第1421回 大きな物語を語れること
1、考古学協会とは
時間が経ってしまいましたが、先日開催された、
日本考古学協会宮城大会の感想を少しまとめていきたいと思います。
そもそも日本考古学協会とは
いまなお3900人を超える考古学研究者が所属する、業界最大手の学会で
一応業績(論文執筆歴など)がないと会員になれない硬派な団体です。
毎年5月に総会と研究発表会を都心の大学で、
地方大会を10月に行うことを通例としています。
例に漏れずコロナの影響で中止やオンライン開催などで対応してきましたが
今回はハイブリット式ということで会場で聞くこともオンラインで視聴することも両方可能、という形になりました。
もはやこの形が一番いいのでは…
2、学会1日目
10月28日には記念講演、29日には分科会に分かれて研究発表が行われました。
私は地元なので参加しませんでしたが、30日にはエクスカーションとして、現地視察もあったようです。
大会のメインテーマは「災害と境界の考古学」とのこと。
まずは記念講演として開催地、東北学院大学の教員で
現在日本考古学協会の会長でもある辻秀人教授が登板。
というか会長だから大会を引き受けた、という順序でしょうか。
何度かお話を伺ったことがありますが
全体的な印象は
今は少なくなった、“教授”、“博士”らしい、というか
大きなスケールで話ができる先生、という感じでしょうか。
辻さんはもともと会津若松市にある福島県立博物館で準備室から携わっていた方で、弥生時代から古墳時代、古代にかけての東北自体の「古代国家」形成史をテーマとされています。
はじめに思い出も交えながら研究史を整理され、
東北の研究者たちが抱える「西に負けたくない」という反骨精神からとらわれてきた「パラダイム」を克服し、この地域にどのような枠組みを当てはめていけばいいか提言されました。
あくまでも今回は古代国家を対象としたお話でしたが
私が専門とする中世史を考える上でも大きな示唆に富んだ内容でした。
個別論は省略しますが、少しだけ。
考古学は出土する遺物から「文化」の変遷を探るものですが
基本的には代表的なモノが入ってきて、その他のモノは徐々に変わるのが普通だということ。
江戸時代から明治に変わった時だって「今日から明治だよ」って年号は変わるだろうけど、生活していた道具一切を新調するわけではないですもんね。
辻先生は
墓も住居も土器も一斉に変わる、というのは人が変わっている、つまり移住と解釈できるのです。
という趣旨のお話をされていました。
東北地方では何度もいわば「大移住期」とも言うべき変革期があったんですよね。
弥生時代中期の大津波とか
古墳の首長系譜も途切れがちなのは、
一つの集団が威勢を持っていてもやがて衰え、その空隙を埋めるように新しい集団が移住していく、ということを繰り返しているのかもしれません。
3、グランドセオリーへの憧憬
久々に歴史の「大きな物語」を聞いた思いがしますが
東北の考古学分野で辻先生に続くような方は現れるのでしょうか。
学会全体が個別論の深掘りに終始する傾向があるようにも見えます。
最近では意外とTVなどで一般受けするのも、「マニアック」な部分だったりするのでしょうかね。
そんなことを考えながら1日目は帰宅しました。
続きは別稿で。
本日もお付き合いくださりありがとうございました。