第40回須恵器の話
1、導入
ちょうど今日仕事で「須恵器(すえき)」を整理したので少しツラツラ書きたくなりました。
須恵器とは土器の一種。
主に還元炎焼成(かんげんえんしょうせい)という土器を焼く時に酸素を供給しない技法で焼かれます。
それまでの土器は野焼き(のやき)といって
地面に穴を掘って焚き火すれば焼けますが、須恵器は登り窯という特殊な構造の窯が必要になります。
この技術は朝鮮半島経由で古墳時代に日本へ伝わったことが分かっています。
ロクロを使って形を作ることも同時に伝わり、次第に伝統的な土器、土師器(はじき)作りにも応用されていくようになります。
須恵器は手間がかかる分、高価なものになり、当初は儀式や、古墳の副葬品として用いられることが多かったようですが
次第に日用品としても使われることになります。
と言ってもしばらくは上流階級の食器でしたが。
2、須恵器との出逢い
大学で考古学研究法を学ぶとき、まず始めに対面することが多いのも特徴です。
なぜかというと図面を描きやすいから。
縄文時代の土器は複雑な模様や形態を持っており、初心者がそれを正確に図面にするのは難しいです。
一方、須恵器はロクロを使っているため形が左右対称になっていたり、調整(指で撫でたり、ヘラで削ったりして形を整えること)が水平に近い角度で施されていたりと単純で図化しやすいのです。
それでも絵心のない不器用な私は相当苦労して図面を仕上げていたことを思い出しました。
初学者が始めに取り組むから分かった気になっていましたが、今日久しぶりに小さな須恵器の破片と向き合って見ましたが、わからないことだらけで困惑しました。
いつ頃の須恵器なのか、全体像としてはどんな器だったのか浮かばないモノがたくさんあって、薄っぺらい調書しか書けませんでした。
3、課題解決のための枠組みについて
私の専門の中世陶磁器ですら、参考資料を山のように積んで調べながら調書を作成します。
まして専門外の土器については正直お手上げです。
そこでふと思ったのが
隣町にはそれぞれ縄文と須恵器が専門の学芸員さんがいたなと。
今回の疑問点を解決する、だけではなくて
互いに専門の知識を教授し合えるような取り組みができたらいいなと。
学会だと細かい専門に別れて動くことが多いので中々そのような機会がないなと。
みんな忙しいのですぐには実現できないかもしれないですが
小さな町の少ない人材で課題をこなして行くためには連携できるところは連携して、
協力できるところは協力して
地域の歴史文化を埋もれさせないよう
小さな土器の破片が語る声に耳を傾けていきたいと思います。
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