第29回史跡活用の方向性
1、導入
日本の文化財体系に「史跡」という分類があります。
◯◯遺跡、というものは数あれど文化庁からお墨付きをもらって、
保存すべきと指定されたものを史跡と言います。
全国で1800ケ所以上が指定され、中でも重要なものは特別史跡となり、60件ほどが指定されています。
都道府県指定、市町村指定の史跡も含めればその数は膨大になるでしょう。
**2、史跡の現状 **
わが町にも国によって指定された史跡があります。
縄文時代の貝塚として地域を代表する遺跡で、数多くの土器や鹿角で作られた釣り針などが出土しています。
国の指定史跡になれば、国の補助金をもらいながら自治体で土地を買い上げて公園化するのが一般的です。
縄文時代の遺跡であれば、貝が層状に堆積した様子を観察できるように貝塚の断面を剥ぎ取りして展示したり、竪穴住居を復元することもよくあります。
しかしうちの史跡にはどちらもありません。
昭和30〜40年代に宅地造成の波が押し寄せ、なんとか貴重な遺跡を守ろうと買い上げできるところだけ史跡に指定したので、相当いびつな形の公園になっています。
そもそも縄文時代の遺跡はかなり大雑把な言い方をすると、丘陵上に集落があって、縁辺部の斜面に貝などを捨てているので貝塚が形成されます。
当然丘陵上には竪穴住居が並んでいたはずですが、そこは現代人も住むには適した場所。
買い上げることができたのは斜面と谷になっていた低地部のみとなっていました。
その為公園としての整備は現在の水準からするとものすごく中途半端です。
3、負のスパイラルへ
それどころか出来るだけ現代の住居が見えないように民地との境界部分に植樹したため、
やれ葉が落ちてくるだとか、日陰になるとか、根っこが越境してくるとか苦情のタネになっています。
看板はあるものの展示施設もなく、駐車場もないのでほとんど観光客が訪れることはありません。
数年前の台風で壊れた四阿も予算がつかなくてそのままという惨状です。
実は整備してから50年も経過している現状から「再整備」という名目で国から補助をもらうことも可能なのです。
それでも半額は地元が出すことになるので、財政状況芳しくない小さな町では当分再整備は見込めません。
一担当者として忸怩たる思いです。
4、本来あるべき姿
理想の形は、というとやはり主役は地域住民です。
役所を頼らないで、自分たちの地域の文化遺産は自分たちが守る、という形にするのです。
現在自治体が草刈りや樹木の剪定で使っている予算を地域がもらいうけます。
一方で草刈りとか低木の剪定くらいは自分たちが行うことで予算を浮かせて、必要な修繕や活用のための整備を行います。
文化庁でも文化財の管理者は必ずしも行政出なくてもいい、というスタンスに変わってきていますので、地域に対する補助金を獲得することも可能です。
地域の選択として、地域住民の憩いの場としてこのままでいいというのあればそのような整備が必要ですし、
他の史跡のように観光客を取り込むような場所にしたいのであれば、そちらに舵をとる必要があります。
行政から言われて、ではなく地域が主体的に選択することが重要で、そのためにコーディネートするのが我々の役目。
道は遠いですけれども、誤まらければいつかはたどり着くでしょう。
文化財は100年なんて軽く超えて遺されてきたものですので、次につなぐ我々も長期的な見方で検討していきたいものです。