読書会メモ:キルメン・ウリベ『ビルバオ-ニューヨーク-ビルバオ』
前回、スペイン語つながりで積み本のなかから紹介したら課題本に決まったのだが、ふたをあけるとバスク語文学だった。
どうしてこんな(変わった)本を持っているのか、と参加者の方々に不思議がられたが、そもそもはビルバオとニューヨーク、この二都市の組み合わせに興味を引かれたのだった。
どちらにもグッゲンハイム美術館があるから、美術関係の話かと思ったのだ(ビルバオのグッゲンハイム美術館のことは、ダン・ブラウン『オリジン』で読んで以来、いちど訪れてみたいと憧れている)。
ページをひらくと、はじめの方に大きなカラーの口絵が折りたたまれて挟まれているのに気づく。この絵画を描いたのは、スペイン共和国政府からピカソ以前にゲルニカを依頼されたが断ったという、アウレリオ・アルテタ・エラスティ。
ピカソ級の名声よりも、家族とともに内戦からメキシコへ逃げる道を選んだ画家。そんな人ががいたとは。
読み進めると、美術も話題のひとつだが、物語についての物語だとわかってきた。著者は故郷ビルバオの港町オンダロアから各国へと旅しながら、バスクやその他の地域を舞台にした逸話をつぎつぎと語る。
自身の思い出、家族の歴史、海と船にまつわる話、知人との会話、町の噂話、古い時代の日記、政治家の書簡、言い伝え、寓話、おとぎ話……
それらの断片が、どこに重点をおくでもなく、おなじさりげなさで並べられていく。思いつきであるかのように。
そうやって著者は距離を一定に保ち、どこかに肩入れして感傷的になるのを避けているのかもしれない。
キルメン・ウリベは詩集でデビューして、これが長編の第一作だ。一貫してバスク語で創作している。
試行錯誤しながらこの作品を執筆し、冒頭の一文に悩んだことが書かれているが、その「魚と樹は似ている。」から始まる一連の文章には共感をおぼえた。
深い悲しみから、祖父を想い、父を想い、フランコ政権の影を見つめ、世界のなかにバスクをおき、オンダロアの猟師の系譜のなかに作家である自分を探すことで、最終的には息子へと想いがつながっていく。
数々の物語を書きつらねて外堀を埋めていき、最後にようやく著者自身の物語の根っこにたどり着いたような印象をうけた。
読書会を終えたいま、悪い意味ではなく、「じゃない方」の作品だと感じている。内容も構成も予想外だったが、結果的に大満足。こんなに新鮮で興味深い作品に出会えた。