第141回 社会の分断について
1、学問の闇に飲まれて
九州大学で博士課程を修了して、いわゆるオーバードクターとして研究を続けていた男性が、悲しい最期を遂げた、というショッキングなニュースが話題になっています。
記事だけから推測するのは危ういですが、研究を続けられなくなったことを悲観して、ということなのでしょうか。
旧帝大の法学部の大学院で博士課程に進むほど学問を修めた人材を活かすことのできなかった社会に対して憤りを感じてしまいます。
もちろん理由はどうあれ周りに迷惑をかけてしまう最期を選んだことは肯定できませんが。
いろいろな縁があって、今私はここにいますが、もっと大学院に残りたいと思ったこともあったので、もしかすると学問に行き詰まってにっちもさっちも行かなくなる道もあったかもしれない、と空恐ろしくなりました。
2、知らないことに対する危機感
子どもの保護者繋がりで耳にした話ですが、PTAの役員として関わりを持った人で、消費税の計算ができない、というか何%かも理解していないというケースがあったとのこと。
社会生活を送る上で、最低限知っておくべきことというものがあると思います。
それは義務教育で身につけるべきことであり、それが身についていないのであれば教育機関が役割を果たしていない、ということになりますよね。
確かに消費税を知らなくても、お店で提示された金額を支払えば経済活動を行うことができます。
ただ自分が得る収入はどうでしょうか。
最低賃金や時間外労働について知っておくべきことを知らないとすごく生きづらいですよね。
情報リテラシーという言葉以前に、学ぶこと、情報を得ることが生きることに役立つんだよ、ということを伝える必要があるのではないでしょうか。
3、今できることは
高学歴を活かせず自ら命を絶つことを選択する人がいる一方で、消費税を知らなくても周りに支えられて暮らしていける人もいる。
ある意味多様性があるけれども、なんだかいびつですよね。社会が分断されてませんか。
幸せの形は人それぞれあると思いますが、それは前提条件として、判断する基礎的な知識があってしかるべきではないでしょうか。その上で機会が平等にあって、自ら選択したものであって欲しいです。
教育行政の末端にある者としては、子どもたちには、まず好奇心を失わせないようにしたいと思います。義務教育では全てを伝えることはできないので、学ぶことが楽しいということ、生きるために役立つのだということを実体験として感じてもらいたいです。その積み重ねで道はだいぶ開けることと思います。
次は学生じゃなくても学びを楽しめる場、仕組みを作ることに取り組みたい。公民館講座を開いても、参加してくれるのはいつもリタイアした余裕ある層だけ。もっと幅広い層が互いに刺激し合えるような学びの場を構築したい。
その場の講師は、地域の実践者でもいいし、大学で学び続けている院生でもいいですよね。博士課程クラスの学問を修めた人材が町井にいるのもステキだと思いませんか。
必要とされる場に必要な人材をマッチングする。行政としてできることがあると思います。
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