第1050回 震災があぶり出した地域の課題と文化財
1、読書記録188
今回ご紹介するのはこちら。
月刊文化財 通巻第691号
東日本大震災から10年
震災からどう復興してきたのか、各地の最前線からのレポートが寄せられています。
2、江戸城の正面玄関
その中でも今回取り上げたいのはこちら。
「史跡常盤橋門跡(千代田区)の復旧復興」 相場峻
“東日本”大震災といっても取り上げられるのは東北ばかり、
とミヤギにいる私が言うのもなんですが、正直東北以外の被災状況や復興への取り組みについては知らないことばかりでした。
東京のど真ん中、千代田区でもこれほどの被害があったんですね。
語られるのは江戸城大手門筋の外郭正門に当たる常盤橋御門と明治期に架け替えられた石造アーチ橋。
江戸城に関連する三つの史跡の中で最も早くに指定
とあります。
となると気になるのはあと2つの史跡。
一つは特別史跡「江戸城跡」を指しているのでしょうか。
あとは史跡「江戸城外堀跡」
それぞれ昭和31年、昭和35年の指定なので、
昭和3年に指定された常盤橋門がかなり早くから史跡として保護されてきたことがわかります。
NHK大河ドラマが絶賛放映中の渋沢栄一の記念財団がアーチ橋の復旧工事に関わるとともに、指定を求める市民運動にも積極的だったことから
公園内に彼の銅像が建てられているそうです。
アーチ橋は明治10年にかけられ、大正12年の関東大震災で被災し、修理をおこなったとのこと。
近代東京の石造アーチ門は全部で15橋あったが、現在残るのは常盤橋のみとのこと。
首都のど真ん中にあり、いく度も歴史の荒波に揉まれてかろうじて残ったという印象ですね。
3、震災を越えて
そして東日本大震災でも御門石垣がはらみ出し、崩落の危険が高まり、石造アーチ橋も下部に亀裂が生じて路面が沈下するなど危険な状態になったため、
令和2年度まで解体修理が行われてきたとのことです。
御門石垣については解体修理の中で多くの知見が得られたようで
①関東大震災後の復旧工事では石垣石材の控えが極端に薄いものに替えられ
②昭和44年の首都高建設に際して積み直された際には石垣を支持していた割栗石や版築土が山砂に置き換えられ、地盤がコンクリート基礎に
など本来の構造より弱くなっていたことが明らかになったようです。
技術は右肩上がりに向上しているはずなのに
人の安全に対する気持ちはそうではないことも多く、
新しい時代の方が脆弱な構造になっていまうということは往々にしてみられますね。
ともかく文化財修復の技術が近代の中でどう変わっていくかが明らかになる一方で、今後も史跡を健全に維持していくためには多くの課題に直面することになるでしょう。
現に史跡南側では開発にさらされ、高さ390mの日本一高いビルの建築が予定されているとのこと。
著者は「変化する都市に埋没しない保存活用計画」の必要性を説いています。
一等地で価値が高いと言うことは開発の需要もあり、文化財の保存には高い障壁があるということ。
最近話題の高輪築堤を思い起こしますね。
遺跡自体に破壊が及ばなくても、周辺景観は大きく変わっていき
どんどん江戸時代はもちろん、明治、昭和戦前期の姿さえ思い起こすのは難しくなっていきます。
やはりこれは行政の調整能力が問われる問題なのではないかと思います。
本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
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