議会で承認を得るべきではないか、などが思い浮かびます。
また、今後は資料の寄贈を受ける時点で一定の基準を設け、
価値の高いものだけを受け入れる、という姿勢をとる必要があるのでしょうか。
その時は担当者が判断をせざるを得ず、その力量次第で守られるべきものが失われてしまう恐れもあるのです。
とそこまで考えた時に、我々考古学を専門としてきた側としては普段からその選択に迫られていたのではないか、と気づきました。
埋蔵文化財、いわゆる遺跡は地中にあり、なんらかの開発行為が迫ったときに判断が求められてきました。
史跡に指定できるほど価値が高い、と証明できる場合を除くと
基本的には遺跡は壊されてしまうので、「記録保存」という建前で発掘調査を行い、様々な所与の条件下で最大限情報を残していこうと担当者たちは努力しています。
担当者の力量次第でこぼれおちていく情報は大いにありますし、
出土した遺物のうち、瓦など大量に出土するものはその場で選別して
軒の紋様がある部分を中心に採集して、あとは廃棄、ということも行われてきました。
もっと言えば全ての土壌をふるいにかければ、どこまでも情報を拾い上げていくことができるのです。
こちらは文化庁から基準が示されています。
結局は国が音頭を取って基準を作り、それに則って各自治体が判断する、という形にするしかないのでしょうね。
3、活用の可能性
この協議会で最も印象的だったのは国立歴史民俗博物館の川邊咲子さんの語る「緩やかな保存」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/arp/41/1/41_6/_pdf
アートとして活用される民俗資料の可能性。
ただ一度、行政や博物館の資料となってしまったものはこのような自由な活用を行うには越えるべきハードルが高いように思います。
考古資料もこのくらい可能性を感じる活用方法を編み出したいものです。
本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
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